青ヶ島の話題はまだまだ続きますが、ちょっと気分転換に「小笠原」ブースに移動します。
週1便の「おがさわら丸」が竹芝桟橋を出航するのは午前10時。
父島に着くのは翌日の午前11時半、25時間半の船旅しかありません。
「おがさわら丸」の速力はおよそ20~25ノット(≒時速30~40キロ)なので、1000キロの船旅にどうしてもその時間を要しなければならないのです。
さらに50キロ離れた母島への乗り継ぎは、13時発、14時30分着なので、計算してみると、なんと28時間半。
日本の裏側、ブラジルのリオデジャネイロに行くよりも遠い「東京」なんです。
父島は小笠原村の中心地なので、1000人乗りの「おがさわら丸」からどっと押し寄せるように降りて行きますが、母島行きの「ははじま丸」はとても空いていました。
言い換えれば、父島は八丈島、母島は青ヶ島、といったような雰囲気に似ています。
道理で小笠原へはいつも母島へ直行してしまいます。(笑) 小笠原ブースにあった、大きな宣伝ポスター。
小笠原村も今年で40年目。
戦前までは5つの村がありました。
父島に大村、扇村袋沢村、母島に沖村、北村、硫黄島に硫黄島村。
昔は東京から1250キロ離れた硫黄島でも家が建っていたり、さとうきびを栽培したり、多くの住民が暮らしていました。
アメリカ軍が硫黄島を本土を攻める戦闘基地にしようと制圧、交戦した日本軍は玉砕した場所として有名です。
隆起が激しく、港も作れず、旧島民の帰島も許されず、現在に至っています。
終戦後、小笠原諸島は沖縄と同じくアメリカ軍の占領下に置かれました。
1968(昭和43)年6月26日にアメリカ軍から返還、本土復帰してからもう40年目になります。 小笠原復帰記念は右側のオレンジ色。
左側は国立公園シリーズとして発行されたものだけど、なぜか「小笠原」だけ買い占めてしまい、数枚も・・・。
ハガキに貼る切手として小笠原へは必ずかばんの中にしのばせていました。
青ヶ島をモチーフにした切手は今まで1度も発行されたことはないのですが、丸山などの写真を切手にしてもらうことも可能になりました。
・ フレーム切手(郵便局株式会社)
小笠原ブースだけは南国情緒が漂いますね・・・。
珍しいものを見つけてしまいました。
なんと「沖ノ鳥島産 マグロくんせい」。
沖ノ鳥島は確か、「小笠原村」に属するもので、もともとは海面上に突き出た岩のようなもの。
その岩が削られてしまうと、排他的経済水域が失われてしまうので、消波ブロックやコンクリート護岸工事などを施し、外国に「ここは日本領土である」と主張するために「小笠原村沖ノ鳥島1番地」とかのプレートを立てたとか、1、2年前のニュースで聞いたことあります。
こちらは「小笠原弁当」コーナー。
島寿司や小笠原の食材を使ったおかずなどで豪勢になっていました。
小笠原の特産品販売コーナー。
沖縄とほぼ同じ緯度なので、売られている商品もなんとなく沖縄っぽいです。
初めての小笠原は右も左もわからず地図を頼りにして回っていたのですが、何度も行っているうちに把握できるようになりました。というか、私は父島より母島のほうが詳しいかも??(笑)