気になりながら手付かずだったゴマの脇芽掻きなどの作業を終え、我が家に帰ってくると前の広くもない道路にまたも救急車。近所の皆さんも思い思いに木戸口にお出かけでした。
何事だろうと思いながらも帰ってから家族に聞くと、近所のお爺さんが昨日に続いて救急車を呼んだのだとか。
そう、昨日も帰ってくると、騒然とした空気が残っていて、聞けば、2件の救急車ごと。
そのうちの1件が前述のお爺さんだったのですが、すたすた歩いて救急車に乗り込まれたとか。
今日も自力で救急車に。しかも、奥さんもいらっしゃるし、過去何度もお呼びになっていらっしゃるとか。
公共サービスを利用する節度とは?
今日の話題は、そうです、公共サービスとの向き合い方、サービスの在り方。
さて、件の老夫婦、公共サービスとしての救急自動車の利用の仕方は、常識的な節度というものの範囲なのか、超えているのか?
利用されているご当人は、もちろん常識の範囲と考えていらっしゃるはず、いや、考えたこともない?
救急車利用の有料化は検討すべき?
常識の範囲と考えて利用する分には、利用せざるを得ない窮迫した事情があると思われるので、これは、サービスを支える市民としても当然理解をしなければならない?
便利だからタクシー代わりに使っちゃおう、などという不埒な考えがある場合は、窮迫の場合の妨げにならないよう、当然、何らかの対策を講ずる必要があります。
よく話題に上る有料化は、検討すべきではないかと常識的に考えてしまいます。
しかし、後者、考えたこともない人たちの場合、私たちはどうしたらいいのか、何て考えても、線引きは難しいし、そんな論議もむなしい。
じゃあ、回数制?それも何か変。
先日、協働に対する行政のスタンスにちょこっと触れましたが、市民ニーズは広がる一方だし、必要なはずだけど予算の制約で削らなければならないサービスも多いはず。
救急サービスについても、論議をしていく時代なのかもしれませんね。