昨日、都内にありながら日本一秘境村からスーパー超速達便で届いた、トビウオ。ヘリコプターも飛行機もなかった、昭和30年代(今から半世紀前)の郵便事情は、内地から青ヶ島宛は早くても1ケ月程度。最長3、4ケ月待ち。
艀作業に成功し、青ヶ島から出すとしても、八丈島に寄港し、それから東京。高速道路もなかったので、早くても1、2週間。本土から青ヶ島に手紙を出して、返事が来るのは3ケ月から半年後。艀作業に成功すると、真っ先に下ろされるのは郵袋。男子は重労働に従事、女子は下ろされたばかりの手紙を読んで、その場で返事をしたため、沖合の大型旅客船に託していました。そのチャンスを逃してしまうと、次に来るのは4ケ月後。
その頃、赴任してきた青ヶ島小中学校教師は過酷な環境にお手上げ、次に来る船で逃げてばかりでしたが、10年も教鞭を取ったのは高津勉先生。時代は遡り、昭和25年。軽い気持ちで青ヶ島村立小中学校教師に応募。赴任することになり、青ヶ島までの道のりはおよそ3ケ月。行き先は青ヶ島だというのに、中継地の八丈島で3ケ月近くも滞在。東海汽船の青ヶ島延伸が決まった日に乗り込み、沖合から小さな小型ボートに乗り換え。褌姿の青年団がエイサ、エイサと掛け声とともに漕ぎながら船着き場へ。重たい荷物を運搬する牛だらけ、急こう配を這い上がりながらやっとの思いで集落にたどり着いた。想像を絶する過酷な環境だ、次に来る定期便(およそ4ケ月後)で逃げてしまおうと目論み。しかし、逃げては青ヶ島の子供たちに未来はないと10年近くも教鞭を取りました。伊豆諸島で公立図書館があるのは、大島、新島、三宅島、八丈島、青ヶ島。(新島は新しくできたばかりです)青ヶ島村立図書館があるのは、島における教育の充実をと本を取りそろえたのも彼の仕事でした。
あれから半世紀後の2013年。青ヶ島からでも翌日配達が可能な時代に・・・。
夕食のメニューは、フライドとびくん、とびくんをミンチにしてすまし汁、山口県の日本海側産ひじきごはん、餃子。
ケンタッキーで揚げるコロモはいろんなスパイスを混ぜ合わせているらしいですが、レシピは企業秘密。何とか真似て作ったらしく、「ケンタッキー風フライドとびくん」と名付けてしまいました。
ホンモノのケンタッキー店舗でチキンを揚げる要領で、トビウオを揚げたらもっと美味しくなるかも。
免許証に「東京都青ヶ島村無番地」の文字が入る手段は・・・・免許更新手続きの通知が届いたら、自分の住んでいる役所へ転出届を書いて転出証明書をもらいます。青ヶ島を旅し、村役場へ転出証明書とともに転入届を出し、晴れて青ヶ島村民の仲間入り。同時に住民票を発行してもらい、青ヶ島駐在所へ更新手続きのハガキと住民票を提出。駐在所内で顔写真を取り、免許証発行機で発行。
青ヶ島観光を楽しみ、帰る日になったら、村役場へ転出届を出し、転出証明書をもらいます。自分の住んでいる役所へ青ヶ島村でもらった転出証明書とともに転入届。免許証の住所表示は「東京都青ヶ島村無番地」なので、最寄りの警察署へ転入届と同時に発行した住民票と一緒に提出し、免許証の裏面に現住所を記入。
その後、何かしらの手続きに住民票を発行してもらうのに、前住所が記載されるので、「前住所 東京都青ヶ島村無番地」と印字されます。
仕事関係で青ヶ島で短期滞在期間中に更新通知が届いた場合、住民票を青ヶ島村に置いていなくても、青ヶ島に就労しているという会社の証明書さえあれば、島で更新可能。住所は他県だが、免許証に「東京都公安委員会」の文字が入ります。
青ヶ島熱狂マニアがやりそうだけど、さすがに私はそこまでやれず。住民票を取り扱う部署も同じ身内だから、本当にやってしまうと数日間青ヶ島村に登録しておきながら再び戻ってくるなんて「変な人」だとレッテル貼られてしまいそうです。(笑)
4月11日(木) × 欠航
4月12日(金) ○ 就航 条件付き 貨物船もタブル入港
4月13日(土) × 欠航
4月14日(日) ○ 就航 条件付き (臨時就航)
4月15日(月) × 欠航
4月16日(火) ○ 就航
―――(ここからは予想)―――
4月17日(水) ○ 就航 高気圧の影響により、就航できるでしょう。
4月18日(木) ○ 就航 貨物船もタブル入港
4月19日(金) ○ 就航(+) 就航できる確率は今のところ70%
4月20日(土) △ 就航(-) 就航率30%?
4月21日(日) 日曜日のため、運休日