ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その7=能面師・木村健人さんの個展@銀座)

2012-02-29 02:22:00 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ちょっと目先を変えて、今日は東京・銀座で行われている能面展のご紹介です。

「木村健人 飾り面展」
2012年2月27日(月)~3月3日(土)11:00~18:30(最終日16:00まで)
於:銀座 ギャラリーあづま
(中央区銀座5-9-14 銀座ニューセントラルビル1F)
(地下鉄 銀座線・日比谷線「銀座駅」A3出口より徒歩2分)




この木村健人さんと、ぬえは石巻で出会いました。
まだブログではその日のご紹介にまでたどりついておりませんが、2月13日に石巻市の「立町復興ふれあい商店街」という、ここは仮設商店街なのですけれども、ここで上演をした際に終演後 ぬえに話しかけてこられたのでした。「オレ、般若面ばっかり、20年も打っているのさあ」。。まあ、ここまではよくある話。ところがその後のお言葉を聞いた ぬえは絶句してしまいました。

「震災で。。娘も孫3人も亡くしてしまってなあ。。それからはあの子たちに見せてやるつもりで打っているのさあ。オレ、となりの東松島から来たの。今日ここで能があるって聞いてさあ。石巻にはいっぺえ慰問も来るけど、東松島にはだあれも来ねえんだよぉ? こういうの、東松島にも来てくんねえかなあ」

壮絶な話にも驚いたけれど、東松島という地名が ぬえの心を揺さぶりました。ここもまた6月からずっと見ている地で、松島の島々が天然の防波堤になって大きな被害が出なかった松島町や塩釜市と比べると、その津波被害の深刻さは際だっていました。わけても野蒜(のびる)地区は壊滅的で、これまた目を覆う惨状でした。ここにもまた ぬえたちは訪れて能楽をご覧にいれたい、とずっと願っていた土地のひとつです。それだけに、今回の公演に際しても石巻の関係者には何度も「東松島で受け入れをしてくださる方があればご紹介ください」とお願いしていたのですが、これには反応はありませんでした。

まさかこんな形で東松島の方と知り合いになるとは。。ぬえがずっと東松島を見守っていることを話すと木村氏は「野蒜。。ああ、あのへんは全滅だったな。。」とのお答え。。

ぬえは楽屋として宛われた仮設商店街の空き店舗に木村氏を招き入れ、今回 仮設住宅での公演のために展示用に持参していた多くの面をお目に掛けました。氏は独学で般若面ばかりを打っておられるそうで、ぬえの持参した般若やそのほかの面を見て「初めて本物を見た。。良いなあ。。これからはこういう面を打つがら」と感慨深げでした。そのうえ氏は、この直後の2月末に東京で個展を開かれるとのこと。あまりにも偶然の時期でした。これは拝見に伺わねばなるまい。

お断りしておきますが、前述の通り 氏は独学で面を打っておられるアマチュアの面作家です。そのため個展も「能面展」ではなく「飾り面展」と謙遜して名付けておられます。銀座で拝見した、恐ろしく膨大な数の般若面の数々は、ちょっと化け物に傾きすぎていたり、難も多いのですがこれは仕方のないところ。それでも氏の「絵心」はハッキリ ぬえに伝わってきましたし、中には良い作もありました。そして何よりも、最近の作の中に、般若ではとても重要な「悲しみ」が見えることが ぬえの心を打ちます。

氏のお嬢さんのご一家は、揃って東京に引っ越しをすることが決まっておられたそうです。その引っ越しの直前に起こった震災は、ご一家がお住まいの大曲地区をずたずたに引き裂いてしまいました。大曲といえば石巻港をはさんで石巻の門脇や南浜に並んで海に面した地区。。そのまた隣りにあった自衛隊の基地も含めて壊滅的な被害を受けた地域ですね。。

いま氏と ぬえは協力して、来月に東松島で公演をする予定を立てつつあります。ぬえらの公演と、氏の面の展示を共催にして行い、市民にご自身の活動をお話しして頂く。。なんと素晴らしい企画ではあるまいか。ぬえも当地の市民と一緒になって活動するのはこれが初めての経験です。いま市役所の部署にも話をして、大変喜んで頂き、東松島の仮設住宅などの上演受け入れ場所の選定に取りかかってくださっています。

このような、あまりにも偶然の出会いに感謝しております。氏は勉強家でありますので、面打ちについて ぬえもアドバイスもして腕を磨いて頂き、将来は氏の打たれた面を掛けて東松島で能を舞いたいという希望を持っております。

お一人でも多くの方にこの展覧会をご覧頂き、東松島の方々と思いをひとつにして頂ければ幸甚です。。

銀座・ギャラリーあづま