「陶淵明の帰去来の辞を読む」
歸去來兮 歸去來兮(かへりなん いざ)
田園將蕪胡不歸 田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役と爲す
奚惆悵而獨悲 奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
悟已往之不諫 已往の諫めざるを悟り
知來者之可追 來者の追ふ可きを知る
實迷途其未遠 實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
覺今是而昨非 覺る 今は是にして 昨は非なるを
さあ帰ろう、田園が荒れようとしている、いままで生活にために心を犠牲にしてきたが、もうくよくよと悲しんでいる場合ではない、今までは間違っていたのだ、これからは自分のために未来を生きよう、道に迷ってもそう遠くは離れていない。来し方に振り回されずに、今日は今日を生きていよう。(ここはさぶろうの訳出ではありません。とてもとても旨い訳がしてありますね)
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高校生のころに大塚文彦先生から国語の漢文の時間にこれを学んだ。先生は左の頬に豆粒大の黒子(ほくろ)があった。先生に唱和してのち、ひとり家の近くの林に遊んで何度も何度もこれを朗読した。そしてことばの酒、音韻の音楽を口に含んで、酩酊した。あれから陶淵明が大好きになった。大学に入ってからもこれは続いた。気が滅入ったときには漢文を朗読した。すると気が晴れて行った。あの頃が懐かしい。
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今日は帰去来の辞の本の一部、出だしの部分を掲げてみた。
已往(いおう 過去)の諫めざるるを悟って、来者(未来)の追うべきを知る。まことに途(みち)に迷うことそれ未だ遠からざれば、今の是にして昨の非なるを覚る。
取り返しが付かない過去を取り戻すような愚はいまさらすまい。今日を出発して明日へ歩きだそう。
ここなんかを読むとじいんと来たものだ。そうだそうだ、そうだったんだと思い直すことができた。英文学の途を放棄して中国文学へ進んで行こうとさえ思った時期があった。決心はもろくも潰えてしまったが、あの時期が懐かしい。
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