<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

雪山偈を読む。わたし流に読む。

2021年05月15日 17時40分13秒 | Weblog

諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽 

涅槃経「雪山偈」より

 

しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう しょうめつめつい じゃくめついらく

 

諸行は無常なり。是は生滅の法なり。生滅滅し已(おわ)って、寂滅を楽と為す。

 

 

この世にあるものはみな変化をして、かたときも常態を保つことがない。生じたものは老いる。老いたものは病む。病んだものは死ぬ。楽しんで苦しみ、喜んで悲しむ。この無常に苦しんで行く。始めから終わりまで苦しめられて行く。だがこれこそが生じた者は滅するというこの世の法である、決まりである。

 

(一つのことのみに止まらないで、次のステップに進んで行くことができるという決まりである)

 

 

しかし、しかし、しかし、それでよかったというときが訪れる。その生滅が滅し終わるときが来るのである。苦しみが終わるときが来るのである。苦しみが終われば寂滅となる。涅槃となる。涅槃を得て、生滅の法を悟って仏陀となる。仏陀となれば一気に次の段階に進んで行く。

 

そこを楽土とすることができるようになる。晴れ晴れとなる。雲が去ってからりと晴れ渡る。かいがいしく利他のハタラキに転じて活動を楽しむことができるようになる。宇宙中を活躍の場所とすることができるようになる。

 

これが因果の法である。諸行無常と是生滅法までが前半の偈、原因の偈。生滅滅已と寂滅為楽が後半の偈、結果の偈。結果へ導くのが原因である。前半と後半は一道である。切断がない。みな導かれて導かれて守られて守られて、涅槃寂静に帰着する。寂滅為楽に結果して行く。

 

 

これはわたしの読みです。みなさんはみなさん流に読んでみてくださいね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

案じないでもよかった、という結論に帰着して終わることができる身。

2021年05月15日 17時14分49秒 | Weblog

案じて案じて案じて、日々の命を繋ぎ、案じて案じて案じた命の幕を閉じ、そして浄土に渡って、渡り終えて、やっと「畢竟するに案じないでもよかった」という結論、大安心、涅槃と寂静に到達帰着する。

 

それまでは案じて案じて案じて暮らしている。迷って迷って迷って暮らしている。恐れて恐れて恐れて暮らしている。行きつ戻りつして落ち着きがない。死ぬまではこうだ。

 

案じないでもよかった、迷わないでもよかった、恐れないでもよかった、という落ち着きに落ち着いて行く。死んだ先でこの大きな落ち着きが与えられる。

 

われわれはみなこの滅度に入る。入れるようにしてある。そのお慈悲が完備されている。この完備はわたしにできることではない。故に、ただただおのずからに配備されているものである。

 

われわれの帰り着く命のふるさと、お浄土は涅槃の世界である。大安心の世界である。そこへ帰って行く。そこへ帰着して行く。迎えられて行く。宇宙の大法に迎えられて行く。

 

 

わたしはそのように思う。そのように思って安堵する。だが、わたしはまだ迷いの中にある。今生に執着している。執着の迷いの中にあって暮らしている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの俳句鑑賞。鶴が北へ帰って行く。われわれも命のふるさとへ帰って行く。

2021年05月15日 16時39分18秒 | Weblog

鶴帰る身に寸鉄も帯びずして   神戸市 上岡あきら さん

 

 

NHK短歌五月号 対馬康子選 3席入選の句。 季題は「引鶴」。キリリと引き締まった俳句になっている。

 

 

春が来てあたたかくなって、鶴がシベリアに戻って行く。幾万里を超えて。峻厳な連山を雲高く飛び越えて。

鶴の覚悟も感じられるが、それができる安心も語られているようにも思われる。

 

寒い冬を日本で過ごしたその鶴が、着の身着のままで、何も持たず携えずに、また北へ帰って行く。まさに「寸鉄も帯びず」に、潔く、勇敢に、堂々と。

 

我々人間も同じ旅をする。最後にふるさとの浄土に帰って行く。やはり寸鉄も帯びることなく。裸の魂のままに。身を守るための武具も身に帯びずに。案じることもなく。

 

それをそうすることが許されているのだろう。それを貫徹するだけの大慈悲が働いているのだろう。

 

案じないでもいい。案じないで北へ、命のふるさとへ、帰って行けるようにしてある。それを暗示してもあるような。

 

 

