12月5日(月曜日)は朝からお天気がよく、汗ばむほどの陽気だったというのに、6日(火曜日)は朝から冷え込みが厳しく、夕方あたりから雨が降り始めました。
そんな日はキジバトちゃんは遊びに来ないそうです。
昨日みたいなよいお天気だと遊びに来てくれました。
現行の80円普通切手もキジバトなんですが、昔の62円切手は美しかった。 ↓ ↓ ↓ ↓ 今からおよそ20年前の平成4(1992)年発行のものですが、このデザインが我が家によく遊びに来るキジバトであることはあまり意識していませんでした。
御岳山の続きです。神社入口に必ず、参拝者が水で手や口を清めるところが置かれています。これを何というのか、調べてみると「手水舎」(てみずや)。
お犬様専用の柄杓が置かれていました。
ここは神社前のメインストリート。
お土産店や喫茶やお食事できるところが建ち並んでいます。 ここでも青い住所表示。私の住んでいるところの田舎は、このような青いプレートはありません。それなのに、日本郵便をはじめ宅配業者はプレートがなくてもちゃんと届けてくれます。
山頂唯一の郵便ポスト。青梅市内だというのに、取り集めは羽村支店になっています。
平日11:30 休日8:50 1日1回。
奥多摩町内は羽村支店奥多摩集配センター。
青梅市の市街地は青梅支店なのに、同じ市内の御岳山とか極端な田舎は羽村支店御岳集配センターが受け持っているようです。
青ヶ島も含む伊豆諸島全地域、小笠原のポストに投函されたものはすべて「新東京」。民営化される前は、その島の名前が入る消印なので、そのほうがよかったのに。
ここは御岳山の茅葺屋敷です。
今も家の住民が日常生活を送っているので、敷地内に立ち入りはご遠慮くださいとのこと。
この家についての説明が立てられていました。
「馬場家御師住宅
馬場家は甲斐武田氏の重臣馬場美濃守の流を汲む家柄と伝えられ、万治2年(1659)に死去した左衛門を初代とし、代々武蔵御嶽神社の御師(おし 神職)を世襲してきている。
現存する家屋は、馬場家10代目当主駿河が、幕末の慶応2年(1866)に、その「寵愛」する妻 茂よのための実家である須崎家を模倣して建てたと伝えられている。
建物は桁行7間(約12.7m)・梁間5間(約9m)・入母屋造り、茅葺き、平屋建て(一部2階)、5間取り、千鳥破風玄関付で、工匠は多摩郡沢井村の滝島河内。
建物の内部は御嶽神社に参詣する信者のための宿坊や祭式の設備が整えられ、客室には書院造り風の座敷飾りなどが施され、御師住宅の完備した姿を表している。
建築年代も明らかであり、幕末期の御師住宅を知る上で建築史上貴重な建物である」
1866年建築の建物なので、145年前。
標高1000メートルだというのに、昔の人は石を担いで登ったみたいですね。
御岳山の紅葉を楽しめるのは11月下旬まで。
12月に入ると、散ってしまいそうです。
御岳山頂から眺めた、JR青梅線沿いの市街地。
11月28日は朝から曇っていたため、墨田区のスカイタワーは見えませんでしたが、よく晴れていて空気が澄んだ別の日だと見えるらしい。
次の記事は御岳郵便局。風景印をスキャンしようと思っていたのに、メインのパソコンが故障してしまい、今はノートブックで編集中。
新しいパソコンが来たら、スキャンしアップする予定です。