Pieces of My Life♪ ニューヨーク近郊の暮らし

子育て専業主婦から脱出!ニューヨークで医療従事者しながらコロンビア大学大学院在籍。ニューヨークのお弁当も頻繁に更新中。

祖母の旅立ち

2007-04-09 | 夫婦・家族

私たち夫婦がイースター徹夜祭で堅信式を行っている最中,日本では祖母の旅立ちの式が盛大に行われていた.とても急に父方の祖母が亡くなった.この夏,5年ぶりに会ったときはとっても元気で,次のアメリカ大統領は誰になるかなぁなんて話たりし,「こりゃあ,当分長生きするぞ」なんて皆で笑ってた.長生きの家系だったしね(曾祖母は100歳越えるまで生きた).でも86歳.平均寿命は上回ったからやむを得ないなと,自分を説得させるように言う父.

この祖母は,実は父と母の結婚に大反対して勘当したんだ.その理由は自分の望みを託していた長男である父が,彼女の意に背いたから.結婚も,地元で自分の決めた相手とさせるつもりが,母と恋愛結婚したから.そういう理由.だからそれほどベッタリとした仲ではなかったんだけど,私は初孫だったし,唯一の孫娘ということもあって可愛がられた.

神戸で資格を取り,地元の市の助産婦だった祖母は,20数年前に破傷風にかかり,それが引き金となって半身不随になった.でも幸い脳だけは助かった.ICUに入っていたとき医者から「今夜が山場なので,親戚を皆集めてください」と言われた.私が小学生のとき.でも祖母ったら甦ったのよね.もう祖母の身の回りのもの全て処分して,お葬式の準備をしていたのに,止まりかけてた心電図が日に日にしっかり動き出した.

そのまま元気に退院しちゃって,自分の物が全て処分されてると怒り狂ってた(爆).死後の世界に足を踏み入れていたんじゃないかと思って,お花畑とか見たぁ~?と聞いてみると,見たと言う.「綺麗なお花畑に小川もあった.その川の向こうに○○ちゃんと,○○ちゃんと,○○ちゃんがな,ユキエさんはよ~おいで~おいで~って言うんじゃけどな,私ぁ,あの人らぁ嫌いなんじゃが.じゃから,行かん!言うて,引き返して来たん」と祖母.そんな話をしている間に,看病に疲れた祖父が先に逝っちゃったんだ(苦笑).

半身不随になっても弱音一つ吐かなかったし,元気だった~.自らリハビリして.皆に迷惑はかけんと言い,山奥の特別養護老人ホームを選んだのだけど(もちろん費用も20数年間全て自分で払って),ホームの雑巾を大きな縫い目で縫ったり,契り絵をしたり,塗り絵をしたり,編み物したり.介護のお兄ちゃんイジメたり,スズメの餌付けしたり,白いゼラニウムの花を真っ赤に咲かせてみせると頑張ったり,ご飯が不味いと厨房まで文句を言いに行ったり….政治も経済も芸能情報も,私より詳しい人だった.溺愛していた従弟の私立大学と大学院の学費を払ったのも,この祖母だったし.栄養ドリンクを毎日飲んで,元気一杯な人だった.ホームの老人の総取締役みたいなことして,ホームの職員さんは,さぞ扱い難かったことと思う…(汗).

私がいつまでも子供を作らないのを一番心配していたのも祖母だった.助産婦だったから女性の身体のことはよく知ってる.「勉強や仕事も結構じゃけど,はよ産まな,元気な子が産めれん歳になるぞ!どんなに女が社会に出て行ってもな,こればっかりは逆らえんのじゃから!後から後悔しても遅いんぞ!」と真剣な眼差しで言ってた(苦笑).

私のお腹の子と引き換えみたいになってしまったよ.初曾孫,抱っこしてもらおうと思ってたのに.吐血して様態が急変し,その後1週間ほどの命だった.最後の最後まで意識もハッキリあって従弟の嫁探しをしなくては,家を改築しなくてはと言っていたらしい.遺体は祖母の希望通り献体することになっているので,解剖実習に使われる.祖母らしい選択だと思う.

1週間と聞いた時は帰国する準備をしたが,妊娠9カ月目前ということで皆に反対され,最後のお別れに伺うこともできなかった.弔電だけは送ったが,やっぱり未だに信じ難い.祖母の死も受け入れ難いのだけど,父がどっと落ち込むんじゃないか,そっちのほうが心配だったりした.母親と縁が薄かった人ほど,想いは強かったりすると思うから….それに歳がいけばいくほど,人の死や別れって辛いんだよね….東京に住む真ん中の弟に,父の傍に居てあげてねと伝えておいた.彼も祖母より父のことを心配して駆けつけていた.でも心配したほどでもなくて,吹っ切れたと父.「男は親を失って初めて一人前になると昔から言うからな.これで思う存分仕事が出来る」と電話で言っていた.

「今度帰省するときは,子供連れてお墓参りに行こうね」とトニー.それにしても,復活祭の日が旅立ちの日,しかも溺愛していた従弟の誕生日当日になるとは,なんとも凄い日を選んだものだと思う.おまけに誰に頼んだわけでもないのに,イースター徹夜祭にて祖母の名前が読み上げられ,安らかな旅立ちが祈られた.300人,しかも異人種ばっかりの遥かNYで.なんて恵まれた最後なんだろうと感極まって号泣してしまった.

お祖母ちゃん,NYからの祈りが聴こえたかな?私は元気な赤ちゃん産むから,初曾孫の出産には立ち会って,助産婦の腕前見せてよね.

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夫婦の新たな誓い

2007-04-09 | 夫婦・家族

昨年から準備をしてきた行事が無事終了)/.ヴァリデーションというカトリックでの結婚認可式と,堅信式.どちらもとても感動する式となって涙が流れた.

出産準備に浮かれるだけじゃなく,きちんと親として子供を受け入れられる器になるケジメとして行なおうと,夫婦で話し合って決めた式.まさか,結婚7年目にしてまた誓いの言葉を交わすとは思っていなかったけど,とても新鮮で,お互いやや照れながら,何があっても一生添い遂げることを誓った.お腹の子が動きまわる中,指に嵌めた婚約指輪も結婚指輪も聖水で清められ,神父様が肩から掛けているストラという布で夫婦の繋いだ手を巻かれ祈ってもらった.感動して目がウルんだ.これで私たちは結婚記念日が3つ.法的な結婚記念日が12月5日.式と披露宴は6月2日.そして今回.

堅信式もこっそりするつもりでいたのだけど,イースター徹夜祭のミサにて,300人近くの参加者の中祝福していただいた.主人の職場の方や友人,私の知人,キリスト教とは全く無関係の義両親まで駆けつけて,氷点下の夜遅い時間に,皆参加してくれて本当に嬉しかった.まだ産まれていないのに,お腹の子も皆に紹介されたりした.百合の花で飾られた祭壇で式を無事終え,今はもう感無量といった感じ.半年以上かけて準備をしてきて良かった.私の人生の大きな節目になった.

これで私たち夫婦は焼印が押された.何も恐れず,迷わず,与えられる恵みを受けながら家庭を築き歩んでいくことになる.そしてNYで一大イベントをしている真っ最中,日本では別の大きな式が行われていた.つづく….

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