今日は、書道のお稽古の日。
会場は米子の東光園で、僕は二日目の午後の二コマと決めています。
ということで、毎回、米子周辺での用事はこの際!今日は、藻塩の受け取りと水汲み、ホームセンターのはしごでチェーンソーの品定め、野大根採り。
房仙会の定例会は、所属する会の会誌に掲載された課題をお稽古するのですが、数多ある課題の中から書聖と言われる王義之の作品の臨書をお稽古しています。
今回は「山川撥煙霞而」が課題ですが、草書と行書が入り混じったような感じ。
師匠の房仙先生に手を取って貰えたりすることもあるんですが、そうきたか!という驚きの連続で、自分の意識はいかに教え込まれたものに依存しているのか良くわかります。
今の房仙会は“基本を学ぶ”のがお稽古のスタイルですから、他の書家の皆さんの行き方とは若干違うかもしれませんが、基本を学ぶ、そこにチャレンジすることで一番見えてくるのが“我”なのかもしれません。
自分が曲げたくない“我”を乗り越えることで初めて、王義之の書に迫れる!?
別に迫らなくても困らないけど、迫ろうとする中で“自分が作りあげている曲げたくない自分”を感じるってことが大切かも知れません、いるんですよね曲げたくない自分。
今日も和気あいあい、だけど火花が飛び散る中でお稽古が終わりました。
お稽古の帰り、夕焼けに染まる大山がとてもロマンチックでした。
年末、鬼籍に入られた先輩のお悔やみに行ってきました。
随分お世話になった方で、議員の仕事を心から楽しんでいらっしゃいましたね。
特に、そんなところは敵わないなあと思ったものでした。
その帰り、以前から気になっていた北山の神奈備山、古代出雲の国の人たちが遥拝していたと伝わる場所に行ってみました。
その訳は、混迷する今の時代にあって、出雲の地、出雲の民は世界の模範となりうる、いや、そうありたいと思ってきましたが、古代出雲にかかわる伝承などを知るにつけ、まさにその地としてふさわしいのでは、との思いが深まり、彼らはどんな思いで暮らしていたのか、そんな思いの一端を知りたいと思うからです。
平和の時代を築いた出雲のキーワードの一つは、母系家族社会でしょうか、鉄器を自在に操りながら、武器ではなく「言向け」によって各地の豪族をまとめてきた。
母系家族社会を支えたものは、何よりも子孫の繁栄を願う強い思いだったのでしょうか?
その象徴として、3人の家族神の息子神、サルタ彦の魂が宿ると考えていた鼻高山があり、一族の子孫繁栄の願いを込めて遥拝していたのでしょうか。
出雲の国風土記には4か所の「かんなび山」が記載されていると聞いていますが、実は、出雲の国の人たちが仰ぎ、遥拝した山は数多あるようで、島根半島の北山山地随一の高さを誇る鼻高山(はなたかせん)もその一つ。
彼らは、自然と心を通わせ、自然の理の中に人の生き方のあるべき姿を見出し、そうあろうとしていたんじゃないか、そんな気がしてなりません。
地に足がついた生き方をしたいものだと思っています。
新春房仙会祭りで師匠の房仙先生からいただいた凧、とても嬉しいですね。
お祭りの後の懇親会で、参加者には全員頂けたのですが、特別の凧のような気がしています。
決めるって
何度も書いてきたと思いますが、楽しいことしかしないぞ!と決めたのは12~3年前だったでしょうか、自分が楽しんでいないといい仕事ができないと思ったからなんですね。
もちろん、同じことも取り組む姿勢で楽しくできるし、辛くもなる、それはわかってのことのつもりですが。
ただ、不思議なことに自分で決めるとそうなって行く、恐らく、あの時に僕の人生は本当に大きく変わったと確信できます。
決めるって、とっても大切ですね。
一年半前?初めてお稽古に参加した日、その時はまだどうしようかと思っていたのですが、房仙先生の気合なんでしょうね、とても気持ちがいいと思った。
書道も道を究めるためにやるのだから、師匠からどんな理不尽と思えることを言われても付いていくものなんだろうけど、今の社会では極めて稀なことかも。
それが、どんな言いにくいことでも歯に衣を着せずにズバリと言うんですね、そこが続けようと思ったキモ、端くれであっても一員に加えてもらえて良かった~!
