今日は太陽が出ていて、ポカポカ。珍しく暖かい日でした。近くの小学校が投票所になっていますが、体育館に行くのにグラウンドを通さなければならず、湿っていると靴底に厚い土が付き、クルマに乗るとマットが汚れてしまいます。スリッパに履き替えなければならず、すごく冷たいだろうな~とあらかじめ公民館へ期日前投票。
今日もキジバトちゃまが遊びに来てくれました。
同じキジバトちゃまだというのに、「それは私に食べ物をくれると契約してあるものだ!貴様がもらうべきではない!」と言いたげに向こうから低空飛行しながら追っ払ってしまいました。
Uターンにして戻ってきたキジバトちゃまが着陸。「さっきのキジバトは領空侵犯だから与えなくていい、さあ、私に下さいな」と。どれも同じ格好をしているので、なかなか見分けができません。来てくれたら、公平にあげますよ。
先週、九州へ旅行した同僚からお土産をいただきました。
このパッケージを見たとたん、遠い昔の記憶がよみがえってしまいました。
九州や山口のスーパーでは当たり前のように置かれてあったのに、関東では全然見かけません。何もない山口県小さな漁村の商店でも売られていたので、よくこれを選んでいました。
作るのはン何十年ぶり。
子供の時に作ったのは、何もつけないでスープだけの「素ラーメン」。
今も子供の時に作った「素ラーメン」というわけではないので、何かのトッピングを、と買い物に行く父に「チャーシュー1個を買ってきて。わからなければ、店員さんに聞けばいい」とお願いしました。
ところが・・・買ってきたのはチャーシュー1切れと、めんま付きの1人分の袋でした。
たぶん、店員さんは父の姿を見て、1人暮らしされている方?とチャーシューと言われても、まさか塊を買うわけじゃないと思い違い??
「これは薄っぺらのチャーシュ1切れだよ、こういうもの(塊)はなかったの!?」とキーッと怒ってしまいました。チャーシューの代わりにハムで代用。 博多のラーメンはとんこつ味、あっさりしたものが多く、ソーメンのような細い麺なので、こってり系の東日本ではあまり人気がないらしい??
ラーメンだけだと野菜不足になるので、韓国のチョレギサラダも添えて。
あっさりした味に、コチュジャンのピリ辛は意外と合いました。
ごちそうさま~!昔の記憶を呼び起こしてくれた友人に感謝。(笑)
プラチナなんて無縁な私だというのに、この封筒が届いたときは目が点になってしまいました。
今から10年以上昔・・・ANA、JAL、JASのカードを持っていました。3社浮気しながら乗っても、ゲットしたマイルは3年で消滅してしまうため、無料航空券を手に入れる道のりは険しい。
3社のうち、どれか1社のみを絞ろうと検討してみた結果、ANAは東京離島路線に強い。青ヶ島へ行くのに八丈島へANA便で行ったほうが便利。JALは沖縄の離島路線に強い。
結局ANAをメインにして使ったところ・・・今度はグレードアップしませんかと案内書が届きました。搭乗マイルの25%が加算されること、買い物のポイントをマイルに換えるのに年間手数料が無料などメリットがあり。輝く色のカードに変更。
あれからあっという間に10年。引き落としを忘れたとか1度もなかったので、今度はさらにグレードアップしませんかとブラックの封筒が届きましたっ!!
特別なお客様なんて、とんでもないですっ!!
入会すると1万マイルプレゼント、さらに継続すると1万マイル。しかも搭乗マイルに50%追加っ!!
年会費が・・・・なんとペクマノン(?100万)!!
