ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

活動報告書

2012-02-08 02:34:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そういえば元日の午後に地震がありましたね。このとき ぬえは流留のイオンでの公演を終え、渡波地区を視察して、昼食も食べたし、あとはもう東京に帰るだけ、という時でした。しかし連日の公演で疲れも出ていましたし、東京までの長い道のりを思って、笛のTさんと一緒にしばらく宿舎で休憩することにしたのです。

いや~寝てしまいました。ぐっすりと。もとより睡眠障害があって、ふだんから3時間くらいしか眠らない ぬえなのですけれども、このときばかりは泥のように眠ってしまって。

…ところが、あの突然の揺れに飛び起きました。場所が石巻だけに、瞬間的ではあったけれども、恐怖を感じました。…考えてみれば6月に震災後初めて東北地方を訪れた際は、余震はもう毎日ありました。この時も仙台に到着してはじめて感じた地震には恐ろしさを覚えたけれども、その後は余震もだんだんと減ってゆき、なによりも ぬえも慣れてしまって、あまり感情が動くこともなかったですが。。それだけに久しぶりの震度4を石巻で体験すると、恐ろしさを感じます。聞けば震源は鳥島近海…って東京よりもずっと南!? 日本はどうなってしまったんでしょう。

ちなみに石巻では支援団体やボランティア団体は「あの強さの地震がもう1回来る」と想定して活動しています。ぬえもこの宿舎を紹介されたときに、「もしも津波が来たら、この建物は震災でも1階しか浸水しなかったから、あわてて逃げずに2階で様子を見てください」と言われました。もう1度、あれが。。

前置きが長くなりました。この年末年始に行ったプロジェクトの活動の報告書をまとめました。今回はプロジェクトの活動に対して多数の募金を頂戴いたしました。心よりの御礼を申し上げ、頂いた募金により我々プロジェクトがそのような活動をすることができたのか、をご報告させて頂きます。


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能楽の心と癒しプロジェクト
岩手県・宮城県訪問活動(2011年12月24日~2012年1月1日)

 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」(注1)の4名(※注2)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、すでに8月15日、9月26日~30日の2度に渡り宮城県石巻市および気仙沼市にて能楽を披露する活動を行って参りましたが、このたびゲスト出演の能楽師1名、記録写真撮影のための写真家1名(※注3)とともに去る12月下旬に岩手県および宮城県を訪問、3都市の計12カ所にて13回の能楽の上演およびワークショップを行いました(※注4)。

※注1 団体名は前回9月の活動をふまえ、旧「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」から「能楽の心と癒しプロジェクト」と改称致しました。
※注2 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。
※注3 今回の訪問では野口能弘氏(ワキ方・宝生流)がゲスト参加してくれましたが、今後はスケジュールの都合がつく際はプロジェクトメンバーとして活動してくれることになりました。、写真家はY氏(匿名を希望しております)。ともに無報酬での同行です。
※注4 今回の上演場所は①釜石市・鵜住神社②釜石市・宝来館(被災した旅館)③釜石市・鵜!はまなす仮設商店街④気仙沼市・駅前コミュニティセンター⑤気仙沼市・南町紫市場(仮設商店街)内「カドッコ」⑥石巻市・市役所1階無料休憩所⑦石巻市・イオンモール石巻⑧石巻市・ロマン海遊21(石巻駅市観光物産情報センター)⑨石巻市・チーム神戸事務所「ふれあいサロン」⑩仮設開成第11団地集会所⑪石巻市・住吉大島神社⑫石巻市・イオンスーパーセンター石巻東店。このほか12月24日に東京・朝日小ホールで開催された「東日本大震災チャリティフォトトークショー今を伝える」に八田が出演し、プロジェクトの活動を報告しました。

