ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北支援の旅、スタートしました!(その20=松巌寺の除夜の鐘)

2012-02-02 22:54:37 | 能楽の心と癒しプロジェクト
まだ大晦日。(^◇^;)

そうこうしているうちに夜も更けてきまして。「チーム神戸」の金田さんから「さあ、ここに来たからはもうひと仕事してもらうでえ」と ひと言。この夜中に何の仕事かと思ったら、近所の松巌寺さんに除夜の鐘を撞きに行くんですって!

厚着をして外に出て、そぞろ歩いて行くと、いつもはしっかり見ないでいた湊町の街並みは、ものすごい被害の有様でした。あまりにも美しい星空の下で、壊れた家並みがどこまでも続いている光景。。途中で遠藤さんが1軒の大きな家の前で「ここ、おれの仕事の社長のうち。おれ、津波のときはここに来たところだったんだ。ここに入れてもらえたから助かったんだよな」と。

歩いて5分程度で松巌寺さんに到着しました。近づいてすぐにわかるほど境内はライトが煌々と灯されていました。境内に入ってみると、大きな松の木から吊り下げられているように見える鐘は。。クレーン車で吊られているのでした。聞けば松巌寺さんでは元々鐘がないそうで、しかしご住職さまはこの未曾有の震災の年の暮れには鎮魂の意味も込めて、また新しい年を無事に迎えるためにも除夜の鐘をみんなで撞くことを思われ、そうしてわざわざ秋田県から? 鐘を借りてきたのだそうです。

やがて住職さまからご挨拶があり、最初の鐘が撞かれました。大きな大きな事件が起きたこの年ももう終わり。また新しい1歩を明日から進み始めるのですね。それぞれが万感の思いを込めて、順番に鐘を撞いてゆきました。

ちなみにこの時の様子は後日「サンデー・モーニング」で放映されました。ほかにも、どうも「ふれあいサロン」でも見知らぬ顔が多いな、と思ったら、これは神戸から金田さんの活動を取材に来たテレビ局の方でした。年が明けてから、1月17日の阪神淡路大震災の日には、金田さんはバスを仕立てて石巻の人々を連れて神戸に行ったのです。同じ震災被害を受けた街がどのように復興を果たしたのか、それを市民のみなさんにひとつの参考としてもらうべく。ボランティア団体もいつかは石巻を去る日が来る。最後には市民が自分たちの手で復興の作業を押し進めていかなければならないのです。。こうした啓蒙にも力を入れる金田さんの活動には頭が下がります。さればこそ取材も来ていたのですね。

ぬえも鐘を撞いて。。そうして金田さんにご挨拶をしました。「明けましておめでとうございます」
…即座に金田さんはそれを制して言いました。「ここではね。おめでとう、じゃないのよ」
…そうでした。この街では本当に多くの、多くの人が「喪中」なのです。うかつでした。。

もう2月になったから白状してよいでしょう。ぬえはこの正月に東京でも「おめでとう」を言わずに過ごしていました。これは意外に難しかった。。目上の方には「新年のごあいさつを申し上げます」と言ったり、同輩には「あけまして。。こんにちは~」(*^。^*) と笑い話のように挨拶したり。。でも ぬえの心は石巻のみなさんと一緒に「喪中」のままなのでした。

…とは言え、松巌寺ではあちこちに笑い声も響き、明るい年が明けた予感。

こちらでは住民さんたちに混じって緑ちゃんと無尽くんがふざけています。



金田さんは…ああ、やっぱり取材中でした。



ぬえらは翌日…元日の朝からさらに2つの公演の予定があったので、深夜1時頃に松巌寺を辞して宿舎に戻りました。