さすがにこれは難しいです。これさえあれば、他に充てさせていただきます。
信用してくれて、ありがとう、今まで「はい、はい」と申し込んだけど、今回は見送らせていただきます・・・。
数年前、人生最大の買い物をしたとき附随するものとし、作ってもらいました。
年会費無料なのにカードがまっ黒なので、プラチナっぽい雰囲気。
これをお店で使っても、別に店員さんがひれ伏せするようなことは皆無。
使わないカードとしてそのまま放置。
12月14日の10時過ぎ、母から携帯にメール。「青ヶ島から生ものって荷物届いたから開けて冷蔵庫に入れていい?」と。
ん?12月に入ってずっと欠航続き、12日目になってようやく船が動き出したというのに、いきなり鮮魚?と思いめぐらしてしまいました。 12・12・12 の青ヶ島郵便局メータースタンプ。
山口県の故郷、二見郵便局だと宛先を見て、切手だらけにしてくれますが、青ヶ島はシンプルにメータースタンプ。青ヶ島郵便局も記念切手の在庫がたくさんあるはずなので、切手わんさか~にしても歓迎ですよ(笑)
青ヶ島グッズを集めていると察してくれたのか、十一屋さんで販売中のTシャツが入っていました。色のバリエーションがあったのですが、私が好んでいる色までよくご存じでした。
へぇ~真冬だというのに、十一屋さんの店頭では置かれている!?と思いきや・・・・青ヶ島の子供たちは風の子、今の季節でも夏のTシャツで過ごしているとのこと。さすがに南国なので、青ヶ島からやってきたフェニックスロベレニーは屋内で育て中。
うわっ、また高級な「ひんぎゃの塩」も・・・。
ひんぎゃのお山さんが、ラッピングの本を見ながら勉強中だとブログに書かれているとおり、手作りの可愛らしい包装になっていました。
青ヶ島という地名を連想させるために包装紙も「青」になっていました。
左側がひんぎゃの塩の生産者、「ひんぎゃのお山」さんです。
生産者の顔が見える商品は「安心の証
」です。
池之沢で採れたカンモ(さつまいも)までも!!
本当はひんぎゃで蒸したほうが本場青ヶ島の「カンモ」。
天ぷらなど、いろんな料理に使わせていただきます。
本当にありがとうございます!
2008年1月に購入した電気炊飯器、ついに5年目で命尽きる。
当時、もっと美味しいごはんを食べたいとIH式の高級機種の圧力炊飯器を奮発して数枚の万札を果たして購入。子供のころ、初めて自分のお小遣いで購入した機器は三洋のワープロなので、三つ子の魂百までという言葉があるとおり、ずっと三洋。
父と私は糖質制限食を実践中なので、滅多に炊飯器を使う機会はなくなったというのに、母だけはほかほかの炊きたてにこだわるらしく、ほぼ毎日。
一気にご飯を炊いて、1食分ごとランプに包み、冷凍庫で保管するやり方をすれば、節電になるし、炊飯器本体の寿命も延びていたかも。
・2008年1月20日 買い替えたときの記事がありました 洗濯機も壊れてしまいました・・・。2005年購入なので、ほぼ毎日を8年近く頑張ってくれました。
洗濯は2日ごとにすればいいのに、親が毎朝の日課として洗濯機を回すので、これも寿命が縮んだかも。
今年の8月に全機能が動かなくなる故障、三洋からパナソニックに引き継いだ出張修理サービスマンに電子基板の交換をしてもらったばかりなのに~!!「おいっ!修理してもらったばかりなのにまた壊れたぞ!」と依頼をするのはやはり気が引けてしまうので、新品に買い替えです。
電子基板は各機能を指令する部品、今回は壊れたと思われるところはモーター。電子基板が「脱水せよ」と命令するが、モーターが老朽化してしまったのか、なかなか脱水できず。
長年も親しんでいた「SANYO」ブランドを廃棄処分してしまうのは惜しい。
小和田駅は静岡県、その隣は長野県に入って最初の駅、中井侍(なかいさむらい)。
長野県はかなり広いので、JR東海、JR東日本だけではなく、わが故郷の山口県までつながっているJR西日本も含まれています。長野県における、JR西日本は大糸線の北小谷駅から南小谷駅のわずか8.4キロ。南小谷駅はJR東日本なので、長野県内のJR西日本は北小谷と中土の2駅しかありません。ちなみに所属は金沢支社糸魚川地域鉄道部。
長野県最南端の中井侍駅から最北端、北小谷駅に行くのに・・・乗車券は「中井侍 → 北小谷 経由:飯田線・川岸・中央東・篠ノ井線・大糸 ¥3,890円(220.0キロ)」
中井侍11:25 → 天竜峡 12:10 (JR東海)
天竜峡12:35 → 辰 野 15:40 (JR東海)
辰 野 17:53 → 松 本 18:31 (JR東日本)
松 本 19:08 → 南小谷 21:04 (JR東日本)
南小谷 21:08 → 北小谷 21:20 (JR西日本)
同じ県内だというのに、要所時間はなんと10時間っ!!長野県は広いな~!!
