比較的新しい本のスペースを増やすため、古い本を引き抜き、書庫に移動しています。
書庫で整理するときに「離島の四季」という古い本を見つけました。
もしかしたら、私の好きな島も載っているかなと頭をよぎり、手にとってみました。
青ヶ島、小笠原、しかも硫黄島も含まれているじゃないですか!!
その場でまったり・・・というわけではないので、借りてきました。 目次を見て、真っ先に開いたページはやはり「青ヶ島」。
心のふるさとをもとめて日本発見14
離島の四季 定価1700円 暁教育図書株式会社
昭和55年8月1日発行。
撮影日はたぶん、半そで姿に右の小さな突き出ている桟橋に浮輪が見えるので、1979(昭和54)年の夏かな。
30年前の三宝港ってこんなに小さかったのですね。 2007年夏の旧堤。
今の還住丸は新堤(2001年完成)で発着しています。
昔は大きな岩のある旧堤から発着していました。 1番上の写真は1979(昭和54)年より20年前の1959(昭和34)年の三宝港。今からちょうど50年前。
「港」とは名ばかりで船着き場でした。
この港だからこそ、昔の人々たちは本当に苦労してしまったに違いない。
当時は年に4~5回しか、船が来なかったので、唯一内地とつながる手紙が何よりも楽しみだったらしい。
今の青ヶ島は携帯電話3社使えるし、インターネットもブロードバンド。
書状のものはヘリコプターで運ばれるので、配達スピードは内地と変わらず。
荷姿がダンボールなどの箱状は基本的に船なので、欠航が続くと貨物専用機として夕方の臨時ヘリが飛ぶこともあるそうです。 1980年の父島(小笠原)の境浦にたたずむ濱江丸(ひんこうまる)。
太平洋戦争中(1944年6月12日)にサイパンの北方沖で米軍の魚雷による爆撃を受け、応急処置しながら漂流するうちに、父島・境浦沖に座礁。
(この写真は座礁36年目)
1997(平成9)年(座礁53年目)、念願だった父島上陸を果たし、境浦に行ってみたところ、この写真よりは半分崩れかけていました。
98年、99年、00年、02年・・・立て続けに年に1回は小笠原へ。 3年のブランクがあり、05年久しぶりに行ったときは、船体が海面下に沈んでしまい、満潮時だと姿が見えないときも・・・。(座礁61年目)
今年の夏は4年ぶりの小笠原でしたが、母島をメインにしてしまったため境浦に行けず。
2010年は座礁66年目になろうとしていますが、シューノケルで海底を覗けば、まだまだ残っているだろうと思います。 ここはどこなんだろう?
母島?と思いきや・・・返還12年目の二見港。
ここが小笠原村の中心地なんて信じられない。 2005年の中心地。
上の写真に比べると、ずいぶん「街」を形成していることがわかります。
自分の好きな場所の昔はどんなふうになっていたか、調べるのは楽しいです。