【活動記録】
 12月24日(土)
  東京・朝日小ホールで開催された「東日本大震災チャリティフォトトークショー今を伝える」に八田が出演し、プロジェクトの活動を報告。その後東北地方へ向かい古川に宿泊。
 12月25日(日)
先発隊として東北地方入りしていた寺井と八田が合流、宮城県・大崎市にて翌年2月に公演予定のある「パレットおおさき」にて打合せ。終了後岩手県・釜石市へ移動、宝来館に宿泊
 12月26日(月)
朝、八田・寺井は市内鵜住神社にて舞囃子『高砂』を奉納。
その後大槌町・釜石市鵜住居地区の被災状況を視察、夕方大蔵・野口・Y氏宝来館に到着。
津波で被災した宝来館のプレ・オープニングイベントとして狂言舞囃子『三番三』、能『羽衣』の一部を上演。宝来館の女将さんを『羽衣』の後見として起用。なおこの公演は海底や湖底の清掃活動を行うダイバーの団体「海をつくる会」の企画として開催された。
 12月27日(火)
早朝に小梶到着。釜石市の仮設商店街「鵜(う~の)!はまなす商店街」にて袴狂言『痿痺』、能『菊慈童』の一部を上演。
終演後、大船渡市、陸前高田市の被災状況を視察しつつ宮城県・気仙沼市へ移動。
夕方、気仙沼駅前コミュニティセンターにて狂言『柿山伏』、能『羽衣』の一部を上演。
公演終了後町内会施設「太田二区自治会館」に宿泊。
 12月28日(水)
朝、仮設商店街「南町紫市場」内の児童施設「カドッコ」にて気仙沼市内の児童ミュージカル劇団「うを座」の団員児童を対象に能楽ワークショップを開催。非常に有意義な催し。
終演後、劇団の座長さんの経営するラーメン店で昼食をごちそうになり石巻へ向けて移動。途中、陸前小泉駅、南三陸町歌津・志津川を視察
夕方、石巻市役所1階無料休憩所にて袴狂言『仏師』、能『羽衣』の一部を上演。
これにて大蔵・小梶・Y氏は帰京。八田・寺井・野口は元・門脇中学校避難所リーダーのF氏斡旋により日本緊急援助隊事務所併設の「石巻まちカフェ」に宿泊。
 12月29日(木)
イオンモール石巻「緑の広場」にて能『松風』の一部を上演。
その後石巻市内の門脇地区など被災地区を視察、夕方にロマン海遊21(石巻駅市観光物産情報センター)にて能『菊慈童』の一部を上演。ここにある石巻市観光協会の方々と再会、歓迎を受け、これ以後の活動の協力を頂くことになる。
夜になって石巻での公演の大多数を斡旋してくださったF氏とA氏と懇親。石巻の現状と今後の課題などを詳しく教えて頂く。
 12月30日(金)
避難所閉鎖以後チーム神戸の新拠点となっている「ふれあいサロン」へ。開所祝いとして居囃子『高砂』を勤め、その後 能『菊慈童』を上演。お客さまは近所の住民さん多数。
前回もご一緒させて頂いた曹洞宗庄内青年会の渡辺祥広さんもご一緒に活動を行われ、お客さまに茶菓などのサービスをされる。上演後もお客さまに装束の着付け体験を行うなど楽しいひと時。このときチーム神戸のお計らいでお客さまより寄せ書きを頂く。プロジェクトとして初めての勲章。
終演後「明友館」の新拠点「みなと荘」にて開所祝いの居囃子『高砂』を勤める。
夕方、仮設開成第11団地北集会所にて能『羽衣』の一部を上演。おそらく能楽界として東日本大震災による仮設住宅での初めての上演。終演後は装束の着付け体験を行う。
これにて野口氏は帰京。
 12月31日(土)
仮設開成第11団地北集会所にて年越しイベント。午後に寺井氏による笛のワークショップ、能『菊慈童』の一部を上演。
終演後子どもたちとしばし一緒に遊び、またホストの山本実樹子さん(ピアニスト)、宮澤等氏(チェリスト)の鍋パーティーのお手伝い。
深夜チーム神戸の年越しに合流、近所の松巌寺にて除夜の鐘を撞く。
 1月1日(日)
早朝、石巻市内の住吉大島神社にて舞囃子『高砂』を上演。
昼、流留のイオンスーパーセンター石巻東店にて能『菊慈童』の一部を上演。
終演後渡波地区の被災状況を視察、夕方に石巻を出発して帰京。