次の記事は中井侍駅を中心にリポーターします。
12月13日(木)の夜、チャンネルを回していたら・・・空撮した離島のパネルをバックにローラーさん、よゐこの濱口さん・・・が出ていました。
島の形を見ただけでもどこの島なのかわかってしまうので、しばらく見入ってしまいました。
どの島を選ぶかドラフト会議が行われたそうで、祈る気持ちで青ヶ島が選ばれるように見ていたら、ローラさん&シェリーさんペアは新島村に属する式根島。よいこ濱口さん&玉森さんペアも式根島。残り2組は青ヶ島を選んでくれるか!?タカ&トシ&はるな愛は八丈島。ココリコ田中さん&遠藤さんは東京に最も近い伊豆大島。
秘境の3島(利島、御蔵島、青ヶ島)は選ばれず。残念。顔の表情がとても豊かなローラーさんが日本一の秘境・青ヶ島サバイバルに参加してくれたら、面白そうなのに~!!
放送日は・・・
12月27日(木)午後6時から11時50分まで テレビ朝日
詳しくは、こちらをご覧ください。
いきなり!黄金伝説
ちなみに今日の青ヶ島は昨日に続き、還住丸の代替船、黒潮丸入港。
12月 1日(土)から12月11日(火)まで × 連続欠航11日。
12月12日(水) ○就航
12月13日(木) ○就航
――――(ここからは予想)――――
12月14日(金) ○就航
12月15日(土) ○就航
12月16日(日) 日曜日のため運休日
12月17日(月) ○就航
わずか20分滞在の小和田駅を後に、今度は隣の中井侍。小和田駅は静岡県浜松市天竜区水窪町だが、次の中井侍駅は県境を越え、長野県下伊那郡天龍村平岡。
小和田から中井侍までの距離は4.0キロ、180円区間。要所時間5分。
小和田を出てまもなくトンネル。深い山間の断続的なトンネルばかり続いたので、動画は一部カット。5分を2分にまとめた動画です。次は中井侍駅を詳しくリポーターします!!
全国でかなり古い国鉄遺産が残っているJRといえば、JR東日本千葉支社、長野支社とJR西日本広島支社、米子支社、岡山支社。千葉支社もかつてボロ国鉄113系ばかりだったというのに、老朽化に伴い、京浜東北線のお下がり209系を房総へ。最後まで残っていた久留里線のキハ30が11月30日で引退。現在の久留里線は今年、平成24年に製造された最新鋭のディーゼルカーキハE130系で統一。久留里線と平行する小湊鉄道は国鉄を彷彿させるほど、古くてボロキハ20。小湊バスは交通系ICカードが使えるのに、鉄道の駅は大正時代の開業当時の雰囲気を死守するため導入を拒否。ICカードで清算できる機器を置けばいいのに。
JR西日本広島支社は民営化半世紀になろうとしているのに、新型導入は1度もありません。いずれボロ国鉄車両。
この写真を見ると、総武線の黄色い電車として親しまれた頃を思い出してしまいます。総武線の103系は2000(平成12)年頃に消滅、ほとんど201系に変わり、たまに黄色帯の205系・・・これも消滅し、今度は209系、E231系。とっくに昔消滅したはずの「黄色い電車」が山口県で活躍中!?写真のクハ103 86+モハ102 145+クモハ103 48の車歴を調べてみると、昭和39(1964)年~昭和40(1965)年。当時の国電が各線ごとにカラー分けにしようとしていた頃、京浜東北線のニューフェースとして新登場した車両のようです。かなり古くてボロだというのに、まだ乗れるとはすごいですな~!(笑)
次の中井侍駅に行く前に小和田駅の最終回、動画をアップします。
秘境駅の名付け親、牛山隆信氏が小和田駅に降り立って、容易くクルマで来訪できる場所ではないなど、秘境の度合いを評価し、全国で2位に選ばれました。(全国1位は室蘭本線の小幌駅)
実際、牛山氏が飯田線最終電車に乗り、巡回した車掌さんに「どちらまでですか?」と聞かれてしまいました。「小和田駅」と答えると、車掌さんの表情が一瞬こわばり、「寝袋はお持ちですか?」というエピソードがあったそうだ。
最終電車で小和田駅に降りて何をするかと細かく尋問しなくても、「寝袋はお持ちですか」とは話がわかる車掌さんだとほめたたえていました。
今回の小和田駅滞在時間はわずか20分。究極の小和田駅マニアなら、駅舎の中で寝泊り。
今の季節だと、小和田駅は雪が積もっているので、駅の中で寝泊りするのに身にこたえていまいそう。薄着でいられる夏の間なら、寝泊りできそう。
