ぬえの能楽通信blog

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『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その18)

2010-07-14 23:53:49 | 能楽
後見座にクツロいだシテは、ここで2度目の物着となります。先にも記した通り、2度目の物着は非常に手順が多くやっかいで、数珠を捨て、掛絡を取り、扇を前へ挿し、水衣の両肩を上げ、鞨鼓を前へ着け、撥二本を一緒に右手に持つ…というところまでを致します。このうえに、これまた前述の通り本来はここで掛絡を取り去ったのですが、すでに烏帽子を着けているため、首に掛けた掛絡を取り去るためには、頭のはるか上にある烏帽子の頂きを通して外さなければならず、またこの2度目の物着の手順が多いため、掛絡は1度目の物着で取り去ってしまうことが多いようですね。

あ、そういえば1回目の物着の説明で書き忘れたのですが、『自然居士』『東岸居士』『花月』の3番では烏帽子を前後逆に着ることになっています。通常は額の上から前に折れ曲がっているように着ける「前折烏帽子」を、前後を逆に、背面の方に曲がっているように着けるもので、これを「後折烏帽子」と称していますが、そういう名称の特別な烏帽子があるのではなくて、前折烏帽子を前後わざと逆に着けるのです。

烏帽子を着けることそのものは当時 身分にかかわらず俗体の男性の常識だったようですが、この3番の能の主人公…喝食の面を掛ける半僧半俗の立場の者の場合は微妙ですね。また一方 白拍子など女性の芸人も烏帽子を着けました。男装、という意味もあるのだと思いますが、ここから転じたのか、芸能の披露には烏帽子は欠かせないものだ、という意識が当時広く流布していたようで、能の中にも色濃く反映されています。そういった芸能の中でも「遊狂」というべきもの…滑稽な芸で人に面白おかしく感じさせる芸能を司る者が、わざと前後を反対に着けた烏帽子をかぶるのでしょう。

『自然居士』でもワキはシテに舞を所望するとすぐに(後折)烏帽子を着るように命じています。つまり居士に対するワキの要求は最初から「遊狂的」な芸だったのであって、それに対してシテが選んだ芸能は「中之舞」と舟の起源を語るクセで…これではまさに唱道の世界です。居士が高座の上で舞ったことがあると仄聞したワキがそのことを言うと、シテもみずから「それは狂言綺語にて候程に。さやうの事も候べし」と答えていますが、ここにワキが期待した「遊狂芸」と、シテが仏法流布の方便として行った「唱道芸」とでもいうものとのギャップが鮮明に現れているのだと思いますね。

あくまで仏道修行のため、仏法流布のために、荘厳な寺社に納まることなく民間に交わった自然居士の姿が、ここに垣間見えてくるようです。半僧半俗の風体で髪も剃らず、聴衆の興味を引きつけるために舞を見せる居士。非常にアクティブな青年求道者がひたむきに努力を傾注しているその姿を、俗人…仏教用語で言えば「悪人」である人商人には「遊狂人」としか見えていなかったのです。

さてこの2度目の物着ですが、1度目の物着と同じくお囃子方の演奏はなく、静寂の中で物着が行われます。それだからこそ後見も手際の良さが求められるところです。そうして下懸リ宝生流のおワキでは、1回目の物着と同じく、囃子方の前に着座してシテの物着を見守るような形になります。これもまた、鞨鼓はワキがシテにつけている、という心なのでしょうね。

さらに下懸リ宝生流の面白いところは、物着が済んで常座に出てきたシテに向かって謡い掛けるところです。

このところ、観世流の本文ではシテが常座に出てきたところを見計らって地謡が「もとより鼓は波の音。と謡って、さてシテは「鞨鼓」を舞うことになるのですが、下懸リ宝生流の場合は

ワキ「もとより鼓は 地謡「波の音。

と1句の前半をワキが謡い、後半だけを地謡が謡うことになります。