やっと着きました、蛇の湯温泉の「たから荘」。
「たから荘」の存在を知ったのは、10年以上前に遡る。
当時の私は多摩地域の住民。都民にとっての「奥多摩」はわざわざお金をかけて泊まりに行くようなところではない。日帰りで十分という位置づけにある。
千葉県民になってからは片道150キロもする距離なので、2年前から奥多摩に訪ねるたびに泊まるようになった。
20品以上もある料理作りやお客さんに接待する若主人は今年で28歳になる。
チャングムいわく「若主人はいるのかな?韓国ドラマの「若者のひなた」みたいに若者たちがソウルを憧れ、炭鉱の村、舎北(サブク)を捨てて行ったと同じように東京に出てしまったのでは?」
ハン尚宮(母)「17代も続いているから、そう簡単に捨てるはずがない。きっといるかもよ?」
思っていたとおり、若主人が「ようこそ、おいでになりました」とお出迎え。
夕食まで時間があるので、この周辺を散策。お勧めスポットは1999年に廃校になった数馬分校。 たから荘の向かいにある「数馬分校前」の地名がついている信号機。
この先ずっと信号機を見かけないので、これは青ヶ島小中学校みたいに教育の一環として設置されたと思われる。
1908年(明治41年)には子供が71名、1999年閉校時に7名。
分校の正式名称は「檜原村立檜原小学校数馬分校」。
かつては村内にいくつかの小学校があったけど、現在は村役場周辺の「檜原小学校」に集約されてしまった。
石垣で出来ている校門。近代的な校舎に建てかえられると古めかしい校門は撤去されるが、ここは廃校までこの状態で保っていた。
恐らく明治の開校時から門を潜る子供たちをずっと見守っていたに違いない。
あれ?廃校とは思えないほどペンキで塗り直されていますね。
去年は雨風で剥げていたり、一部風化された部分もあったが、きちんと補修されていました。
もしかしたら、地域の交流の場として現役として使われているみたいですね。 校舎の玄関前に置かれてありました。子供たちの作品でしょうか。
鍵がかかっていて、校舎の内部を探検することができなかったが、玄関の外から内部を撮影。
今はシンと静まり返っていますが、昔はすごくにぎわっていたに違いない。
グラウンドから眺めた校舎全景。
チャングムいわく「サッカーゴールの上にバスケットと一体化!?珍しいね」
体育館がないから、外でもバスケットができるようにと取り付けられたかも・・・。