
およそ4時間後は新山口~。
水配り像の近くに「パチンコ」の文字が見えました。
都会のパチンコ屋さんだと、華々しい装飾になっていますが、神津島はひっそりしています。
神津島でもパチンコ屋があったのですかっ!と興味津々。
中に入ってみると、ビックリ!内地とほとんど変わりはありませんでした。
同じフロア内にパチスロコーナー。 お洒落なカウンター。
カウンター真後ろの景品は、出玉の数に応じてもらえるのですが、ほとんど現金が欲しいからと現金引換用の景品を受け取ります。
1990年代の後半・・・・何もない漁村から初めて大都会の東京に移住。当時の友人に勧められ、あまり乗り気でないままパチンコ屋へ。
初めてのパチンコは「フィーバーパワフルⅢ」という機種でした。投資額は500円。
すると、7,7・・・のリーチ。まさかの「777」、フィーバー!!
1箱分の玉が出終わっても、連ジャン。4、5箱は出てきて、換金すると約2万5千円。
500円が万札に化けてしまうなんて、美味しい話だとあれ以来からパチンコに没頭しすぎてしまい、気が付けば、万単位で負けてしまうのも、しょっちゅう。財布の中を全部スッカランにして、心も身もボロボロ・・・という日もほとんど。
パチンコに投資した時点で負けている。結論から言うと、最終的にパチンコ屋がもうかる、カラクリになっている。
福沢諭吉さんを100枚以上貢いでしまった時点でパチンコはバカバカらしいと思うようになり、スパッとやめてしまいました。
当時の銀行通帳を広げてみると、収支がめくちゃくちゃ。同じ日にATMで何回も引き落とした記録あり。「もっと引き出せ!もっと負けろ!」と煽るかように、パチンコ屋のとなりに無人ATM。負けた腹いせで何とかして取り戻してやる!とさらに投資する行動が目に見えてくる。今思い起こせば、もったいないことをしたな、と。
当時、福沢諭吉さんを何枚か貢いでしまった人生初のパチンコ動画を少し紹介。(ユーチューブより)
7,7のリーチが何回も出て来る絵柄なので、今にでも当たりそうだと倒錯的な快楽に陥ってしまいます。
神津島の夏祭りはちょうど滞在中の8月1日~2日、行われました。
会場は物忌奈命神社、昼間は神輿を担ぎながら村落を練り歩きます。
神津島村の魚はカジキなので、大きなカジキを担いでいますね。
物忌奈命神社で夜の出店があったみたいですが・・・・
私たちの泊まったところは、天上山のふもとなので、会場まで行くのに徒歩3、40分かかりそう。クルマで行けばあっという間ですけど、全員ビールやお酒を飲んでしまったため、誰も運転できる人がいない。
宿でまったりしてしまいました。青ヶ島の牛祭りは毎年8月10日、会場は村役場真向いの青ヶ島小中学校体育館前の広場。どの民宿(アジサイ荘、あおがしま屋、杉の沢荘、マツミ荘、中里荘、やよい荘)から歩いて行ける距離なので、夜でもお酒を飲んでも安心。祭りのどんちゃん騒ぎに参加できます。
「神津島の水配り像」は「水」を象徴しているので、担ぎながら水しぶきがかかっているようです。
「・・・ようです」という言葉は、あくまでも私の憶測です。
神津島の「水資源」がたっぷりあるので、消防用の水栓にホースをつなぎ、放水中。
ジュリア十字架からの帰り・・・・。
神津島の道は本道を除き、ほとんど狭い道ばかりです。
クルマが1台通れるほどの道幅なので、常に対向車に気を付けていました。
すると、猛スピードの軽トラックがこっちに向かって来るのに気づき、急ブレーキ。
軽トラに乗っていたおっさんは「うわわわわーっ!!」とオーバーリアクションをしながら、ハンドルを急に切ってしまったため、とんでもない方向に。
こっちはあらかじめ来るのをキャッチしていたため、そんなにビックりしていませんが、軽トラは思わずぶつかる~!!とかなりビックリしていたらしい。
島の道といっても、あなどれず。気をつけたまえ!!!