豊橋18時49分発が小和田方面の最終電車。それに乗って、小和田まで。21時33分下車。23時までは駅に明かりが付くが、それ以降は真っ暗。お水は、近くの沢を水道にしているので、ミネラルウォーターそのまま飲められます。その水をアウトドアグッズで沸かし、ドリップコーヒーにしたり、インスタントラーメンにしたり・・・。寝袋をして、ベンチで就寝。
夏の間の小和田駅夜明けは早い。朝の4時を過ぎると、明るくなるので、駅周辺を散策したり、秘境っぷりを味わったり・・・。
豊橋方面下りの始発は7時9分なので、その電車で帰ることも可能。上りは6時47分、駒ケ根行。9時35分に着き、駒ケ根始発9時38分岡谷行きに乗り換え。岡谷に10時58分に着くので、各駅停車で東京に帰ってもよし。
1人で小和田駅に泊まるのは相当な勇気がいります。出入口を締め切っても、真夜中のうちに熊がやってきて、両手でドアを開けて襲われるに違いないとか・・・考えすぎてしまいます。北朝鮮に最も近い韓国最北端の新炭里(シンタンリ)駅に辿り着き、今夜の宿はこの周辺に・・・と思ったら、真夜中のうちに北朝鮮兵が韓国に越境し、私を拉致するのではないかという同じ発想。やはり友人数名と一緒のほうが心強い。
小和田駅動画をアップしますが、補足説明。駅前に平成5年小和田駅ブームに置かれたジュースの自動販売機が置かれていたのに、今は撤去されているので何もありません。
次はようやく中井侍駅。これでもすごい秘境駅でした。
12月1日から10日まで欠航、11日は微妙だけど、強行入港になりそうだと予想しましたが、見事に外れてしまいました。今朝、ライブカメラを見たところ、桟橋は白波が打っていて、ときには波がかぶることも・・・。島民の気持ちからにすると、「この程度でも就航して欲しい」ですが・・・無理でした。新東京郵便局の管轄下に置かれた、三根郵便局(旧新東京支店三根集配センター)内のコンテナ、100-1701(青ヶ島)行きの荷物があまりにも溜めすぎると、ヘリをチャーターし、旅客を乗せない郵便専用ヘリとして空輸。
12月1日から11日まで11日連続で欠航
――――(ここからは予想)――――
12月12日(水) ○就航
12月13日(木) ○就航
12月14日(金) ○就航 貨物船もタブル入港
12月15日(土) ○就航
海が凪いでいて、乗せる人や荷物が少なければ欠航だけど、青ヶ島村が船の伊豆諸島開発に「できるだけ就航して欲しい」と申し入れているはずだし、物入りな年末年始に近づいているので、土曜日までの予想は就航できそうです。(あくまでも私の予想なので、海上状況により欠航になる場合もあります)
飯田線を旅したのは11月23日。あっという間に1ケ月になろうとしています。それなのに、秘境駅6駅のなかでまだ1駅目の小和田止まり。1駅1駅ずつ細かくリポートするつもりなので、ゴールの飯田駅はたぶん年明けかな・・・。
今日も朝早くからキジバトちゃまが遊びに来てくれました。美味しそうについばんでいたので、私もホッとします。
小和田駅の切符売場。
よく見たら・・・
●定期乗車券 9:00から終列車まで
●当日乗車以外の指定席券 10:00から17:00まで
●上記以外の切符 初列車から終列車まで となっていました。
これはたぶん国鉄時代だと思われます。1977年の時刻表で調べてみると、豊橋方面の始発は7時08分、終電21時02分。(2012年12月も変わらず7時09分、20時35分)
辰野方面は始発6時43分、終電21時14分。(2012年12月も変わらず6時47分、21時33分)
昔は朝6時から夜の10時頃まで駅員さんが駐在し、出札や改札までやっていたそうだな・・・。
私の故郷、長門二見駅も日本海で獲れた鮮魚を小倉や博多方面へ運ぶ行商客のため滝部駅3時29分発下関4時33分の日本で1番早い始発列車もありました。前日の最終列車、滝部行きの23時49分を見送ると閉店。わずか3時間後にまた開店。
2012年12月の時刻では・・・国鉄に比べるとずいぶん本数が減らされています。昔は1時間に1本なのに、今は間隔を空け、ほぼ2時間に1本。乗り遅れると、次は2時間後。田舎だから、駅の中で暇をつぶすのも大変。 事務用机。たぶん有人駅時代に電車で運ばれてきたでしょう。
無人駅化になり、机を有効活用させるため移設したらしい?
こういう机があるので、小和田駅マニアのノートに何かのメッセージを書き残すのに便利なアイテム。
ここは厳密にいえば、静岡県浜松市天竜区水窪町内。駅から少し歩くと静岡県、愛知県、長野県の県境境になっているので、駅ホームに3県境の標識が立っています。
国鉄時代の駅名票も健在!!
友人のこだわり。日本で2番目の秘境駅だというのに、人わんさかだと雰囲気がぶち壊しだと、「秘境号」が発車する前に誰もいなくなったところで撮影してくれたそうです。
そう、人が写っていないこそ秘境駅。
わずか20分の停車だというのに、本当に慌ただしくてあっという間でした。
秘境駅に降り立って、次の電車が来るまで十分探検したほうが面白そう。
次の電車と言っても、2、3時間後。時間もたっぷりあるので、廃屋ウォッチングや周辺の自然散策も楽しめそうです。でも、冬の間は深い積雪になるので、雪がなくなる初夏(5月上旬)から晩秋(11月の終わり)ならベストシーズンかも。
そろそろ次の中井侍駅に行きたいけど、動画がまだあるので、次も小和田駅です。
11月に灯油を入れたときは、リッター86円でした。需要期に入ると・・・90円。昔はポリタンクで650円~700円くらいだと記憶しているのに、今は倍以上。
真冬でも薄着でいられるような常夏モードにすることはできず、暖房を最小限にして、フリースジャケットを羽織っています。
今日のランチ。冷蔵庫を開けてみたら、9月長野へ行ったときに山菜が残っていたので、それを使い切るために山菜パスタと、いろんなきのこの暖かスープ。 夕食。お好み焼きは炭水化物。糖尿病とダイエットの敵。
毎日ではないので、たまにはいいでしょう。
国王様御下賜品の「エビシュウマイ」も美味。山口県の伯母から送られてきた「イワシ」の唐揚げも丸ごと食べられるので、カルシウムたっぷり。
昨日のテレビで言っていましたが、こんな欠航続きでも自給自足用の畑を持っている方が多いようです。
とくに池之沢あたりでは島を取り囲むような外輪山が屏風代わりになっているので、人が住んでいる岡部では風が強くて冷たくても、ここに行けば、冬でもポカポカ暖かい。天然暖房なので、農作物も育ちやすいそうです。冬の間、ふれあいサウナ周辺でキャンプしても大丈夫かな?でも、冬の間、ふらりと青ヶ島に行っても、いつ帰れるかめどが立たない。
明日(11日)はずいぶん、凪いでくると思う。桟橋に白波が波打っても、代替船は少し大きいので、入港できそう。
12月1日から10日まで × すべて欠航
――――(ここからは予想)――――
12月11日(火) △ 就航できるか微妙。10日分の荷物が山積みなので、強行入港??
