生きて死ぬ死んで生まれる往復のこの山道の棘の山茱萸
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これが栗木京子選の入選作品です、わたしの。分かりにくいでしょう?
人は、この地上で、生まれて生きてやがて死にます。死にますがまた生まれて来ます。次々に生まれて、次々に死にます。次々に死にますが、次々に生まれています。
そうやってともかく恒に、地上に数十億の人間が犇めいて暮らしています。一人の人間の生き死にではないにしても、それでも全体は種を保存しています。
死と生は往復の山道なのです。往復をしています。登って頂上について、それからまた下り道を降りて来ます。その途中に、山茱萸が棘の奥に実を付けて赤紫に熟れています。
山茱萸は豆粒ほどですが素朴な味がします。小学校時代に遠足で山登りがありました。その頃は、食糧難でしたので、この渋い山茱萸の実もおいしく感じました。
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人は、自分ではそう自覚はしていないのですが、往復をしているのです。単独でも往復しているのではないか? ふっとそんな気がしました。輪廻転生して行ったり来たりしているのです。
その都度、山道で、茱萸を食べているはずです。そんな直感を57577にしてみました。選者は、しかし、どう受け取られた野でしょう、この作品を。
575の上の句と77の下の句には隔たりがあります。白人と黄色人種との結婚のように、異質同士です。上の句がお父さん、下の句がお母さん、で、全体が生まれた子供ということになります。
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あ、山茱萸なんて食べたことがないでしょうね。特に飽食の現代人は。見たことすらないのかもしれません。でも、気をつけてみたら、山路の茂みに、この五月には花を着けているはずです。