「しらける」
本来は、白くなる、色があせる意で、古くは万葉時代からある言葉。江戸時代になり、隠していたことなどが明らかになる、盛り上がっていた気持ちが雰囲気がなくなる意味でも用いられるようになった。
1970年(昭和45年)、学生運動の挫折感、虚無的心境を表す言葉として流行した。
*由来・語源辞典 より
「しらける」
本来は、白くなる、色があせる意で、古くは万葉時代からある言葉。江戸時代になり、隠していたことなどが明らかになる、盛り上がっていた気持ちが雰囲気がなくなる意味でも用いられるようになった。
1970年(昭和45年)、学生運動の挫折感、虚無的心境を表す言葉として流行した。
*由来・語源辞典 より
「マイク眞木」
1944年4月27日生まれの76歳
♪バぁラが咲いた~ バぁラが咲いた~ 真っ赤なバぁラぁが~
これは1966年-昭和41年にソロデビュー曲として発売。
販売枚数以上に大きな影響を与えたことだろう。
現在は「俳優」中心でご活躍中である。
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
〈福島〉 榮四郎/榮川酒造磐梯工場
できる限り人の手で<磐梯町> 2016年02月01日
「東北に酒あり」。磐梯山麓の風光明媚(めいび)なゴールドライン南端に酒蔵を構えるのが榮川(えいせん)酒造(磐梯町)だ。日本名水百選に数えられる磐梯西山麓湧水群の地下水を直接くみ上げ、惜しみなく酒造りに生かしている。
社長の宮森優治さん(50)が敷地内の地下水を飲める場所に案内してくれた。勧められて口に運ぶと、「丸み」があって甘い。先代久治さんがほれ込み、酒蔵を移してまで手に入れた口当たりのいい名水だ。年間を通して水質が変わらず、酒造りに適しているという。宮森さんは「平安時代に高僧徳一(とくいつ)の下、慧日寺(えにちじ)を中心に数千人もの僧兵がいたのは、この湧水があったからでは」と推測する。
宮森さんが薦める一本は磐梯町産の酒造好適米「美山錦」を使った「特別純米酒」。飲み方は「やはり、ぬるめの燗(かん)がいい」。丸みのある味わいで、穏やかに香る。「酒は主役の料理を引き立てる名脇役。際立った味でなく、調和が取れていないといけない」と代々受け継ぐ哲学を語る。肴(さかな)には焼き魚や漬物が合うという。
酒蔵に入ると、想像していた最新設備ばかりではなかった。「できる限り人の手で」と機械化は最小限に抑えている。杜氏(とうじ)の塚田洋一さん(57)は「同じ数値で管理しても、季節やコメの状態で違う育ち方をする」と、先進的な設備よりも職人の経験と感覚を生かした伝統的な手作りを信じる。
「心が澄むような酒で、人と人をつなぎたい」と宮森さん。徳一の仏都を潤した湧水のように、磐梯山麓に湧き続ける情熱は尽きることがない。
榮川酒造
9年連続で最高金賞
創業は1869(明治2)年。会津若松市の宮森文次郎酒造店から分家し、宮森榮四郎酒造店を創業。1947年、東北初の1級酒工場の指定を受ける。かつては当主が榮四郎を襲名。89年、磐梯町の磐梯山西山麓に工場を新設、2008年に生産工程を一元化した磐梯蔵が完成。「大吟醸榮四郎」は07年から9年連続で品質の国際評価機関「モンドセレクション」の最高金賞受賞。売店「ゆっ蔵」では試飲も楽しめる。榮川酒造
*https://www.minyu-net.com/gourmet/bisyu/FM20160201-046675.php より
榮川酒造株式会社 福島県耶麻郡磐梯町大字更科字中曽根平6841-11
ブランド一覧
「榮四郎」純米大吟醸・大吟醸
「磐梯しぼり」純米吟醸生原酒
「榮川」純米大吟醸・純米吟醸 Go Beyond など
登録番号 第41号 プロシュット ディ パルマ
特定農林水産物等の区分 第20類 食肉製品類 ハム類
特定農林水産物等の生産地 イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州パルマ県内の一部地域
