昨日は1922(大正11)年製造のSLあそBOYの話を書きましたが、今日は国内最古の電車を紹介しよう。
タイトルに書いてあったとおり、今は現役を退いてしまいましたが、ついこの間(といっても、2003(平成15)年じゃん)までは山口県の山陽側にある、小野田線の本山支線で細々と走っていた。 この古い電車の形式は「クモハ42」と言い、国鉄の前身であった鉄道省が1933(昭和8)年、13両を製造。
1950(昭和25)年までは京阪神で現在の「新快速」に相当する電車として運転。
大阪から三ノ宮の30.6キロを最短24分で駆け抜けたと記録があり、今の新快速20分と比べるとわずか4分なので、戦前の電車にしては性能がよかったに違いない。
国鉄は現在のように分割が行われていなかったので、東京の田町電車区に転属。
1957(昭和32)年といえば、戦後の高度経済成長期。
首都圏に新型の通勤電車(つまり、今の山手線の3世代前の全面ウグイス色をまとった電車)が登場。
この古い電車は「ボロ国電」と呼ばわりにされ、地方に飛ばされてしまった。
このような経緯を経て、この頃から山口県の小野田・宇部線で活躍。
1981(昭和56)年、新しい電車の投入により、この電車は両運転台の特異性を活かし、わずか2.3キロの本山支線に追いやられてしまった。
その頃から全国的に茶色の電車が次々と姿を消してしまい、小野田市(現 山陽小野田市)の観光名所になってしまった。
本山支線専用電車として3両残っていたが、部品の確保が難しくなり、2両を廃車にして残り1両のために部品取りをするようになったのは2000(平成12)年。
相棒がいなくなってから3年経過した2003(平成15)年、負担も増したのか故障も多くなり、毎日営業運転する現役から退いてしまった。
山口に帰省中、小郡駅(現 新山口駅)で「さようならクモハ42形」の記念オレンジカードが売られているのを偶然見つけ、買ってしまいました。 最初で最後の乗車は1998(平成10)年の夏。
本線の雀田駅から周防灘に向かって延びるわずか2.3キロのレールは支線と言い、途中の駅は浜河内(はまごうち)、次は終点長門本山駅。
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