【収入・支出】
 今回の活動資金は、ほぼ全額をプロジェクトとして呼び掛けた募金によりまかないました。募金は新たに開いたプロジェクトの銀行口座に振込して頂くことをお願いし、その際に被災地への直接支援としての義援金としての協力の場合は「ギエ」、プロジェクトの活動資金協力の場合は「ボラ」と振込人名の前につけて頂くことにしました(無記入の場合は「ボラ」と判断)。募金の内訳につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、1月30日現在で「ボラ」192,000円、「ギエ」5,000円の総額197,000円を頂戴しております。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。
 また前回の活動の余剰金(20,676円)につきましては、これも募金およびチャリティイベントの収益ですが、当時はまだ募金者に対して「ボラ」「ギエ」の意思を確認せずに単なる支援協力金としてお預かりしております。これについてプロジェクトメンバーと協議した結果、総額を等分に分け、「ボラ」「ギエ」それぞれ10,338円ずつとして取り扱うことになりました。これにより収入はボラ 202,338円、ギエ 15,338円となります。
 これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。現在被災地支援対策として白河以北の高速道路について無料化措置が取られていますが、さらに引き続き石巻市災害ボランティアセンターから発給される「災害派遣等従事車両証明書」の認定を受けることで東京~白河間の高速道路料金も免除されております。
 宿泊につきましても今回は関係者のご厚意により釜石市では上演会場である旅館「宝来館」に、気仙沼では町会施設に、石巻ではボランティア団体の拠点に、それぞれ無償で宿泊させて頂きました。また参加者のすべての食費はそれぞれ個人的に支出する方針を堅持しております。
 これにより支出の内容は公演プログラムの印刷費、記録用ビデオテープや関係者に後日配布したDVD、また宿泊した施設で使用したストーブの燃料実費などの事務雑費のほかはもっぱらガソリン代、駐車料金の交通費に限られることとなりました。活動費の支出合計は84,809円となりました。また活動とは直接関係ありませんが、銀行の支払い手数料として 105円の雑費が発生しております。
 これらの結果、収支差額として132,762円の預金残金(うち「ボラ」117,424円、「ギエ」15,338円)が出ました。収支差額のうち「ボラ」は次回の訪問の活動資金として活用させて頂きます。現状では来る3月10日をもってボランティアセンターから発給されていた「災害派遣等従事車両証明書」の廃止が宣言されており、今後の活動には資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。
 「ギエ」につきましては、金額がまとまってから、もしくは活動の区切りを見ながら現地で活動されている支援団体に寄付致します。

