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季刊ジェイ・トレイン

2013-12-08 01:08:00 | 日記・エッセイ・コラム

201312010011 表紙に惹かれ、買ってしまいました。雑誌の季刊ジェイ・トレイン。
 國鐵時代のDD51ディーゼル機関車に旧型客車。
 私が子供のころ、山陰本線の通学によく乗っていました。
 当時は古めかしい旧型客車のオハ33やスハ42・・・、キハ20やキハ26とか。
 長門二見駅の時刻表も、キハ(ディーゼルカー)は長門市行き。客車は福知山や米子、益田、浜田とか長距離列車もありました。
201312010012
 物心がついたのは、小学3年か4年くらいだったかな。
 朝の始発は福知山行き。地図で調べてみたら、もう少しで京都に届きそうなところ。その頃は長距離列車が多くあったため、珍しいとか特に気にすることはなく過ごしていました。
201312010013  その雑誌を読んだのはちょうど病院の待合室。
 父に「見覚えある?」とこの写真を見せただけで「すぐ長門二見(実家の近く)」
 ぱっと見ただけですぐ答えられたのは記憶力抜群。

201312010014  昔の長距離列車は8両とか10両も長い編成なので、ホームもとても長い。
 今は1両や2両のワンマンカーなので、長いホームは持て余し、出入口に近いところで停車。
 父が懐かしく思い出したかように「こういう汽車の側面窓下に「Ⅲ」や「Ⅱ」、「Ⅰ」の標識があった。「Ⅲ」はかなりボロ。3等車。「Ⅰ」は上等。切符の運賃もそれぞれ違っていた。Ⅲは1番安かった」「で、どれを乗ったの?」「当時は貧乏だから、Ⅲ以外は乗れなかった」とのこと。Ⅰは今で言うとグリーン車。Ⅱはグリーンと普通車の中間。Ⅲは普通車ってことになりそう。
201312010016  30年後の824レという記事も興味深い。
 1983年10月のダイヤでは、門司5時22分発福知山23時51分着。
 あれから30年後・・・長距離列車は消えてしまったが、かつて824レが走り抜けたルートを検証。

 門司 0:30 → 下関 0:19 5538M 415系4連
 下関 5:39 → 長門市7:43 820D キハ40 2連
 長門市7:53 → 奈古 9:02 1564D キハ40 1連
(長門市で2両のキハ40を1両切り離し。30年前の824レも2両切り離した伝統は今も健在)
 奈古 9:07 → 益田 10:12 代行バス(2013年7月28日に発生した集中豪雨の災害による)
 益田11:09 → 浜田11:56 348D キハ120 1両
 浜田12:05 → 江津12:40 代行バス
 江津13:16 → 出雲市15:00 328D キハ120 1両
 出雲市15:14 → 米子 16:42 3454D キハ126 1両
 米子16:53 → 鳥取19:03 258D キハ121 1両
 鳥取19:45 → 浜坂20:29 546D キハ47 2両
 浜坂20:32 → 豊岡21:43 186D キハ47 2両
 豊岡22:11 → 福知山 23:18 1450M 223系 2両

 門司~下関を除き、下関から福知山間はなんと30年経っても、区間ごとの運行体制が変わってもかつて824レが走り抜けたルートは、今でも引き継いでいることが判明しました。
 (列車番号の見方・・・番号にMは「電車」、Dは「ディーゼルカー」、レは機関車がけん引する「客車」)

コメント
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