ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その2=気仙沼「うを座」の子どもたち)

2012-02-18 01:37:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼。石巻と並び学校公演で ぬえが訪れた地。ずっと来たかった町。

昨年、ふとした縁からお稽古をすることになった演劇倶楽部「座」の座長・壌晴彦さんが偶然にも気仙沼の児童ミュージカル劇団「うを座」の指導をしていたことから、ついに年末に当地を訪れることができました。

いや、そうではありませんね。ぬえは震災後に一人で初めて東北を訪れた6月にも、それから能楽師の仲間が一緒に石巻での公演を手伝ってくれた8月にも、気仙沼を訪れているのです。でも、そのときは気仙沼には誰も ぬえが知っている人はいませんでした。学校公演だって、師匠家の催しの団員のひとりとして地謡の末席を汚していただけでしたから。。だから、毎回気仙沼の惨状を見て、心を痛めて帰ってくるだけの日々が続いておりました。

それだけに昨年の暮れに「うを座」のみなさんのご厚意によって市内で公演と団員さん(小中学生)へのワークショップが実現したときは、やっとこの町にたどり着いた、という感慨がありました。また、このときのワークショップが、ワキ方のNくんの貢献によって大変面白いものとなったのです。ぬえもワキ方のワークショップというものを見たことがなかったですが、じゃ、一緒にやろうか、という話にこの日なって、では。。というわけで『葵上』などを想定した「祈リ」の稽古になったのですが。。こんなに面白いものができるとは思ってもみなかったです。

能の演技って、実際のところ型は数百年に渡ってそぎ落とされているので、それだけを短時間で教えることが現代人にとって印象に残るものになるのは難しいのです。サシ込・ヒラキだけを教えたって何になるでしょう? そこに地謡が描く深い言葉があり、囃子が奏でる深遠な状況描写があり、そうしてその上でシテがどう感情を込めるか、が問われてはじめて重大な意味を成す。ワークショップの時間的な制約のゆえにパーツとしての型の説明だけをしても、どうしても片手落ちになってしまうのです。そりゃ、能が持つ美の表面づらだけを利用して「みんなで序之舞を一緒に舞ってみましょう~」なんて企画をしたこともありますが、「序之舞」に「憧れ」を持っていない世代。。「うを座」の小中学生にこのやり方は通用しないです。ましてやこの子たちは劇団員ですからね。

ところがNくんと一緒に行った「祈リ」のワークショップは素晴らしい成果を生みました。シテとワキ、それぞれの「気」がぶつかり合う、という、能として最も重要な「気」の部分が、まさに面装束もない素っ裸のままで、手を伸ばせば触れるほどの場所で見せることができるのですから。能の中でクライマックスの場面では沈黙を守ることが多いワキ方はややもすると軽視される傾向がありますが、ぬえは亡くなった村瀬純師にお相手を願って、シテの演技に対してのワキの意味がいかに重要であるか実演の舞台でものすごく勉強させて頂きました。時の感動が、あの年末には遺憾なく再現できたのではないかと思います。

今回は笛のTさんと ぬえの二人だけのワークショップでした。かなり不利な状況ではありましたが、そして時間の制約があったのでしたが、まずまずの成果かなあ。稽古としては伊豆の子ども能を参考にして斬り組みをやったのですが、装束の着付け体験ができなかったのが残念。



がしかし、今回の参加者の中には、かなり鋭い感性を持った子がいましたよ! いや、これも面白いもので、たとえば今の中学生って、「忠臣蔵」さえ知らないのね。(>_<)ヽ  これを知ったときは ちょっとした衝撃を受けました。文化が死んでゆくのを目前に見るようで。ところが斬り組みの体験では、もう切れ味鋭い演技を見せる子がいる! 冒頭に ぬえが舞囃子の『高砂』を見せ、そこで瞬きをしていないことを言い、年末にワークショップを受講した子と一緒に「祈リ」の実演をしてみたのですが。。これだけを見て「気」を感じ取り、実際に体現できる子がいるのです。こうなると「忠臣蔵」なんて知らなくても大丈夫だね。

そうか。。文化って形を変えてゆくけれど、芯が伝わっているのなら本説なんて意味をなさないのかも。気持ちが通じていればその体験の基が『ワン・ピース』だって問題はないわけで。そうだよなあ。時代に即して人気がある新しい作品を無視して千年前の『平家物語』ばかりを未来永劫追い続けているのでもまた片手落ちでしょう。
ま、そういう大人の感慨とは別に、この笑顔を見てください! 喜んでもらって良かった。(↑トップ画像)

気仙沼で甚大な被害を受けた湾岸地区は、じつは埋め立て地なんですって。そうしてすぐ海に迫り、地震にも津波にも耐えた山は岩盤地層なのだそう。地元の方は「結局自然は、もとの地形に揺り直した、ってことかも」と。

翌朝、気仙沼の被災地帯を視察しましたが、すっかり空き地になり、もうあの被害は感じ取れないようになりつつあります。市はこの地域を5mの盛り土でかさ上げをする予定で、話した地元の方も「まず工業地帯を復興しなければ町の再生はない」とおっしゃっていました。ぬえはこれに対して言う言葉はありませんが、これと反対の意見も翌日に伺うことになりました。