年末、鬼籍に入られた先輩のお悔やみに行ってきました。
随分お世話になった方で、議員の仕事を心から楽しんでいらっしゃいましたね。
特に、そんなところは敵わないなあと思ったものでした。
その帰り、以前から気になっていた北山の神奈備山、古代出雲の国の人たちが遥拝していたと伝わる場所に行ってみました。
その訳は、混迷する今の時代にあって、出雲の地、出雲の民は世界の模範となりうる、いや、そうありたいと思ってきましたが、古代出雲にかかわる伝承などを知るにつけ、まさにその地としてふさわしいのでは、との思いが深まり、彼らはどんな思いで暮らしていたのか、そんな思いの一端を知りたいと思うからです。
平和の時代を築いた出雲のキーワードの一つは、母系家族社会でしょうか、鉄器を自在に操りながら、武器ではなく「言向け」によって各地の豪族をまとめてきた。
母系家族社会を支えたものは、何よりも子孫の繁栄を願う強い思いだったのでしょうか?
その象徴として、3人の家族神の息子神、サルタ彦の魂が宿ると考えていた鼻高山があり、一族の子孫繁栄の願いを込めて遥拝していたのでしょうか。
出雲の国風土記には4か所の「かんなび山」が記載されていると聞いていますが、実は、出雲の国の人たちが仰ぎ、遥拝した山は数多あるようで、島根半島の北山山地随一の高さを誇る鼻高山(はなたかせん)もその一つ。
彼らは、自然と心を通わせ、自然の理の中に人の生き方のあるべき姿を見出し、そうあろうとしていたんじゃないか、そんな気がしてなりません。
地に足がついた生き方をしたいものだと思っています。