駅前の一等地。
開発が進んで来たために、この一角の小さな土地の所有者11名が、
結束して等価交換でビルを建てました。
8階建ての3階までが彼らの所有です。25年前の話です。
彼らは土地の出資に伴い、会社を作りましたが目的はビルの運営だけです。
高配当に所有者は、誰もがびっくりしました。
彼らはこの権利を誰にも犯されないように、厳しい決め事をしました。
丁度ゴルフ会員権で社団法人性と同じ様なものにしようとしたのです。
土地は全員会社に出資、代わりに株で受取、株の譲渡は基本的に禁止、
他の株主が全員一致で認める時のみ、自分の全株を一人に譲渡することを認める。
相続のときも一人だけに認める。ただし、会員同士の株の譲り合いはよい。
つまり、この権利を11名以上には絶対に増やさないようにしたのです。
将来誰かが自分の事業に失敗してこの株式を差押さえられようとしても
出来なくしたのです。Yは、この意見の推進者でした。
Yはこの株主の一人です。しかも11名の互選で運営事務まで行って居ります。
年間2500万の配当があるのですから、彼には心配事などある筈が有りませが、
実際は金繰りに毎日、追われる日々でした。
彼は、Y家が持つ不動産の運営、それに何店かの子供服の販売店チェーンを
して居りましたが、ともに赤字で、銀行借入の返済に四苦八苦の状態でした。
保証人の父親は、いわゆる町の名士で信組の理事長を長年勤めた人です。
そんな関係でYも信組がメイン銀行でした。
Yの経営がうまくいかなくなったのと、父親が理事長を退任したのは
関係がありそうです。
父親の退職金4000万が出るかどうか随分気をもんだものです。
それも心配するほでなく、手にした時はほっとしたものです。
そんなこともあり、信組がたまらなくなって、担保不動産の処分を
依頼してきた時は、Yは快く不動産を処分したものです。
不動産を処分すれば借金は消えて、お釣がある筈ですが、
この頃になると不動産価格は超下落です。
多額の借金が残ってしまいました。
この頃から、急速に信組とY家の仲も疎遠になっていました。
残る不動産は、父親自慢の自宅だけです。
父が華やかの頃は此処で街の名士を集めて園遊会を催したことがあります。
其の処分は、Yにはともかく、父親にとっては堪らなかったでしょう。
それも、かって自分が理事長を勤めた信組が要求して居るのです。
「俺も母さんの治療のために此処から移ろうと思って居たんだ。」
Yの失敗を責めるのではなく、こう言って足の悪い母も住み易いところに越しました。
其れでもまだ大分残が残ります。
信金はY家の全てを知って居ます。もう差押さえるものは何もありません。
Yはこれで信金も諦めるか、それともサービサーに売却するかと思っていました。
「私等信組は会員の方からお預かりした大切なお金、
1円たりとて回収しなけばなりません。Yさんには
未だ資産もお有りです。それを払って頂けませんか。
それまではサービサーに譲渡などとても出来ません。」
信組はビルの権利をさして居ります。
「このビルの権利は1代限りで他人に譲渡などできません。
確かに配当はあります。これを頂いたら必ずこの中から払えるだけ持参します。」
逃げるYに対して、信組の説得は執拗でした。
「貴方から信組に譲渡すると言って頂ければ10名の人は必ず当方で説得します。
説得に応じない場合は諦めます。
どうしても反対の場合は、振り込まれる配当は差押さえが出来ますよ。
しかし今まで貴方との間で、法的行為は全然有りませんでした。
以前の理事長を差押えしたなんて、直ちに町中に噂です。
何とかご協力お願いします。」
Yの最後の砦です。心のよりどころにもなって居ます。
失うと、仕事すらなくなり、完全に生活の道も閉ざされます。
険悪の空気が暫く続きましたが、「今の理事長の訪問を受けた。」
と言う父親から電話があって、それも捨てる決意をしました。
最後の最後のものすら取られました。
それを狙った信組、サービサー以上の力でした。
しかも法的の力は何ひとつ使って居りません。
Yの行方は誰も知りません。