急ブレーキをかけたとはいえ、全員シートベルトをしていたため、無事でした。
今度は向かう途中に見つけた「ティースペース だいじんこ この先突き当り」の看板が気にになったので、行ってみることにしました。
「誰にも邪魔されない大切な時をゆっくりとお過ごし下さい。日頃の喧騒さを忘れさせるために静かな環境を提供しております。そのため、お子様連れの方はご遠慮いただいております」という看板が立っていました。
かなりお洒落なハウスに、前浜を見下ろせる喫茶スペースになっていました。
「すみません、1歳の子供もいるのですが、大丈夫ですか?」
「申し訳ございません、ここではご遠慮いただいています」
屋外なら大丈夫とのことなので、前浜を見下ろせる特上席にしました。
オーナーが気遣って、蚊取り線香と扇風機を用意してくれました。 私はガイド役兼運転手なので、アルコールではなくケーキセットをオーダー。
絶景を眺めながらのケーキはとても美味しかったです
神津島の南部に大きな十字架が架けられています。
ジュリア・オタアについては、郷土資料館にも展示されていましたが、豊臣秀吉による朝鮮半島侵略戦争(1592年)で朝鮮半島北部(今の北朝鮮)から日本に連れてこられた朝鮮人の娘。
徳川家康の侍女として仕え、1日の最後に聖書を読み、徳川家康をはじめ、ほかの侍女たちにもキリスト教を広める福音活動を行いました。
ところが・・・徳川家康は1612年、キリスト教禁止令が出されます。
ジュリアにキリストの信仰を捨てるようにと勧めましたが、「地球創造主、唯一の神(??? ハナニム)を捨てるなら死を選びます」。
逆鱗に触れた徳川家康は流罪だと命じ、島へ流されてしまいました。
伊豆大島、新島を経て、最後は神津島だと言われています。
十字架近くの「ありま展望台」からの眺め。
神津島2日目の夕食です。
宿の女将さんに「おつゆは今お持ちしますか?」と筆談で聞かれました。
「すいません、おつゆって何ですか?」
「吸い物です」
神津島って、吸い物を「おつゆ」って言うんですか?内地では聞かない言葉なので、島言葉??
ネットで調べてみたら、「おつゆ」は北海道、青森の下北弁らしい??
もしかすると、北海道または青森から神津島に移住??うーん? 運ばれてきたのは・・・目を丸くしてしまいました。
あんまり見かけないモノです。
そのまま食べるにしても、硬すぎます。
どうやって食べるんですかねぇ??
この具材の名前とかの説明も欲しがった。
「まあ、硬いモノのダシが効いているので、汁とまわりにある海草を食べればよいかも?」
神津島の夜が更け、8月1日の23時58分。
神津島に震度4の大きな地震襲う!!
横になってテレビを見ながら、うたた寝していたら、いきなり体が上下に揺らされ、一気に目が覚めてしまいました。
「かなり大きな地震だったな?神津島でこの揺れだとすると、東北・関東地方で激震??」と頭をよぎってしまいました。
震源地は、静岡県の駿河湾。東伊豆町震度5・・・・神津島、震度4とテレビのテロップ。
神津島は東京都なのに、「静岡テレビニュース」と出ていましたので、神津島は静岡から受信しているようです。
神津島に出発する当日の朝、7月31日午前3時53分も福島県を震源地とする大きな揺れがあったばかり。
日本は地震列島と言われているとおり、日頃から常に地震を意識しなくてはなりません。
秀蒼さんに宿泊予約をしたとき、「天上山のふもとにあり、中心地からかなり離れている」と書かれていました。「神津島に旅行中、万が一大きな地震があっても、この宿なら津波の心配はなさそう」。まさか、島に滞在中地震が起きるという予感が的中。
翌朝の朝ごはん。
甚平姿のおのっち、すごくお似合いで~す!!
ベビちゃんも、すごくもりもり食べていましたねぇ~!!
この調子で大きくなれ~!
ピンポーン!!宅配便で~す!!
あれ?鳩サブレー?まあ~我が家にいつも遊びに来てくれる鳩ちゃんからのお土産かと思ったら、青ヶ島からですねぇ~。
わが家によく来てくれる鳩ちゃんのこともお気に入りのようなので、はるばる遠いところから贈ってくださったそうです。
日本一の秘境、青ヶ島でも私の拙いブログをご覧いただき、大変光栄でございます。
オフィシャルホームページでは、まだ公表していない青ヶ島に関する新しい情報をこっそり教えてくださるので、いちはやく情報をキャッチできそうです。(まるで私も青ヶ島人の仲間入り!?) 今日も来てくれました。
私の帰りを待っていたようで、いつものところに覗いてみたら、歩きながら私に接近。
図鑑によれば、キジバトは人間を避けるタイプだというのに、わが家のはレアケース!?
伊豆諸島、小笠原、沖縄ではハイビスカス全開中~!!
