東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

元町港の食事処でランチ

2009-04-03 00:36:50 | 伊豆大島

Oshima090057 ランチは元町港から徒歩1分、大島の魚介類を楽しめる「南島館」(なんとうかん)という和食処でした。
 地魚を使った定食がメインのようなので、チャーハンセットを注文。
 先にアシタバのおひたし、サザエの壺焼き、小さな貝類、地魚の刺身が運ばれてきました。

 伊豆諸島でサザエがたくさん獲れるところはお隣の利島かと思っていたのに、大島も名産でした。
 房総半島も名産、山口の日本海側も名産。
 同じサザエといっても、味が地域ごとに異なるみたいです。
 1番慣れているのは、伯母がよく送ってくれる山口のサザエ。
 いつものサザエと違うので、ちょっぴり新鮮な味。

Oshima090058  1日目は「明日葉ピラフ」。(大島空港付近の「季まま亭」)
 今回は「わかめチャーハン」。
 ごちそうさまでした。

Oshima090059  レンタカーの返却時間まで少し時間が余ったので、大島町立図書館へ。
 
 伊豆諸島・小笠原で公立図書館があるのは
 大島・三宅島・八丈島・青ヶ島・(父島・母島)。
 (父島は「小笠原村地域福祉センター父島図書室」、母島は「母島村民会館図書室」)
 東京都の支庁が置かれている島に図書館があるのは共通していますが、青ヶ島も図書館があるのは昭和30年代、苦労の思いでせっかく青ヶ島に赴任したのに、3、4ケ月後に来る次の船で逃げてしまう教師が多いさなか、長い間小学校の教鞭を執った高津勉先生の意思が引き継がれているでしょう。

Oshima090060
 最初は無人カウンターかと思いましたが、職員が駐在していました。




Oshima090061  郷土コーナーに行けば、大島のこと詳しく書かれている本に出会えるかも?と思ったら・・・・

 「青ヶ島島史」、「青ヶ島の生活と文化」が鎮座していました。

 大島なのに、なぜか青ヶ島。「今年も青ヶ島に来いよ、青ヶ島へ!」とまるで誘うかように、真っ先に目に止まったのはこの本。
 実はこの本、のどから手が出るほど欲しいものなんです。(笑)
 内地で読めるところは国立国会図書館だが、館外に持ち出すことは不可。
 国立国会図書館へ行けない方のために最寄りの図書館を通して取り寄せることはできます。しかし、自宅に持ち帰ることはできず、館内での閲覧が原則になっています。

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カラフルな貝殻

2009-04-02 00:41:29 | 伊豆大島

Oshima090050 今日から2009年度、新年度の始まりです。
 例年なら美しいサクラ満開で新年度の実感が出てくるはずなのに、今年はまだでした。(4月1日現在の開花状況は・・・まだ「つぼみ」)
 
 大島の続きに戻ります。

 世界の二枚貝コーナーで目を引くようなカラフルな貝殻がたくさん展示されていました。
 ネコジタウミギクガイという珍しい名前をしていました。
 全部カタカナだと覚えにくいので、「猫舌/海/聞く/貝」と頭の中で手話語彙をインプットすればすんなりと記憶できます。(笑) 

Oshima090052  覚え方は「飛行機貝」だけど、表記は「ヒオウギガイ」。
 ハン尚宮(母)いわく「貝にカラフルな色を塗っているかように見えるね」と。
 まさしく、そのとおりでした。
 貝がそのような色を出せるのは神秘的。


Oshima090051  
 ヒオウギガイの成長標本。




Oshima090047  
 小笠原で採取した、「笠貝(カサガイ)」。
 御蔵島では「ヒラメ」、青ヶ島は「ヒラミ」と言うそうです。
 

Oshima090056  ミドリパプアマイマイ。
 「緑」+「パプアニューギニア」+「マイマイ」で覚えられます。
 パプアニューギニアはオーストラリアの北部、地球最後の海洋楽園だと言われているそうです。

 他にもたくさんありすぎましたが、実際に足を運ばれたほうが楽しいので、これ以降は割愛させていただきますね。

コメント (4)
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小笠原・硫黄島の昔

2009-04-01 01:16:19 | 小笠原

 株式会社NTTドコモ モバイル社会研究所 No.15号(2009年3月25日発刊)に大変興味深い記事を見つけました。
 
 ・そこに社会があった -硫黄島の地上戦と<島民たち> 石原 俊
 (リンク先にクリックすると、本と同じくPDF形式で閲覧できます)

 「小笠原・硫黄島ツアー」は1つもないので、同じ都内でありながら上陸が非常に難しいところ。
 硫黄島に長い滑走路があり、自衛官の航空訓練や食物や飲用水などの物資輸送機の発着に使われているみたいです。
 空港コードは「IWO」、国内線の飛行機でも発着可能。

 1937(昭和12年)の地図も硫黄島村役場、学校、警察、温泉などの位置が判明しているし、硫黄島村(硫黄島と北硫黄島)の人口推移などのデータも盛りだくさん。
 硫黄島に関する昔の資料はなかなか見つけにくいので、この情報は大変勉強になります。

 1895(明治28)年の硫黄島は男6人だけで開拓、ほぼ50年後の1944(昭和19)年の人口は216世帯、男性629名、女性535名 合計1164名。
 アメリカ軍が硫黄島を内地への攻撃航空基地にしようとしたため、1944(昭和19)年に全員を内地に強制疎開し、日米両軍が玉砕した島として有名になっています。

 もちろん、そこで駐在する自衛隊の話では、夜間は絶対に外に出てはならないそうです。
 硫黄島の現象は こちら
 
 青ヶ島は載っていなくてほっとしました。
 大好きな島なので、こういうものがなければよいです。

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