有馬記念、取りたさ一心で本命を買った。お陰で此のレースだけは辛うじて黒字。
でも他のレースは本命は買ってない、べた負けだ。やはり人が強いというものは
確かに強いか。唯やっても昔みたいに燃えない。何をやっても燃えなければ駄目だ。
来年はやり方を変えるか。
明日は有馬記念。毎年有馬だけはやっているが勝った記憶はない。
家内は新聞を見るだけで嫌悪感を表す。どうすれば私がやってもよいのかと聞くと、
私が勝ってその大部分を家内にやればよいらしい。そんな時代は生きて居るうちには来ない。
新聞は買って来た。さあ、今夜は今から勉強だ。
差押礼状は本人には未だ未着。年金も差押と云う事でびっくり。
もう支払日から2営業日過ぎている。そのためかと窓口に聞いても窓口も解からない。
偉いさんに聞いて解かった。今までの口座を破棄して新口座を創れば其処に振り込んでくれるそうだ。
半月掛かると。差押されなくて先ずはよかった。
13日(金)預金の差押通知が届いた。暫くして年金の振込み通知が届いた。
金融機関はその人間を良く知って居てみんな味方だ。このままでは年金が差押えられる。
それには振込みを受け取らなければ良いと判断し、本人の口座が一時抹消と云う理由で年金庁に戻した。
此の判断正しかったか。続きは明日。
保証協会で残高承認を求めて来た。後4ヶ月くらいで時効になるという。断った。
すると預金の差押があった。これって時効の中断だろうか。差し押さえは結果としては
空振り、すると近々差押は取り下げになるだろうか。取り下げになれば、時効の中断は
有効だろうか。時間が経ったらわかるかな。
知人から振込みがあった筈。下ろしに行った。窓口の言い方が変。
差押が有った。振り込みも有ったが、受け取らずに返したという。
訳が解からず上司に聞いたら、差押があった時に振り込んできたから、受け取れば差押えられる。
だから一旦返却したという。感謝。しかし、そんな事が金融機関で出来るの?
社長の片腕の部下。任されて居るから好きにようにして、払うべきも払わずして辞めた。
債権者は社長に取り立てに来る。部下がやったことと相手にしないと訴訟までになった。
そんな訴訟は知らない。取り下げてくれと頼んできた。こんなことばかり。
此の社長、頭にきた常人では無いと判断してよいか。
珍しく窓口がニコニコして云った時は彼女は何の事か解かりませんでした。
今まで何人窓口が変ったでしょうか。どの窓口からも笑顔を見せて貰った事は有りません。
彼女は銀行と云うところは、不動産を売却させる所と思って居ました。
売れと責められるのを、何とか20年間逃げてきたのです。
今日も決算書を見せに来て、若干説明を仕掛けた時です。
「まだ1億2000万も残っているではないか。買い手は見つかりませんか。」
そう云われる覚悟で来ています。
「良く今まで頑張って来ましたね。此の分ならばいけるでしょう。改めて銀行もお手伝いしますよ。」
「まだ1億2000万も有りますが。」
「イヤ此の決算書の通りの数字が続けば15年有れば完済出来ます。計画を組み直ししま
しょう。」
80才の体に急に今までの苦労が、のしかかってくるようでした。
「自社で生産して、其れを近隣の衣料店に卸す。」
夫の夢でした。40年くらい前です。
それまでは卸だけでしたが、思い切って工業団地を買いました。
少し広いが鉄筋で立派な工場を建てたのです。
その2Fの一部で加工をやりだしたのです。
でも、2億6000万の借金が出来ました。
工場は勿論、自宅まで担保、其れに社長は保証人でした。子供は中学生でした。
絶好調の頃、バブルの崩壊です。
当初はピンと来ませんでしたが、段々押し寄せる不景気。ついには在庫の山になりました。
どうしようも無いと思った時にGと知り合ったのです。18年ほど前です。
Gは生産を直ぐに中止させ、工場の整理です。
そして殆ど空になった工場を貸し工場に転向させたのです。
運よく1階全部を出来るだけ長く借りたい人が現れました。「願ったり叶ったりです。」
それで銀行に金利と若干のお金が返済できます。
材料の仕入先も何とか話が付きました。長年の社長の人柄が者を言いました。
社長は当分在庫の処分です。処分が終ればぼちぼち卸をすればよいです。
何とか回る体制を作ってくれました。
つづいてGは2階を貸せることを考えました。今の返済では少ないと又銀行の苦情が復活すると読んだからです。
三つに仕切って、一つだけは自分達で使います。
しかし思うように借り手がなく、漸く決まった時はGの読み通り銀行がぶうぶう言い出す寸前でした。
全部返済に回します。
これで回っていますから良いと思うのは債務者だけで銀行はやはり未だ売却を考えて
居ました。
「後継者も居ない。今の返済方法ならば完済は死んでからだ。今のうちに処分した方が
良いではないか。」
云いなれ、聞きなれている文句、妻はその都度聞いて聞かない振り。
そんな年月が流れていました。
そんな4年前、都会で勤めていた子供が突然帰ってきたのです。
会社は止めたとの事、お互い深くは話しません。
家の仕事を手伝うというと後継者が居ない社長は大喜び。
その息子がパソコン弄って、通販も始めたのです。
パソコンに慣れていたのでしょう。
初年度、月数も半端ですが全部で50万、心配したが2年度からウナギ上り、4年目の
前期は何と年間900万の売上です。半分は利益。其れも親父と小売店を回りながらです。
銀行の担当者も上機嫌でした。
「繊維だけでなく、地元の特産品もどうか。その気が有ればいつでも仕入先は紹介しますから。」
とか
「これで賃貸・卸・ネットの三つの柱が出来たからもう大丈夫でしょう。
何より後継者が出来たというのはよかったですね。」
此方の変わり様に喜んでくれました。
丁度運よく工場をかりる人が居た。これだけは運がよかった。でも後の事はGさんの
教えもあったが全て私たちが地道にやって来たこと。妻はそう思っています。
そうだよね。それで会社が潰れるなんてお天道様はそんなことしないものね。
此の企業が生き残ったのが偶然でしょうか、それとも努力の結果でしょうか。
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12月20日が口頭弁論の日と思って居た。1月20だった。
簡裁から地裁に移ったため口頭弁論も移ると云うことを忘れていた。1ヶ月、無事に過ぎて呉れるかしら。
怖いのが国税の差押。これも含めて、その間差押でも有れば此方の負けだ。差押が出来なくなる。
この気持ちで居るのって、健康に悪い。
時価4000万の担保余裕のある不動産。銀行は以前から担保要求をして居る。
あわせて1800万貸しがある親友も保全のために担保と云っている。何を云っても聞かぬ社長。
銀行より親友を見て貰いたい。月末書換え。しなければ銀行も応じないだろう。一体どうなるのか、
当人は平気だけれど正気か。