ピンクとイエローの2色を育てているのですが、今年はなぜかイエローのは咲かなくなりました。
油かすが足りなくなったのかなと試しに追加してもダメ。
緑色の葉っぱが生い茂っているので、来年はしっかり咲きたまえ!! あっさり、シンプル系の沖縄そば。
こんな真夏日に熱いスープで出すと、ひんしゅくを買ってしまいそうなので、「沖縄そば de シンプル塩焼きそば」を作りました。
内地で生の「沖縄そば」を入手するのは困難。
乾麺の「沖縄そば」を茹でた直後、フライパンに移したのですが、麺が少しベトベトに・・・。
ソーミンチャンプルーを作るときと同じ要領で、いったん冷たい水でしめたほうがベターかも知れません。
材料は 沖縄そば、チンゲン菜、えび、豚肉、長ネギ、万能ネギ、かつおぶし、唐辛子、ニンニク。
調味料は 鶏ガラスープ、ひんぎゃの塩、コショー。
常夏の沖縄ではこってり系ではなく、あっさりシンプル系が好まれているようです。
離島の民宿、旅館、小笠原のユースホステルは利用者向けの冷蔵庫がでーんと置かれているところが多い。(内地の旅館やホテルは必ず部屋の中に冷蔵庫が備え付けている)
神津島の宿では、リビングに置かれている冷蔵庫を自由に使っていいとのこと。
開けてみたら、瓶ビールがいっぱい!!食事中にビール(1本650円)をオーダーするとそこから運ばれるみたいだけど、個人で買ったものと一緒でいいのかなと思いつつ、利用させてもらいました。
海外で旅行ガイドを務まった友人の話では、外国のホテルは部屋に冷蔵庫がついていなくて、不満の声が多かった。それで、日本人は冷蔵庫が大好きな民族だなとつくづくと感じたとのこと。
(韓国も冷蔵庫大好き民族なんです。日本人は旅先でもドリンクやお酒を楽しむためですが、韓国は少し趣旨が異なります。キムチ専用冷蔵庫なるものが各家庭にほとんど置かれているみたいです)
我が家も冷蔵庫が2台。山口の伯母からよく海鮮物が送られてくるので、冷凍庫はいつも満室。ところが・・・・最近、キッチンに置かれている冷蔵庫の扉を開けようとすると、スーッと冷気が少しずつ漏れていることが判明。ドアをしっかり閉めても隙間から少し冷気が・・・。
2年前も製氷機能が壊れてしまったので、部品代およそ3千円、技術料や出張料金も加算され、1万7千円かかってしまった。今回も依頼したところ、見積は1万5千円から2万円。
修理してもらい、当分の間、頑張ってもらうことにしますが、わが家に購入してから10年以上も経つのに全然壊れていない小型冷蔵庫があるのに~!!
国王様の冷蔵庫は我が家と同じメーカーだというのに、長年も壊れていないとのこと。
もしかすると、同じ型番のなかで、壊れにくいものと今回みたいな壊れやすさも混じっていたのかな?と疑わざるをえない。冷蔵庫の修理代はかなり高額になるので、余計な出費が痛い。
赤崎遊歩道に向かう途中、右手に青い海に向かうトロッコ遺跡が見えます。
私は観光ガイド役なので、きちんとクルマを止め、「神津島の自然石を船に運搬するための施設跡です」とガイドすべきなのに、赤崎に行きたさでスルーしてしまいました。
神津島名物の「ジャンプ台」。
そこからエメラルドグリーンの海に飛び降りるわけなんです!!
13年前、いきなりの思いつきで神津島にやってきて、レンタバイクで道の続く限り北に向かっていたら、そこにたどり着きました。
面白そうだな~と臆せず、飛び降りたというのに、歳を取るとかなり恐怖感が・・・。
友人のおのっちは、「ちょっと怖いな~」とちょっとつぶやき。しばらく躊躇して、決心したかように、飛び降りてしまったのさ!
今度はおのっちの奥さんも、飛び降りようとしたら「うわっ、怖い!」と足がすくんでしまいましたが、その数秒後、きれいにジャンプ。
「うわわわーっ!!女性だというのに、勇気あるなぁ!!」と目を丸くしてしまいました。
2人が口揃え(ここでは手話)、「2人とも飛び降りたんだから、今度はあんたの番よ!!」と。
13年前だったらできたはずなんだけど、今は出来ないんだよ!と断ってしまいました。
何ででしょうかね??歳を取ると人が変わるんですかねぇ・・・??