鶴はツル目ツル科の鳥の総称。日本には丹頂鶴、真鶴、鍋鶴などが生息している。「たず」とも言う。

「寸鉄」は身を守る小さな刃物のこと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初収穫のズッキーニ

2021年05月15日 15時38分11秒 | Weblog

初なりの黄色ズッキーニ。

 

初収穫をした。

雨がしばらく止んだので、家内が畑へ行って、摘んできた。二本も

 

まずは、仏さまにお供えする。

 

今夜の夕食のお皿に、恐らくは、スライスした油炒めが、眩しく並べられるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島々も、その島影すらも、これに洩れない。

2021年05月15日 15時23分10秒 | Weblog

入り日とふ真っ赤な涅槃浮かべたる海沖合に島影沈む    暁 耀(ぎょう よう)

 

 

涅槃寂静の涅槃がどんな色をしているのか、知らない。海の沖合に沈んでいく入り日の色のように真っ赤にしているかも知れない。

 

涅槃はニルバーナである。大般涅槃の寂静、寂滅である。大きな大きな安らぎである。滅度とも呼ばれる。

 

海は真っ赤な涅槃を浮かべているので、島々が大きな安らぎを覚えて、その真下に沈んで行く。そういう風景が広がっている。

 

釈迦牟尼世尊は涅槃に入られた。入定された。世尊のみならず、みな誰人も、一人残らず死んで行くが、死んだら涅槃に入って行くのである。大安定を得ていくのである。そしてその次ぎの段階に移行する。

 

島々も、その島影も、これに洩れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

距離を縮めて、触れ合っていたい。たがいに好き好きになって。

2021年05月15日 15時14分16秒 | Weblog

ヒトといへど星の元素と同元素 肌触れ合えば光子飛び立つ   暁 耀

 

 

触れたい。触れ合いたい。星雲の一つの星と一つの星が、距離を縮めて、触れ合う。そして光子を遠くへ飛び立たせる。

 

わたしも、ちりばめられた星雲の、その1個の星。距離を縮めて、触れ合っていたい。

 

好きな相手と触れ合って、美しい光子を放って、美しい時間を過ごしていたい。

 

想いを寄せ合えば、好きと好きになれば、そこにはいくらでも美しい時間が流れるはず。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも飲んでるコーヒーカップです

2021年05月15日 14時56分16秒 | Weblog

いつも飲んでるコーヒーカップです、これは。

焼き物の知識はありません。

何処のかも分かりません。

 

でも、いつも手にしているから、これで落ち着きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙に落ち着かない。そわそわ、もぞもぞしている。

2021年05月15日 14時51分27秒 | Weblog

ただいまの外気温は21・7℃。スマホは丁度いい温度と書いているが、僕には寒く感じられる。

 

雨は、小止みになっている。蝶蝶がつがいで飛んでいる。

 

庭の一角に南天。白い花の房を、紫陽花のそれのように、円錐形にこんもり着けている。

 

 

雀たちが庭の餌場にやって来ているが、餌がない。餌を撒きに行く気にもなれない。

 

 

今朝からゴテチャが咲き出した。花は小さい。赤い色をしている。わわわわわっというふうに葉を茂らせている。茂らせすぎている。

 

 

僕は、こんなふうに回りのあれこれをことばで描写して、僕を落ち着かせようとしている。妙に落ち着かない。

 

 

どうしたらいいんだろう。いい詩が書けたら落ち着けるかも知れない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気が出るまで、音楽を聴いている。

2021年05月15日 14時37分37秒 | Weblog

いよいよ当地も梅雨入りした。雨が降り続いて、止まない。

 

ちょっと傘を差して外に出たら、うっかり濡れてしまった。寒い。

 

我が家の黄色ズッキーニは、もう数本が収穫ができそうになっている。

 

でも、雨に濡れてまでは、収穫はしてこなかった。

 

家の周りを一周しただけで、あちこちが濡れた。

 

家の中に戻って来て、半袖を着替えて長袖にした。それでも鼻水が出る。

 

あったかいコーヒーを飲んであたたまることにした。

 

今日は土曜日、S新聞読者文芸の作品発表の日だった。

 

川柳も俳句も短歌もみな落選の憂き目を見た。がっかりした。

 

がっかりしたら、元気もなくなった。己のみすぼらしさが哀れになる。

 

あはれ、次の週の投稿作品が書けなくなった。

 

音楽を聴いて過ごしている。元気が出るまでこうしていよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする