ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その11)

2010-07-05 13:24:30 | 能楽
シテ「あゝ船頭殿の御顔の色こそ直つて候へ。
ワキ「いやいやちつとも直らず候。


…これだけの事なんですけどね~。居士がからかい、人商人が顔を赤らめて怒る、そんな図式なんだと思っていました。ところが何年か以前に拝見した『自然居士』のお舞台でワキの宝生閑師は「いやいやちつとも…」と軽く謡うことで、あっさりとシテの挑発をかわしておられました。「いやいや♪」という感じに ぬえには聞こえました。「ふん、その手には乗らないよ。これからじっくり嬲ってやるからな」という含みを ぬえは感じました。ほかの場面でも宝生閑師は ぬえが台本を読んで受けた印象とは ちょっと違った謡い方をされていましたが、これがまた、ぬえが読んだよりも 台本にずっと深みを与えていましたね~

さて「またこれなる船子の申し候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を舞うて御見せ候へ」と言われた シテは、自分がなぶりものにされることを警戒して、ワキの言葉を否定します。

シテ「総じて居士は舞 舞うたる事はなく候。

がしかし、ワキはちゃんと証拠? を用意しています。

ワキ「あら偽りを仰せ候や。一年今のごとく。説法を御述べ候ひし時。いで聴衆の眠りを覚まさんと。高座にてのひと指し。奥までもその隠れなく候。ただ舞うて御見せ候へ。

ここまで言われた居士が答えた言葉がこれ。

シテ「おうそれは狂言綺語にて候程に。さやうの事も候べし。舞を舞ひ候はゞこの者を賜り候べきか。
ワキ「それはその時の仕儀によって参らせ候べし。


「舞を舞えばこの少女を返すと約束するか」…どう考えても身も蓋もない問いで、完全にワキに主導権を握られたやりとりです。

そのうえ、ワキはシテの舞の扮装まで指定します。すなわちシテに烏帽子を着せるわけですが、宗教者であるシテにとって、それは芸能者になりきって舞を見せる屈辱を受けることになります。ワキが仄聞したという居士の舞…説法の場に集まったけれども居眠りなどして集中できない聴衆を目覚めさせるために居士が見せた「狂言綺語」としての舞では、居士は烏帽子を着て舞ったわけではないでしょう。

「舞を舞うたることはなく候」と言ったのを「偽り」と喝破された居士は、「狂言綺語」であるから「さやうの事も候べし」と認めます。「狂言綺語」とは空想的な(=狂った)言葉や、飾り立てて偽った言葉の意味で、すなわち仏の戒律の「妄語戒」に反するものですが、ここで居士は『白氏文集』などに現れる、狂言綺語を転じて讃仏乗の因となすという思想を利用して、自分が舞を舞った事を正当化しようとしたものでしょう。

もとより目前に人生を捨ててしまおうとする少女を見て、たちまちにその救出に走るほどのアクティブな居士であれば、当然あり得るエピソード。禅僧の中には歴史的に座禅の床を離れて市井の人々に交わって説法唱道をした者があったそうで、さらに彼らの中には遊芸を以て仏道を説く者もあったそうです。自然居士もそうした説教者の一人なのかもしれません。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その10)

2010-07-04 21:08:24 | 能楽
ワキとワキツレは大小前で向き合って下居、素袍の左肩を入れます。それまで素袍の肩を脱いでいたのは、櫂棹を持って舟を漕ぐための便で、ここで肩を入れることによって船出は一時中断、ということになります。

ここで二人の人商人は、少女を居士に引き渡さなければならないと譲歩しますが、その返報に居士に対して意趣返しをすることを談合します。

ワキ「さて何と候べき。
ワキツレ「我等の存じ候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を御所望候ひて。その後散々になぶつて。かの者を御返しあれかしと存じ候。
ワキ「さあらば散々になぶつて返さうずるにて候。


ちょっとした事ですが、このへんのワキとワキツレとの相談も、ワキのお流儀により微妙に内容が違います。観世流の謡本によれば次のような やりとりになっています。

ワキ「さてこれは何と仕り候べき
ワキツレ「これは御返しなうては叶ひ候まじ。よくよく物を案じ候に。奥より人商人の都に上り。人に買ひかねて。自然居士と申す説経者を買ひ取り下りたるなんどと申し候はば。一大事にて候程に。御返しなうては叶ひ候まじ。
ワキ「我等もさやうに存じ候さりながら。ただ返せば無念に候程に。色々に嬲って返さうずるにて候
ワキツレ「尤も然るべう候