そのくせ、青ヶ島の三宝港からはトボンと飛び降りれるのに、神津島は出来ないなんて、そんなのあり!? おのっち夫婦が海に行っている間、子守りは私がやりましたが、ママが恋しくて泣きっぱなし。途方にくれていると、助け舟が!!
同じ宿に泊まっていた、お母さんと息子さんも、ベビちゃんが大変お気に入り。宿でもよく遊び相手にしてくれました。
ベビちゃんを抱きかかえ、「ほら、ママ見えるんでしょ?」「今から飛び降りるんですよ!」と声をかけながら、ママの見えるところに向ける。
すると、泣き止み、視線はママへ。
ママがジャンプし、姿が見えなくなると、また泣いてしまいました。
「ほらほら!ママが戻ってきたんですよ~!!」。
同じ宿だというだけで、仲良くなれてよかったです。子守り、ありがとうございます。
赤崎遊歩道の動画を少しアップします。後半は水中モードで撮影してしまったため、少し赤みががかっています。
天上山の山頂付近に雲が覆われていました。
今の季節だと、登山はお勧めしないと言われた理由がわかりました。
標高は574メートルなので、天気がよく空気が澄んでいれば、房総半島、伊豆半島、しかも富士山まで見えるそうです。
山歩きには4月から梅雨入りまで、暑さが和らぐ秋あたりがお勧めとのこと。
小笠原の母島、乳房山は462.6メートル、小笠原諸島の中で1番高い山とされています。
午前中に登山、ランチタイムは山頂で小笠原の塩で作ったおにぎり、午後下山なので、ゆっくり母島の自然を楽しむなら、要所時間は6時間くらいかな。
乳房山はほとんどジャングルのような山道なので、暑い季節でも問題なく登れます。
(ただし、1人あたり2リットルくらいの水が必要です)
神津島空港の駐車場にあった、「神津島」の由来になる「神集島」。
伊豆七島なので、7人の神様ですね。
式根島と青ヶ島を含めていれば、9人。 新中央航空株式会社の19人乗り飛行機。
調布飛行場から就航地は大島、新島、神津島。
夏季の多客期は1日4便も発着。
東邦航空のヘリコプターも、羽田発着の空港を抱えている大きな島(大島、三宅島、八丈島)と船の就航率が大変難しい離れ小島(利島、御蔵島、青ヶ島)を結んでいます。
しかし、私は空の旅で早く島に着くよりも、船でのんびり島旅を楽しむタイプかな。
ちょっと雲行きが怪しくなってしまいましたが、灯台まで行ってみました。
、ちょうど今から半世紀前の1951(昭和26年)建立。海抜102mの崖上に高さ12m、25万燭光で照らしています。
灯台からの眺めは青ヶ島を彷彿させるほど。
神津島だというのに、もっと遠くの青ヶ島に思いを馳せるなんて!? 夕食は必ずボリュームたっぷりの魚料理が出るので、ランチは中華にしようということになりました。
「カツ丼」、「親子丼」、「カントンメン」、野菜たっぷりの「タンタンメン」。
お店のメニューはなぜか、カタカナで書かれていました。
友人A:「カントンメンって何だろう?」
友人B:「中国の”広い”と”東”、その組み合わせでカントン」
友人A:「なるほど、こってり系のスープなんだよね」
広東麺はこってり系のはず、なぜか美味しくてあっさりしていました。(写真は写っていなくてごめんなさい)
3、4人集まれば、それぞれ違う料理を注文し、分け合いながら違う味を味わえるので、満腹になってしまいます。
神津島は幹線道路(都道224号線=「神津本道」と呼ばれている)以外は、急な坂道の狭い道がほとんどになっています。
伊豆諸島、小笠原では「これでも天下の東京都が管理する道なのか!?」とビックリさせられるのですが、神津本道の道幅は広いです。
狭い道はほとんど「村道」に指定されているようですね。 今度は郷土博物館へ。
手話で陰口。「郷土博物館に行ったって、つまらないかもな~」。
地獄耳ならぬ、地獄「目」。
「えっ!?何がつまらないの!?」
エアコンが効いているので、ちょっとした避暑地になりそうです。
大正14年の神津島郵便局。
右は昭和38年の神津島郵便局。
ということは、今の郵便局舎は3代目かな。
もっとすごいのは青ヶ島。昭和30年代、船が来るのは年に4回程度。
大型客船から小さな船に乗り継ぐ、はしけ作業が成功すると、真っ先に下されるのは郵便物の入った郵袋。
電話もなく、郵便が何よりも楽しみでした。その場で開封し、返信の手紙をしたためる。
今来たばかりの船に託しておかないと、返信は3、4ヶ月後になってしまう。