【成果と感想・今後の展望】
 プロジェクトとして3回目となる今回の支援活動では、これまでの石巻市にとどまらず、岩手県・釜石市、宮城県・気仙沼市に活動の場を拡げ、9日間に13公演(ワークショップ含む)を行う、これまでにない大規模な活動となりました。しかしそれは単に滞在日数や公演回数の面だけでなく、いろいろな場面での上演が実現できたこと、新しい人々との多くの出会いがあったこと、またマスコミに活動が取り上げられたことなどが大きな成果であったと考えております。
 釜石市ではプロジェクトメンバーの寺井宏明の仲介により、「海をつくる会」が支援してきた被災した旅館「宝来館」の復興再建のオープニングイベントとして能楽公演を企画して頂きました。この旅館と女将さんは、津波が襲った瞬間の映像がYoutubeなどで紹介されたことからマスコミの注目を集め、みのもんた氏が司会を務めるテレビ番組「朝ズバッ!」で継続取材がなされており、プロジェクトの公演も1月5日の同番組で放映されました。それのみならず同旅館での公演の様子は読賣新聞全国版において12月27日にカラー写真入りで報道されました。プロジェクトの活動が報道されたのはこれが初めてです。
 気仙沼では、たまたま一昨年から指導をすることになった東京の劇団「演劇倶楽部・座」の座長である壌晴彦さんの斡旋により、当地の児童劇団「うを座」のご協力を賜り、市民対象の公演と劇団員の児童対象のワークショップが実現しました。気仙沼は八田・野口にとって学校公演の経験を持つ町で、ここへは何としても上演したいという希望を持っておりましたが、ようやく実現することになりました。ワークショップの会場となった南町は気仙沼市内でもとくに激甚災害地だったところですが、すでに仮設商店街が開かれ、その併設施設として設置された被災商店を改装した児童施設が会場となりました。集まった子どもたちの笑顔はその復興の証しとして我々の活動に大きな励みをもたらしてくれました。
 また今回は釜石市と石巻市において神社での奉納と、釜石・気仙沼で仮設商店街での上演が実現しました。これもプロジェクトとして初めての経験です。地元を守護する神の御前で祈祷を受け、奉納することは能楽を演じる立場として必要でありながら、これまで実現する事が叶いませんでした。また仮設商店街の振興活動への協力は、震災から9ヶ月を超えて、これから前へ進んで行く被災地への支援として、これまでにない新しい視点を我々にもたらしてくれました。どちらも地元の方々との信頼関係が生まれたからこそ実現できた事と感謝しております。
 そして石巻市で行った仮設住宅での上演。すでにプロジェクトでは湊小学校避難所や門脇中学校避難所でこれまでに2度に渡り上演活動を行いましたが、10月11日に石巻市が避難所を全面閉鎖するまで、おそらく避難所で能楽を上演したのは我々プロジェクトだけではなかったかと思います。この避難所で出会った支援者や避難所のリーダーとの話し合いから、今回の仮設住宅での上演が実現しました。こちらも仮設住宅での能楽の上演は初めての試みだったと思います。仮設住宅での催しは、上演することだけでなく、その後の住民さんとのふれあいの時間がとても大切だということを感じましたが、とくに今回は大晦日の上演があり、住民さんとともに過ごす時間は非常に示唆に富んだものになりました。わけても初めて知った子どもたちの心のキズの大きさ。。これは取りも直さず住民さん方の心の傷が子どもたちだからこそ率直に現れたものでありましょう。これからも息の長い活動を続けて、心の癒しを図っていく事が必要だと痛感しました。
 6月以来ずっとお世話になっている石巻の支援団体「チーム神戸」「明友館」には今回もお世話になりました。分けてもチーム神戸のリーダー金田真須美さんは我々の活動を応援してくださり、公演の終了時にはお客さまからの寄せ書きをプレゼントしてくださいました。これはプロジェクトが初めて手にした住民さんからの感謝の形。感謝を目的としている活動ではないのだけれど、これは我々にとっての勲章です。いまその寄せ書きは額に入れて八田の部屋を飾っております。チーム神戸のブログでは我々を「常連ボランティア」と呼んでくださり、これもまた我々を勇気づけてくれました。チーム神戸とは大晦日に一緒に鍋をつつき除夜の鐘を撞きに行き。。いろいろな事を学ばせて頂いております。
 この寄せ書きを頂いたときに気づいたのですが、最初こそ「被災地支援」のような格好のよい理由をつけて活動を始めたのですが、いつの間にかそれが段々と形を変えてきています。いまは、避難所で会った、あの石巻の住民さんの優しさに触れたくて、あの おばあちゃんたちに会いたくて石巻に通っているのだと思います。寄せ書きを頂いたときに金田さんにそれをそっと言ったら、金田さんも「それでいいんやで。私たちもどちらが元気をもらっているのかわからんな」と。濃い時間が、ここにはあります。
 また湊小学校避難所でチーム神戸からの斡旋で知り合った山形県の曹洞宗庄内青年会の渡辺祥広さん。こちらはそのあまりに献身的な活動に感銘を受けて当方から活動への協力を願い出たのですが、さすがに年末とてお寺のスケジュールもあって困難のところ、お一人でわざわざ駆けつけてくださいました。チーム神戸「ふれあいサロン」での茶菓のふるまいは、一人で参加と思えないほどの物量で、しかもお客さまに大好評でした。渡辺さんとは次回もご一緒に活動を続ける予定です。
 石巻では今回は何を措いても元避難所リーダーのF氏の全面的な協力なしには活動はできませんでした。F氏は震災前はあまり外出もしない生活だったようですが、避難所でその隠れた才能が開花。いまでは仮設住宅に住みながら、支援活動の最先端に立って活動しておられます。石巻での今回のプロジェクトの活動の半数以上はすべてF氏がまとめてくれたもの。石巻の現状や展望など、いろいろな教示も頂きました。
 そのほか石巻観光協会の佐藤さんやローカル局「ラジオ石巻」など、以前に飛び込みのように協力をお願いし、いまではプロジェクトの活動を歓迎して協力してくださる方も多くいらっしゃいます。さらにプロジェクトの活動に賛同して献身的な協力をしてくださった能楽師の野口能弘さん、写真家のYさん。これらの方々の協力なしには活動を抜きにしてはこの成功はあり得ませんでした。

 前回、9月の訪問では事前にほとんど催しらしい催しが決まらず、苦しいスタートではありましたが、実際に活動を重ねてきた今回はそういう危惧はまったく感じませんでした。段々と活動が当地で受け入れられてきたのだと実感を持っています。

 しかしながら、当地の現状は必ずしも楽観を許しません。避難所が閉鎖となり住民さんの生活の場が仮設住宅に移ったことにより、食料支援や住民さん一人ひとりへの支援は難しくなっています。さらに抽選による仮設住宅の割り振りによる高齢者の引きこもりの問題、延長されてきた雇用保険が打切になる事実、そのうえ3月11日。。震災の1周年を境にしてボランティア団体の大量撤退が起き、それに伴って高速道路の通行料無料化措置などボランティアへの支援体勢も大幅に削減される可能性があること。。それに反比例するかのように世間の被災地への関心が薄れてゆく予想。むしろ事態は悪化の一途と言ってもよいのかもしれません。いま「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」では2月中旬と、3月11日の追悼集会への参加を計画しております。これらの大きな転回点を迎える予感のある被災地で、次に何をすることができるのか。課題も山積ながら、息の長い支援が続けられるよう意気込みを新たにしております。どうぞ今後も変わらぬお力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。


平成24年2月5日


   「能楽の心と癒しプロジェクト」


      代表   八田 達弥
          (住所)(電話)
           E-mail: QYJ13065@nifty.com