この観世流の文言は、威勢を張った猛々しい人商人が体面を気にする様子が垣間見えて面白いですね。また居士に舞を舞わせようというアイデアを出すのも下懸リ宝生流ではワキツレであるのに、観世流の本文ではワキであったりと、微妙な違いを見せています。

さて相談がまとまると、ワキは角の方へ出てシテに向かって声を掛けます。(これにてワキツレの仕事は終わり、以後は脇座の下に端座します)

ワキ「いかに居士舟より御上り候へ。
シテ「いやいや聊爾には下りまじく候。
ワキ「船頭の陸に候うへは。何の聊爾の候べき。ただ御上がり候へ。


船頭が陸に上がっているのだから居士を残して舟が出ることはない、だから居士も舟から下りて、広いところで話をしよう。こういう論理であれば、何か企みがあることは居士も気づいたでしょう。しかし少女を返してもらうためには人商人と交渉しなければならない。今度はまんまと人商人の計略に乗らざるを得ない居士。だんだんと人商人のペースになっておきます。

ちなみにこのワキの言葉、観世流の本文では「何の聊爾の候べき、ただ御上り候へ」というだけですね。これは下懸リ宝生流の本文が優れていると思います。

シテ「あゝ船頭殿の御顔の色こそ直つて候へ。
ワキ「いやいやちつとも直らず候。またこれなる船子の申し候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を舞うて御見せ候へ。


このワキを小馬鹿にしたようなシテの言葉! 罠が待ち受ける陸に上がった居士が、せめてもワキをからかってみた、という風情。ぬえが『自然居士』の中で最も好きなやりとりです。

これに答えるワキの言葉は、からかわれて赤面し、また憤慨しての言葉でしょう。

…と、ぬえもずうっと思いこんでいました。ところが何年か以前に、宝生閑師が勤められたこのお役を拝見した ぬえはビックリ。それとはまったく違った演じ方だったのです。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その9)

2010-07-02 01:07:51 | 能楽

まんまとシテに舟に乗り込まれてしまったワキは、シテを舟から下ろそうと説得に掛かります。

ワキ「これは船路の門出にて候に。何とて聊爾なることをば承り候ぞ。
シテ「この者を賜はり候へ。小袖を召され候上は御損も候まじ。
ワキ「居士のこれまで御出で候ほどに。参らせたくは候へども。我等が中に堅き大法の候。
シテ「何事にて候ぞ。
ワキ「かやうの者を買ひ取って。再び元の手に返さぬ大法にて候ほどに。え参らせ候まじ。
シテ「委細承り候。又我等が中にも 堅き大法の候。
ワキ「そのご法は候。
シテ「かやうに身を徒らになす者に行き逢ひ。若し助け得ねば。再び庵室へ帰らぬ法にて候程に。そなたの法をも破るまじ。又こなたの法をも破られ申すまじ。所詮この者と連れて奥陸奥の国へは下るとも。舟よりは下りまじく候。


「聊爾」は「りょうじ」と読み、「思慮が足りない行い」とか「失礼」という意味。どうもこの二人の会話は、少女を解放するかどうかの駆け引きとして読むべきですので、彼らが言い合う「大法」…つまり「私法」というのも、本当にそんなものが存在するのか、ぬえは疑問ですね。少女を返せないその理由としてワキが思いついた大法かもしれず、またシテも、大法だから勝手には破れない、というワキの論理を逆手にとって、自分の方にも大法があるから、と言って、ワキにとって困る行動を続けるわけです。

これを聞いたワキは逆上して、やっぱり暴力に訴えかけることになります。

ワキ「さやうに承り候はば拷訴致さう。
シテ「拷訴といつぱ捨身の行。
ワキ「命を取らう。
シテ「命を取るともふつつと下りまじい。
ワキ「何と命を取るともふつつと下りまじいと候や。
シテ「なかなかの事。


「拷訴」=「ごうそ」は罪人を責めつけること。痛めつける、と言えば「それは捨身の行(であるから望むところ)」と答えられ、ついに「命を取らう」という所まで言葉がエスカレート。それでもシテは舟より下りようとはしません。

このところ、それまで子方に寄り添っていた(その心で実際には立っているのが常の型ではありますが、実際に子方の後ろに下居していることも)シテは、「命を取るともふつつと下りまじい」と両手を打ち合わせてワキの前にどっかりと安座(あぐら)してしまいます。ワキの言葉によってかえって頑なになるシテ。それは先ほどの「大法」と同じように、ワキの言葉を逆手に取って、かえってワキが困る行動に出る、というのが、シテの一貫した姿勢のようです。

