「年齢相応」にして過ごしているのが一番かもしれない。高齢になっていくほどに、活動の幅を小さくして行く。動きをできる限り小さくして行く。振幅を少なくして行く。反応もできる限り細くして行く。大袈裟にしない。ぶれない揺れない。それが年齢相応になる。
行動の幅も小さくして、それから感情の振幅の幅も少なくして行く。いるかいないか判別不能にして行く。すると、あの人はいいお爺さんだと認めてもらえるだろう、きっと。刺激を刺激としないでおく。無反応でいる。
いわゆる「枯れて」行く。芽も出さない。葉も着けない。もちろん花を着けることもない。インプットをできるだけ小さく細くして、ひたすらに死の準備に入って行く。老衰の段階を自然に受け入れて行く。
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いやいや、そうはいっても、お元気な高齢者もおられる。生涯現役を通そうとしておられる方もいる。トップの座を維持しておられる方もいる。旺盛な食欲を見せておられる方もある。いよいよ芸道を極めておられる方もある。一概には言えまい。
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老人の一日は長い。この老人、わたしの老いの一日は長い。のろのろしている。
何をしてもいいし、何にもしないでもいい。
それをよしとするか、よしとしないで反撃に出るか、それも自由になっている。どちらにするか。どちらにするにも、そうする義務がない。
さ、しばらくお昼寝をするとしよう。