「嬉」という言葉、そんな気持ちが詰まっているんですね。
楽しいことしかしないぞ~、それに一番ピッタリでしょうか。
師に付き随う
そういえば、僕の友人の日本舞踊のお師匠さん、53年付き随ったお師匠さんが100歳の天寿を全うされたのだとか。
53年、師として付き随う、尋常じゃないように思います。
その間、師を超えた、そんな思いだって過ることがあったんじゃないかと思えるんですが、ひたすら師として従い続けた、その友人の姿はお手本です。
新春房仙会祭り、大阪で行われて行ったのですが、大阪校の皆さんの作品展も含めて正味2時間。
房仙先生の揮毫はいつも変わらずすごい気合!
そして、飾られた作品は、みんな素晴らしい!2時間、勿体ない。
やっぱり!行ってよかった!のですが、何よりも、皆さんが房仙先生とのお稽古の時間を通してのみならず、魂と魂がつながり、人生を磨く場になっているということを改めて確認できたことが一番嬉しいと思えたことでした。
人の思考って寂しいかも~、なぜ!?憎悪の連鎖は止められないのか~?
そんなことを感じたアメリカによるイラン革命防衛隊司令官のミサイルでの暗殺。
ミサイルで暗殺、アメリカらしいと言えばアメリカらしいですが、それって、一触即発の危機を作り出し報復の連鎖を招くだけじゃないの?
大和王国の成立とともに、17代で潰えたといわれる出雲の国。
ただ、そのあとも出雲の地の統治は安堵され、大和政権とも様々な形で血が混じりあい今に至っているようですが、これってある意味凄いことかもしれません。
それは、今に至るその間、恨み辛みで生き続ける愚を避けてきたということ。
重箱をつつくと様々なものが噴出するけど、噴出させたって何も生まれない。
生まれるのは憎悪の連鎖だけ。
大陸的思考では、潰せるものは潰せるときに徹底的に潰してしまう、のかな?
その思考に終止符を打つべき時じゃないかなあ?
その時に島国日本の、出雲の国的生き方って、世界の範になるんじゃないか?
そんなことをついつい夢想してしまった、昨日からのニュースでした。
三が日から百姓仕事、どうかなあとも思いましたが、例年何かやってるし、、、
TVを見始めるとだらだら見ちゃうし、やるべきことはしたからなあ。
で、今日は延ばし延ばしにしていた大豆とヤブツルアズキの脱穀作業。
ジェノベーゼでランチ
その前に、年末に買ってきたスパゲティを使って、やはりシンプルにジェノベーゼ!プラスホタテを買ってと。
隠し味に野大根の浅漬け(*^^*)
かなりアルデンテではありましたが、行ける~~、でも、右の皿のものとは予想通り合わなかったなあ(^^;;
昼から向かったヤブツルアズキの脱穀と風選別は終わりましたが、大豆はあと丸一日ちょいはかかりそうです。
大豆の脱穀は黒豆でしたが、今年もつややかでおいしい黒豆が頂けそうです。
ブログが終わったら、ヤブツルアズキの選別作業です。
三が日にやっちゃいけないこと
そうそう、三が日と仕事で調べてみると、三が日にやっちゃいけないこと、何てのがあったようですね。
それ、お掃除、水仕事、刃物を使う、火を使う、四つ足の動物の肉を食べる、大きなお金を使う、けんか、だそうですが、知ってました?
大きなお金を使う、ないから大丈夫、それとお肉とけんかも大丈夫、そして脱穀、これはセーフかな?でも、最初の4つはやってしまった(^^;;
でも、今の生活スタイルを考えると、簡単に実践できることでもなさそうだけど、一理はあるかもしれませんね。