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青ヶ島かぞえ唄

2008-06-12 00:00:00 | 青ヶ島

 以前、郷土芸能保存会の「島唄」や「島踊り」の挨拶音声部分を聞こえる友人に頼んだところ、「カ・・・唄」と聞こえるけど、「カトリ唄なのかな?」と自信なさそうに答えてくれました。
 どんな「歌詞」になっているだろうね、と気にしていました。
 たぶん、方言なんだろうと「カトリ唄」とそのまま載せてしまいました。

 すると、ご案内しているのは「かぞえ唄」ですとコメント欄にて教えてくださいました。

  ほぼ日刊青ヶ島日記:2007年11月 の記事にあった、かぞえ唄を抜粋させていただきました。(2007年11月3日の記事)

  

♪一つとせ 人里離れた池の沢 通る人影懐かし 声をかけやれお互いに 
   二つとせ 見渡す向こうに丸山が 湯葉から白煙立ち上り  おじゃれおじゃれと呼びよせる 
   三つとせ 両親離れて出るからは 志おば大に持ち はばたけ世界の大空へ 
   四つとせ 心残して島を出る 都会のよいとこ身につけて帰るその日を楽しみに 
   五つとせ 東京へ八丈へ行くけれど 思えば懐かしい父母の里
                       
   生まれ故郷を忘らりょか
(本当は10番まであります)

  この唄は「哀歌」というよりも、「希望」と「羽ばたき」に近い感じがします。
  牛祭りや運動会などのイベントで歌われるのは、このかぞえ唄のようですね。
 
 高津勉著「くろしおの子:青ヶ島生活と記録」1955年発刊(出版社:新日本教育協会)に載っていたような気がする・・・ともう1度読み返してみましたら、やはりありました。

       一つとせ 人に知られぬ青ガ島  船は  年に四航海
      二つとせ 二人相びきチョン平  牛がやきもち  もうやめろ
      三つとせ 水は天からもらい水  村の世帯は  国頼み
      四つとせ 世直しお祈り巫女さんは  朝から晩まで  デイラホン
      五つとせ いきな娘はいないけど  子どもは平均七・三
      六つとせ 麦も実らぬ  火山島  カンモで生きる  四百名
      七つとせ なにもないけど  島酒は  老いも若きも  浴びるほど
      八つとせ 八重の椿は咲くけれど  咲くに咲けない  文化の灯
      九つとせ 来る日来る日も船待てど  港がないのが  恨めしや
      十とせ   東京都からは忘れられ  文化果てたる  青ガ島
 

 まるで哀歌のようだけど、この唄だけで当時(昭和30年頃)の様子を凝縮しています。
 今の時代、東京から飛行機とヘリコプター、うまく乗り継げば、わずか2時間で東京都最後の秘境に着陸。
 ヘリコプターが満席で乗れないときは、八丈空港から八重根漁港にタクシーで移動、10時半発の還住丸に乗り込めば13時には着いてしまいます。
 簡単に三宝港に着岸できるわけではなく、少し前にアップした動画みたいに木の葉のようにゆらゆら揺れながら接近してきます。
 ちょっと波が出ていると、タイミングを見計らい、何度もリトライしているとか・・・。
 日曜日以外は毎日運航していますが、昔は年に数回しか船が来なかったそうです。

  教えていただいた、かぞえ唄はぱっとみてもすぐわかりますが、昔はちょっとわかりずらいので、ちょっと補足してみます。

 「水は天からのもらいもの」
   →水道もなかった昔、桶のようなものを外に出しておき、雨水をためていました。
    尾山展望台付近の山肌にコンクリートで固まったスキー場のような斜面は簡易水道の取水施設。今でも雨水を塩素で消毒し、各家庭の蛇口に配水しています。
    青ヶ島の水道は御蔵島の源水と同じくらい美味しい。
    ふれあいサウナで汗をたくさん流したあと、備え付けの冷水器で飲むと爽やかな気分になれます。

 「子どもは平均七・三」
   →当時人口400名(現在約200名)のうち、子どもは3分の1を占めていました。

 「いきな娘はいないけど・・・」
   →昔から八丈島は女島、青ヶ島は男島と言われていたとおり、男性が多かったそうです。でも、今の青ヶ島を見ていると、島とは思えないほどお洒落できれいな人ばかり。

 「カンモで生きる」
   →昔は船があまり来なかったため、カンモ(さつま芋)を食料にしていました。港もないため、魚を食卓にあがることはなかったみたい。

 「島酒」
   →今は商品化されている焼酎の「あおちゅう」。原材料は島で採れた「カンモ」。
    なぜかわが家では何本かストックしています(笑)

 「咲くに咲けない 文化の灯」
   →不便なのは交通事情だけで、生活水準は街と変わらなくなりました。


000220080612  中村太郎作品展 「東京都青ヶ島」
 出版社:フォトサロン
 発刊年:2000年
 価格:800円

 唄に謳われている、昔の様子を知りたいときはこの写真集がお勧め。
 表紙は昔の三宝港。港とはいえ、ただの船着場でした。
 背後に見える大きな岩は現在でも見られますが、真ん中より下はコンクリートが打ち付けられています。
 著者の中村太郎氏は論文作成のため、1959(昭和34)年、青ヶ島に上陸。
 ネガを眠らせておくのはもったいない、写真集にしてくださったそうです。

コメント (2)
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