その頃の青ヶ島における通信手段は命がけだったそうです。
ランチタイムまで時間がありそうなので、神津島の南部を回ることになり、特におすすめスポットは三浦湾展望台。
今日は残念ながら少し霧がかかっていました。
霧が取れていれば、そのような絶景を独り占めできるかも・・・?(笑)
神津島の続きはまだまだあります。
旅館「秀蒼」の部屋からの眺めです。
天上山に近いせいか、夜は寒くなってしまうほど涼しい。
秀蒼さんの朝ごはん。
旅人のために朝早く起床し、何品か作るのは大変かと思います。
とても美味しかったです。ごちそうさま。 2日目朝一の目的地は郵便局。
旅先に訪ねると、その土地の郵便局から手紙やハガキを出すようにしているので、私の趣味につきあわされてしまった、友人よ、ごめんなさいね・・・。
去年は青ヶ島郵便局、2年前は母島簡易郵便局と小笠原郵便局、3年前は御蔵島郵便局、4年前も青ヶ島。
島の郵便局にしては、新しくて立派な局舎になっています。
新東京支店神津島集配センター。
このポストに投函すると、消印は「新東京」。
伊豆諸島全地域と小笠原のポストに投函すると、必ず「新東京」。
「新東京」の消印は、江東区の新東京支店で差し出したものと同じなので、どこで差し出されたのか区別できません。
江東区の新東京支店で押された消印ですが・・・・
小笠原や青ヶ島でも同じ消印が使われています。
友人が神津島郵便局の様子をパチパチ撮っていました。
それを見た私が「おおー、気づかなかったアングル」と、この構図を撮ってしまいました。
神津島郵便局の看板にひまわり。いかにも夏らしい風景。
偶然、郵便屋さんのバイクが通りかかったのをパチリ。
目隠しがなければ、いい絵になっていたはず。残念。 郵便に興味なさそうな友人も「かもめーる」を購入し、局舎内で神津島からの暑中見舞いを書いていました。
インターネットや電子メールの時代、手書きのハガキは届いた相手に喜ばれると思います。
そのかもめーるを窓口に差し出し、ちゃっかり神津島の風景印が押されたのを見届け、局舎を立ち去りました。
神津島郵便局の皆さん、ありがとうございます!!
「韓国屋台の五目チャプェ」をハングルに翻訳すると・・・ ?????? ? ???? になります。
読みは「ハングッ ポジャンマチャ ウィ オーモク チャプチェ」になります。(韓国式の発音を日本語に近い音に変換)
ポジャンマチャを日本語にすると、「布張馬車」。
日本語の「屋台」だとわかりやすいのに、お隣の国では「布張馬車」になるんですかね?
これでもチャプェなんですかっ!?
ハン尚宮(母)いわく、何度かコマーシャルに出ているので、それにつられて買ってしまったとのこと。 電子レンジでぱぱぱっと作れる即席タイプ。
久々のコリアンティストでした。
今日は、日本語、韓国語、英語ごちゃ混ぜの記事でした。(笑)
ドックおじさん(父)から聞いた話です。
「自宅から200メートルくらい離れた場所でウォーキングしていたら、鳩ちゃんが舞い降りてきたんですよ。真正面だと見えないので、体を少し斜めにして、視線はちゃんと私に向けていました。いつものところに行きなさい!と家のほうに指さししていたら、納得したかようにバタバタ・・・と飛んでいきました」とのこと。
えっ!?鳩ちゃんって、人の顔までわかっているのですか!?
行儀よく座って食べています。
「写真ばかり撮って、どうするのですか!?」と言いたげな表情。
現在郵便局で売られている、80円切手のデザインも「キジバト」になっていますが、昔の62円切手も「キジバト」でした。
切手カタログによれば、1992(平成4)年11月30日発行。
封筒の料金が80円に変更される1994(平成6)年1月23日まで活躍。
わずか2年の短命でしたが、80円に意匠が引き継がれていますね。
現行の50円切手は郵便局が民営化された2007(平成19)年10月1日発行のオシドリ。
その前はメジロ。 母島で野生のメジロをたくさん見かけました。写真を撮ろうとしたら、逃げられてばかりなので、うまく撮れず。
その代わり、ハハジマメジロの切手に母島簡易郵便局の風景印です。
少し昔の50円普通切手がメジロなんて、1シートでも買っておけばよかった・・・。
母島簡易郵便局はJA農協に委託しているので、窓口の職員さんは農協になります。
(2009年7月30日撮影)