ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その6=石巻へ)

2012-02-28 04:03:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
2月11日(土)、気仙沼・大谷地区と波路上地区の公演を終えて石巻に向かいました。前にも書きましたが、星空の美しかったこと。。そういえば震災のあと石巻で「明かりが消えたら、こんなに夜空が美しかったことに気づいた」というような言葉を聞いたことがあります。気仙沼では港の広大な地区。。激甚被災地ですが、ここは埋め立て地なのだそうで、本来は山が急に海に落ち込んでいる地形なのだそう。ここでも「津波。。自然の力によって元の地形に戻ったんですよね」という言葉を耳にしました。地震と津波と、大きな自然の力の前に人間は無力なのだと思い知らされた、とはよく言われることなのではありますが、奪うものもあれば残るものも。。なんだか不思議なノスタルジーを感じてしまうのは不謹慎なのかしら。。

石巻に到着して、まずはスーパー銭湯「元気の湯」へ。公演の汗を流して、それから今日からお世話になる「明友館」に向かいました。明友館はこちらでも何度もご紹介していますが、石巻駅から見ると北上川の対岸、湊小よりも少し北側に位置する不動町の、石巻市民会館の隣にある「勤労者余暇活用センター」です。でもそれは「入れ物」の話で、震災の時にここに避難してきた住民さんが団結して、市の指定避難所でなかったために援助が受けられない中、困難を克服して窮地を切り抜けたこと、そのときのリーダーだった千葉恵弘さんの厚い人脈によって全国から支援物資が届けられ、被災者へ届けられる中継基地となったこと、その後も現在まで継続して被災者支援活動を続けておられることから、明友館はいつのまにかボランティア団体となっていったのでした。

ぬえが最初に石巻でコンタクトを取ったのも明友館の千葉さんでした。何か支援をしたい、と思いながら何をしてよいかわからず野菜を車に積んで突然訪れた ぬえに親身に話を聞いてくださり、また石巻の現状や今後の見通しまで懇切丁寧に話してくださって、あげくに湊小避難所でのお手伝いを勧めてくださった千葉さんとの邂逅なくしては、今の ぬえの活動もありません。年末に「元気の湯」でいきなり ぬえに話しかけてきた大学生。。やはり何をしてよいかわからずに三人で車中泊を続けながら、大切に使い捨てカイロを持参した彼ら。その気持ちが痛いほどわかった ぬえは、自分にあてがわれた宿舎に(現地紹介者には事後承諾で。。)に彼らを泊まらせ、翌日には明友館を訪ねるように言ったのでした。

その明友館も10月に石巻市が避難所を一斉に解消したときに活動拠点の建物を災害ボランティアセンターに譲ることになりました。このボランティアセンターがまた、ぬえにとっては活動のたびに高速道路の料金が免除になる「災害支援等派遣車両」の認定を受けているおなじみの機関でしたので、なんだか不思議な感じ。千葉さんら明友館スタッフは、いま湊小の目の前にある総合福祉会館「みなと荘」に拠点を移して活動を続けておられます。ぬえも今回はこの「みなと荘」の明友館の事務所に転がり込んで泊めて頂くことになったのでした。

千葉さんと現在のスタッフ 斉藤良太郎さんのお二人はいつもながら元気~。今回は千葉さんのご紹介で仮設住宅にての公演をすることになっていましたので、これまたいつもながらお世話になりっぱなしです。深夜までいろいろとお話させて頂きましたが、それでもこの夜は気仙沼での2カ所の公演を終え、石巻までの長い移動もあったので、珍しく ぬえもバッタリと先に眠らせて頂きました。

トップ画像は「みなと荘」の前。これはもう翌朝ですね。。あいかわらず睡眠障害の ぬえは翌日も陽がのぼる前からごそごそと活動開始。この歩道橋の向かいが湊小です。夜になると淡雪が降って、車も道路も真っ白になります。陽が昇るとすっかり消えてしまうんですけどね。

2月12日(日)。この日は朝に石巻市内の仮設住宅での上演と、夕方からは今回の活動のメインの公演である 大崎市のプラネタリウムでの公演があるのですが、朝早く起きた ぬえはそのまま女川に行ってみることにしました。