12月12日(水) ○ 就航
12月13日(木) ○ 就航
12月14日(金) ○ 就航
※あくまでも私の予想です。日々変わる海上状況により欠航になる場合もあります。
青ヶ島が出るテレビ番組なら必ず録画して家宝にしています。ようやく青ヶ島村も地上デジタル化、青ヶ島で放映されるテレビもくっきり、字幕も付きます。最後に青ヶ島へ行った2010(平成22)年当時はテレビが地上デジ対応になっていても、まだアナログでした。
テレビに出る青ヶ島人は、いつも決まって同じ人でした。島では何度もテレビに出ている有名人になっているようです。ひんぎゃのお山さんのブログでは、就航状況をチェックさせていただいています。
12月 9日(日)も欠航でした。10日(月)も厳しそうです。欠航確定。
11日(火)も微妙な感じですが、還住丸代替船は少し大きな船なので、11日ぶりに就航しそうな予想です。
日本テレビの「遠くへ行きたい」の番組は毎週日曜日の午前7時半から8時の間まで。私の大好きな青ヶ島が出るので、ちゃっかり録画しながら視聴。
今日は日曜日でも出勤日なので、慌ただしく出かける準備をしたりして、ゆっくり見れませんでした。
録画したものを何回も再生しながら見てしまいました。青ヶ島の懐かしい風景にうっとり。
番組の冒頭では、お決まりパターン。青ヶ島は東京からどのくらい離れているか、視覚的にわかるように紹介。
今回の旅人さんはヘリで上陸。
私は今まで5回青ヶ島に上陸、うち4回は船で。ヘリは1回。
ヘリでスピード上陸しても、「さて、今から青ヶ島で何しようかな~」と行動が始まるまで時間がかかりました。帰りのヘリコプターは2回。
八丈島から青ヶ島まで船でおよそ2時間半、ヘリならあっという間に20分。
日本最後の秘境に行くなら、ゆっくり時間をかけて船で行ったほうが冒険的でワクワク度も増してしまいます。
丸山のふもとにひんぎゃの塩工場。
我が家の塩はずっと昔から「ひんぎゃの塩」なので、いつもお世話になっているところです。
ひんぎゃは天然の地熱なので、無料のエネルギーで塩ができてしまいます。
しかし、あっという間に塩ができるわけではなく、きれいな結晶になるまで茹で釜で1ケ月近くかかります。
青ヶ島の塩は黒潮のミネラルたっぷり、しょっぱさもなくまろやかな味になっていますので、いろんな料理に合います。
釣りに行こうと思っても、こりゃ、ダメです。
元村長さんのガイドでオオタニワタリやカンモ(さつまいも)の生育場所へ。
幻の焼酎「あおちゅう」の原料になっています。
オオタニワタリは湿気の多い青ヶ島の気候では育ちやすいですが、実は絶滅危惧種だそうです。
野菜たっぷりの鶏鍋は青ヶ島郷土料理のひとつ。
鶏をつぶす行為は本当にせつないですが・・・・仕方がないことです。
最後にサウナの管理人、ゲン兄さんが出てきて、旅人の釣りをアドバイス。
黒潮のど真ん中、青ヶ島で釣れる魚は日本海で回遊する魚と同じく身が引き締まっているので、すごく美味しいですっ!!
こう書いていると、また青ヶ島へ帰りたくなってしまいました・・・。
小和田駅から少し歩いたところで・・・東屋(あずまや)が・・・・!!
平成5(1993)年の小和田雅子様ブームのときに作られたそうです。
来年は平成25年、20年間もこの状態で保っているのは奇跡的!? これも昭和っぽい古めかしい看板。
「たき火、たばこに注意」、消防車も入れない何もない辺鄙な秘境なので、火の取扱は十分注意が必要です。
大嵐駅で喫煙タイムを十分与えたというのに、小和田駅でも「秘境駅号」の全車両禁煙に我慢できないパカスカ族が徘徊。何もない秘境駅、空気も非常にピュアだというのに、迷惑だな!!本来なら、マイナスイオンたっぷりの秘境駅で呼吸すべきなのに。
なんと!家がありましたよ!!小和田駅を利用する人の家かな?と思っていましたが・・・人が住んでいるという気配すらありません。
その近くに道しるべ。
気の遠くなりそうな距離ですな。
小和田駅が大好きな人や、小和田駅マニアの間ではもう有名になっている三輪自動車の「ミゼット」。
「ミゼット」といえば、映画夕日の三丁目に出ていた昭和30年代。鈴木オートのオーナー(堤真一氏)が忽然と現れたゴジラが東京を破壊するさなか、ミゼットで脱出する冒頭の場面。
小和田駅前のミゼットも廃車になってからもう4、50年経過していると思われます。
鉄がやがて腐り果て、自然と同化しつつ・・・。
小笠原村父島の境浦にある座礁船、濱江丸(ひんこうまる)も太平洋戦争真盛り中の昭和19(1944)年、爆撃を受け、なんとか接岸しようとここまでたどり着ぎ、力尽きてしまいました。
昭和時代なら船の原型を留めていたのに、平成になると少しずつ風化。来年は2013年、1944年から計算すると69年。完全に水没し、海底に鉄の塊が残っていると思われます。
小和田駅のミゼットは海の塩分とは無縁なところなので、風化するまでもっと時間がかかりそう。
そんなところに人が住んでいるとは思えませんが・・・今でも駅の利用者が1人や2人でもいるので、廃駅にすることはできぬ。
小和田駅の話はまだあります。