6
「しぐれ」は「過ぐる」からの由来。通り雨のこと。過ぎて通って行く。
では、僕にとっては女性はすべて「しぐれ」だ。みな通り過ぎて行ってしまう。
カツカツカツカツ、ハイヒールの音が近づいて来て、わたしの胸の鼓動を最高に高まらせておいて、そして過ぎる。通り過ぎる。
「無常」というのも、通り過ぎて行くから無常。立ち止まらない。変化して変化して変化して行く。これでいいのだ。
6
「しぐれ」は「過ぐる」からの由来。通り雨のこと。過ぎて通って行く。
では、僕にとっては女性はすべて「しぐれ」だ。みな通り過ぎて行ってしまう。
カツカツカツカツ、ハイヒールの音が近づいて来て、わたしの胸の鼓動を最高に高まらせておいて、そして過ぎる。通り過ぎる。
「無常」というのも、通り過ぎて行くから無常。立ち止まらない。変化して変化して変化して行く。これでいいのだ。
5
電子辞書を紐解く。
「時雨煮」というのは、貝類の剥き身に生姜や山椒などの香味を加えて醤油砂糖で煮染めた料理のようだ。だったら、喰ったことがある。でもなぜそれが時雨煮なのだろう。
「時雨れる」という動詞形も源氏物語の時代から使われていたようだ。泣いて涙がこぼれる、涙を催す意味にも。
4
少し気温が下がった。僕は脱いでいたジャンパーをまた着込んだ。するうちに雲の間から明るい日射しが差し込んで来た。しばらくしてまた曇る。
こうやって次第に秋が深まり、寒くなっていくのだろう。
今朝は珍しく雀が瓦屋根に来て鳴いた。この頃雀を聞くことが少なかった。
3
いまさっきその「秋の時雨」が歩いて来て通り過ぎて行った。一頻(ひとしき)りだった。道路のアスファルトが微かに濡れている。空はしかしまだ降る気がありそうにしている。
合間を縫うようにして百舌鳥が鳴く。渇きを潤した大地と草木は嬉しがっている。
2
時雨。さらりとおんなの人の流す涙、すぐに乾く男の涙を譬喩してもよさそうだ。
本阿弥光悦の名茶碗にこの名がある。
時雨がいまにも降り出そうとする空模様を「時雨心地」と言い習わす。それから発して、涙をそそられる物心をも指すようになった。
1
時雨。「しぐれ」と読む。「過ぐる」から来た語らしい。通り雨のこと。秋の末から冬の初めに掛けて降る。すぐに止む。一頻り続くものの喩えにも用いる。小説の題名に「蝉時雨」があった。
「時雨月」とはいまこの10月の陰暦異称。芭蕉はこの月の12日に亡くなった。「芭蕉忌」もこの月にする。
どうすべきか。
お返しがしたい。お礼がしたい。
どうしていいかは分からない。
生まれてから死ぬまでいただいていただいて過ごして来た。
わたしはお返しをしていない、一度も、少しも。
こんなにもこんなにもいただいて来たのに、それをそうとも思わずにいた。
不平と不満で我が身をいっぱいいっぱい膨らませていたので、それをそう受け止める隙間すらなかった。
その傲慢を恥じる。横着を恥じる。
今日は今日で秋の空を頂いた。高い広々とした空の爽やかさを頂いた。
3
この頂き物は、しかも、溜めておくことをしないですむ。次から次から頂いて行ける。オレの物だといって所有をしないでもすんでいる。争わないでもすんでいる。誰もが等しく、違わず等分に頂いている。オレのが少ないなどと言わないですんでいる。
2
このようにこのようにこのように、頂いております。頂くことがこんなにもこんなにもこんなにもたくさんだった。このように見て、無一文のわたしは無一文ではなくなった。わたしはゆたかでゆたかでゆたかである。しかもみんな手放しで。
1
空を頂いております。空の広さを頂いております。空の深さを頂いております。空の明るさを頂いております。空から降り注ぐ日の光を頂いております。空を満たしている空気を頂いております。空を行く雲のほほえみを頂いております。空の下には山を頂いております。