「命を取る」と言っても、かえって前よりもがんばって舟に居着いてしまったシテを見て、ワキも方針転換を余儀なくされます。

ワキ「とにかくこの自然居士にはつたと持て扱うて候よ。まずかう渡り候へ。
ワキツレ「心得申し候。


こうしてワキとワキツレは自然居士の処遇について相談をすることになります。ワキは「とにかくこの…」と謡いながらガラリと棹を捨て、ワキツレに声を掛けると、ワキツレも棹を捨てて、二人は舟から陸に上がった心で大小前に行きます。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その8)

2010-07-01 23:57:11 | 能楽
シテは「なうなう」と扇を片手で拡げてワキの方へ招く型をし、あと問答につれて徐々に舞台に近づきます。

ワキ「これは山田矢橋の渡し舟にてもなし。渡りの船の御用ならば。よそをお尋ね候へ。
シテ「我も旅人にあらざれば。渡りの舟とも申さばこそ。その御舟へ物申さう。
ワキ「さてこの舟をば何舟と御覧ぜられて候ぞ。
シテ「その人買ひ舟の事ざうよ。
ワキ「あゝ音高し何と何と。
シテ「道理々々。よそにも人や白波の。音高しとは道理なり。ひとかひと申しつるは。その舟漕ぐ櫂の事ざうよ。
ワキツレ「艪には唐艪といふこそあれ。人買ひと云ふ櫂はなきに。
シテ「水の煙の霞をば。一霞二霞。一汐二汐なんどといへば。今漕ぎ初むる舟なれば。一櫂舟とは僻事か。
ワキ「げに面白くも述べられたり。さてさて何の用やらん。


秀句にこと寄せて船出を遅らせ、その暇に舟に近づく居士。もうすでに駆け引きは始まっています。「人買い舟」と突然呼ばわって動揺させ、さてワキが怒り出すと それは櫂のことを言ったまで、とはぐらかし、ワキツレがそのような名の櫂はないと気色ばむと、漕ぎ始めた舟を「ひと櫂舟」と呼んだ、というのです。どちらかというとワキツレはシテに対して敵意をむきだしにしますが、ワキはもうひとつ肝の据わった男のようです。おそらくワキは、この少女の代金でもあった小袖を首に掛けたシテの姿を見、「人買い舟」と呼ばわったのを聞いて、シテが少女を取り返しに来たことはすぐに見抜いたことでしょうね。

なおここに出てくる「僻事」は「ひがこと」と能では読んでいますが、「道理に合わないこと」という意味です。『自然居士』ではこの語は幾度となく登場してきます。

シテ「これは自然居士と申す説経者にて候が。説法の場覚まされ申す。恨み申しに来たりたり。
ワキツレ「説法には道理を述べ給ふ。我等に僻事なきものを。
シテ「御僻事とも申さばこそとにかくに。元の小袖は参らする。


ここでシテは、首に掛けていた縫箔を はらりと外すと、ワキの方へ投げつけます。うまくワキの前にバサリと落ちると非常に効果的なのですが、その前に、右手に扇、左手に数珠を持ったままで上手に縫箔を首からはずして投げつけるのは結構難しい。

シテ「舟に離れて叶はじと。裳裾を波に浸しつゝ。舟ばたに取りつき引きとゞむ。

とうとうシテは琵琶湖の岸に半ば足を濡らして踏み込むと、舟のへりを つかんで航行不能にします。これに対してワキは暴力を試みますが、シテが僧体であるため仏罰を恐れ、八つ当たりに少女を打ち据えます。このときワキは右手で腰より扇を抜き出して持ち、左手に持った棹を叩くことで打擲を表現します。

ワキ「あら腹立やさりながら。衣に恐れてえは打たず。これも汝が科ぞとて。艪櫂を持つて頻りに打つ。
シテ「打たれて声の出でざるは。若し空しくやなりつらん。
ワキ「何しに空しくなるべきぞと。
シテ「引き立て見れば。
ワキ「身には縄。
地謡「口には綿の轡をはめ。泣けども声が。出でばこそ。


少女が息絶えているのではないかと危惧したシテは舟に乗り込み、子方を立たせてこれを見ます。少女は縄で縛られ、口には轡をはめられている、という痛々しい姿でした。

シテは小声で少女に救出を約束します。

シテ「あら不憫の者や。やがて連れて帰らうずるぞ心安く思ひ候へ。