今日は、書道のお稽古の日。
会場は米子の東光園で、僕は二日目の午後の二コマと決めています。
ということで、毎回、米子周辺での用事はこの際!今日は、藻塩の受け取りと水汲み、ホームセンターのはしごでチェーンソーの品定め、野大根採り。
房仙会の定例会は、所属する会の会誌に掲載された課題をお稽古するのですが、数多ある課題の中から書聖と言われる王義之の作品の臨書をお稽古しています。
今回は「山川撥煙霞而」が課題ですが、草書と行書が入り混じったような感じ。
師匠の房仙先生に手を取って貰えたりすることもあるんですが、そうきたか!という驚きの連続で、自分の意識はいかに教え込まれたものに依存しているのか良くわかります。
今の房仙会は“基本を学ぶ”のがお稽古のスタイルですから、他の書家の皆さんの行き方とは若干違うかもしれませんが、基本を学ぶ、そこにチャレンジすることで一番見えてくるのが“我”なのかもしれません。
自分が曲げたくない“我”を乗り越えることで初めて、王義之の書に迫れる!?
別に迫らなくても困らないけど、迫ろうとする中で“自分が作りあげている曲げたくない自分”を感じるってことが大切かも知れません、いるんですよね曲げたくない自分。
今日も和気あいあい、だけど火花が飛び散る中でお稽古が終わりました。
お稽古の帰り、夕焼けに染まる大山がとてもロマンチックでした。