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廃校浪漫紀行の本

2006-06-15 00:03:07 | 奥多摩&檜原

Haiko1 図書館に廃墟マニアの本、鉄道廃線の本とか色々所蔵しているのに、廃校の本が1冊もないので、選書会議を経て発注。
 よほど変な本ではない限り、利用する見込みはあるか、信頼できる出版社なのか内容を吟味してから発注することになっている。
 この本も受け入れ決定になり、およそ2週間後には借りられるのだが、気の早い私はネットを通して購入。
 タイトル「廃校浪漫紀行」
 著者  鎌田聡(東京都青梅市在住)/出版社 文芸社/発刊年月日 2002年1月15日
 値段 1,000円+税 ISBN 4-8355-3048-9
 この本を読んでみると、まさに目からうろこが落ちた。
 多摩・秩父地方の廃校を全て訪ね、その場所から得られる独特の雰囲気や地域の図書館で学校に関するデータを調べた大集成ともいえる本。
 数馬分校しか知らなかったけど、檜原村内にたくさんの小学校があった。
 ・檜原小学校(現在、村内でただひとつの小学校。昭和57年に近代的な建物が建てられたが、それ以前までは今の檜原村役場敷地内にあった)
 ・共励小学校 ・北檜原小学校 ・北秋川小学校 中学校 ・藤倉小学校 ・南檜原小学校 ・南秋川小学校 中学校 ・檜原小学校数馬分校。
 
 現在でも建物が残っているのは、北檜原小学校(渋谷区の宿泊施設)・藤倉小学校(劇団が利用中)・数馬分校の3ケ所。
 
 ・廃校はいざなう のホームページにも紹介されています。 

【伊豆諸島・小笠原の廃校】
 私の知っているところは3ケ所だけ。調べれば、ほかにもあるかも?

 ・三宅村立阿古小学校(移転)
   昭和58年噴火の火砕流で埋没したコンクリート建ての小学校跡が見られる。

 ・八丈町立鳥打小中学校・宇津木小中学校(1969年廃校)
   八丈小島は八丈島の北西に位置する小さな小島。
   1969年(昭和44年)当時、電気・水道などのインフラ未整備を理由に
   30世帯93人の全員移住を余儀なくされた島。
   小さな島に2つの小中学校があったのですね。

   黒潮の海に切り立つ無人島

 ・小笠原母島 北村小学校(1887年開校~1944年廃校)
   母島の北端、北村に戦前までは人が暮らしていたが、第二次世界大戦で
   北村島民を全員疎開させたため、廃校。
   現在でも入口の石段だけ残っている。
       父島でもいくつかの小学校があったみたい。大村小学校(1884年開校)と
   母島の沖村小学校(1886年開校)は現在の小笠原小学校と母島小学校に
   引継ぎ。
   
   父島  扇浦小学校(1878年開校)首なし尊徳像はもしかすると扇浦に
        あったものを夜明山に移転、そこで爆撃を受けたのか?

   母島  北村小学校(1887年開校)
   硫黄島 大正小学校(1913年開校)

今でも廃校の雰囲気が得られるのは、北村小学校だけ。校庭にカジュマルが生い茂っているが、100年以上前の同じ場所では子供たちの歓声で賑わっていたに違いない。

コメント
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