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開発が進んで来たために、この一角の小さな土地の所有者11名が、
結束して等価交換でビルを建てました。
8階建ての3階までが彼らの所有です。25年前の話です。
彼らは土地の出資に伴い、会社を作りましたが目的はビルの運営だけです。
高配当に所有者は、誰もがびっくりしました。
彼らはこの権利を誰にも犯されないように、厳しい決め事をしました。
丁度ゴルフ会員権で社団法人性と同じ様なものにしようとしたのです。
土地は全員会社に出資、代わりに株で受取、株の譲渡は基本的に禁止、
他の株主が全員一致で認める時のみ、自分の全株を一人に譲渡することを認める。
相続のときも一人だけに認める。ただし、会員同士の株の譲り合いはよい。
つまり、この権利を11名以上には絶対に増やさないようにしたのです。
将来誰かが自分の事業に失敗してこの株式を差押さえられようとしても
出来なくしたのです。Yは、この意見の推進者でした。
Yはこの株主の一人です。しかも11名の互選で運営事務まで行って居ります。
年間2500万の配当があるのですから、彼には心配事などある筈が有りませが、
実際は金繰りに毎日、追われる日々でした。
彼は、Y家が持つ不動産の運営、それに何店かの子供服の販売店チェーンを
して居りましたが、ともに赤字で、銀行借入の返済に四苦八苦の状態でした。
保証人の父親は、いわゆる町の名士で信組の理事長を長年勤めた人です。
そんな関係でYも信組がメイン銀行でした。
Yの経営がうまくいかなくなったのと、父親が理事長を退任したのは
関係がありそうです。
父親の退職金4000万が出るかどうか随分気をもんだものです。
それも心配するほでなく、手にした時はほっとしたものです。
そんなこともあり、信組がたまらなくなって、担保不動産の処分を
依頼してきた時は、Yは快く不動産を処分したものです。
不動産を処分すれば借金は消えて、お釣がある筈ですが、
この頃になると不動産価格は超下落です。
多額の借金が残ってしまいました。
この頃から、急速に信組とY家の仲も疎遠になっていました。
残る不動産は、父親自慢の自宅だけです。
父が華やかの頃は此処で街の名士を集めて園遊会を催したことがあります。
其の処分は、Yにはともかく、父親にとっては堪らなかったでしょう。
それも、かって自分が理事長を勤めた信組が要求して居るのです。
「俺も母さんの治療のために此処から移ろうと思って居たんだ。」
Yの失敗を責めるのではなく、こう言って足の悪い母も住み易いところに越しました。
其れでもまだ大分残が残ります。
信金はY家の全てを知って居ます。もう差押さえるものは何もありません。
Yはこれで信金も諦めるか、それともサービサーに売却するかと思っていました。
「私等信組は会員の方からお預かりした大切なお金、
1円たりとて回収しなけばなりません。Yさんには
未だ資産もお有りです。それを払って頂けませんか。
それまではサービサーに譲渡などとても出来ません。」
信組はビルの権利をさして居ります。
「このビルの権利は1代限りで他人に譲渡などできません。
確かに配当はあります。これを頂いたら必ずこの中から払えるだけ持参します。」
逃げるYに対して、信組の説得は執拗でした。
「貴方から信組に譲渡すると言って頂ければ10名の人は必ず当方で説得します。
説得に応じない場合は諦めます。
どうしても反対の場合は、振り込まれる配当は差押さえが出来ますよ。
しかし今まで貴方との間で、法的行為は全然有りませんでした。
以前の理事長を差押えしたなんて、直ちに町中に噂です。
何とかご協力お願いします。」
Yの最後の砦です。心のよりどころにもなって居ます。
失うと、仕事すらなくなり、完全に生活の道も閉ざされます。
険悪の空気が暫く続きましたが、「今の理事長の訪問を受けた。」
と言う父親から電話があって、それも捨てる決意をしました。
最後の最後のものすら取られました。
それを狙った信組、サービサー以上の力でした。
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