東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

1923年(大正12年)開業の靜狩驛(その2)

2016-06-23 00:06:23 | 2016JR北海道H5系旅

 靜狩驛待合室内の風景。かなり大きな駅舎、おそらく左側にいくつかの切符窓口があって、行列をなしていたかも知れない??北海道は防寒のため、玄関は二重にしているところが多い。ドアと向こうのドアの間に改札ラッチがあって、駅員さんが靜狩から何々行きの硬券にパチパチ鋏を入れていたかも。1923(大正12)年当時は靜狩驛を利用するお客さんが多くいたため、それに見合うように駅舎を大きくしているかも知れません。

 改札口に入って、駅長室や駅事務室があるほうの左側。豪雪地帯なので、ドアを開けたとたん、冷たい空気が入って来ないように前室(控えの間)付き。

 座布団がたくさんありますが・・・1981(昭和56)年の利用者は1日あたり133人、1992(平成4)年は82人、現在は人口も減り、利用者も急激に減り3~4人。出処はWikipedia。

 時刻表もスカスカ。東室蘭方面は4本だけど、午前中の2本は小幌通過。長万部方面は5本。最終は23時23分(小幌通過)。あの・・靜狩驛周辺の民家はそんなに宵っぱりではないので、靜狩驛に停車しても、乗る人や降りる人はいないってば。長万部駅は長万部の中心駅なので、23時台でも利用者は1人や2人はいるかも知れません。

 あの・・・函館と森の間に「新函館北斗」抜けていますね。2160円区間でございます。

 今度はホームに出てみます。ホームがとても長いのは、蒸気機関車時代、何両も連なった客車を牽引していた頃の名残り。山口県の何もない実家の長門二見駅も10両編成でも十分足りるほどプラットホームはとても長い。しかし、今は出入り口に近い位置に1両ワンマンや2両のディーゼルカー。

 駅名票。2006年に廃駅の「あさひはま」の上に「おしゃまんべ」を貼っているため、色が違っていました。そりゃ、目立ちます。となりの「こぼろ」は永遠に不滅でありたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青ヶ島も記録的な大雨

2016-06-23 00:00:00 | 2014~2022青ヶ島
 梅雨前線が活発化し、西日本を中心に大雨の様子がNHKで報道されていました。山口市や長崎県、被災地の熊本県も土砂災害・・・場面がいきなり東京都青ヶ島村に切り替え。ちゃっかり地図付きで八丈島の南に浮かぶ小さな島、「東京都青ヶ島村」とテレビで大きな文字が!!
 村役場職員のYさんが動画撮影したものをNHKに転送したらしく、村役場前の坂道前では川にように水が溢れている様子。島内各所の様子が映し出され、食い入るように見てしまいました。自分の好きなところ、2番目の故郷のようなものですしね・・・(笑)
 「そうだ!青ヶ島へ!」と思いつきでは、なかなか上陸できない日本一の秘境。ずっと昔、20代のときは「若気の至り」という言葉がある通り、ふらふらと「かめりあ丸」に乗り込み、タクシーで反対側の八重根漁港へ。運よく還住丸が待機していて、切符購入。気が付けば、還住丸の乗客に・・・。(あの頃は天気予報をろくに調べもせず、適当に行って、就航決定とは虫が良すぎる。あの頃はネットがあまり普及していなくて、欠航が多くて上陸するのに十分な日程を要しますとかの情報は全く入らず)現在は、あおがしま丸の乗船券を購入する前に「青ヶ島での宿は取れていますか?」と確認されてしまいます。できるだけ、青ヶ島ご旅行が決定されたら、すぐに宿に予約の連絡をされたほうが無難です。特に8月10日の牛祭りは青ヶ島の知名度があがりすぎて、全国の秘境ファンがどっと押しかけて来そうな予感が・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

便利ツール