登録生産者団体 コンソルツィオ デル プロッシュットディパルマ
特定農林水産物等の特性 厳選された豚肉を最小限の塩で1年以上熟成された柔らかく風味豊かな生ハム。EUにおけるGI登録品(一定の地域内で生産・加工・製造の全てが行われるものを対象とするPDO[原産地呼称保護]産品として登録されている)。
地域との結び付き カシ林に覆われた養豚地域・酪農地域であり、乳清を餌とした上質な豚肉が供給可能な地域。湿度が高くない熟成に適した環境であり、かつ、塩が局所的に入手可能であり、生ハムの生産に理想的な地域。
*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i41.html より
プロシュット ディ パルマは、選び抜かれた豚モモ肉が最小限の塩で柔らかくなるよう加工工程で熟成された風味豊かな生ハムです。熟成過程を終える頃には、水分の減少により、元の1/4以上の重量が減少し、熟成により肉が柔らかく仕上がっているとともに、香りが凝縮されています。スライスしたときの色は、一様にピンク色と赤の中間色ですが、脂肪部に純白色が点在しています。 プロシュット ディ パルマは良い香りと独特の風味を伴い、わずかに塩の味がします。 他の一般的なハムと異なり、プロシュット ディ パルマの原料は豚肉と塩のみであり、通常食肉加工品の製造に使われる亜硝酸塩や硝酸塩といった着色料や保存料等の添加物は含みません。
【生産方法】
①原料の厳選
プロシュット ディ パルマの原料として、ラージホワイト種やランドレース種等の豚が使用されます。プロシュット ディ パルマ製造のために特別に調整された穀物ブレンド、シリアル、及びパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズ等の製造過程でできる乳清を食べて育てられます。 豚は最低9か月の歳月を経て160kg(+-10%の範囲まで許容)の体重に成長した去勢済みの健康状態の良い豚のみが食肉処理場へと送られます。
②プロシュット ディ パルマの(スライスされる前までの)加工プロセス 「プロシュット ディ パルマ」は、以下(ア)から(ケ)までの9の加工段階を経ます。
(ア)分離:食肉処理場で、豚モモ肉が胴体から分離される。
(イ)冷却
(ウ)トリミング:豚モモ肉から余分な脂肪と外皮を除去し、「ニワトリの脚」状の丸い形にする。
(エ)塩処理:食肉処理場から食肉加工工場に送られ、熟練した塩漬け職人によって塩漬けされる。化学物質、保存剤や、他のいかなる添加物も使用されない。豚モモ肉の燻煙処理もされない。湿度約80%、温度1℃~4℃程度の冷蔵室で、約1カ月塩漬けにする。
(オ)レスティング(寝かし):残っている塩を全て除去した後、豚モモ肉を、湿度を約75%、温度を1℃~5℃程度に保ったいわゆる寝かせ室で、60~90日間の期間にわたって保存する。
(カ)洗浄/乾燥:洗浄により、余分な塩分と不純物を除去する。豚モモ肉は、乾燥して風があり太陽が照っている気候の時には、自然に乾燥され、そうでない場合は、特別な乾燥室の中で乾燥される。
(キ)前熟成及びトリミング:豚モモ肉は伝統的な「スカレーレ」(棚)に吊るされる。
(ク)ラード処理(グリーシング)
(ケ)最終熟成と品質検査:最初の塩漬けからおよそ7か月目に、豚モモ肉は、前熟成室より涼しく空気の流れが少ない貯蔵庫に移され、熟成が完了するまで吊るされる。豚モモ肉の熟成は、最初の塩漬けから最低12か月かかる。最後に、独立機関であるIPQ(パルマ品質協会)が、生産行程への準拠を確認するとともに、品質検査を行う。
③プロシュット ディ パルマのスライスパック 骨抜き、準備、スライス、パックを含むプロシュット ディ パルマのパック品の生産は、生産地に所在する工場で、IPQの監視の下で行なわれます。
【地域との結び付き】
①原料(豚)の餌の調達のしやすさ ポー川流域の低平地と丘陵部では、養豚が常に行われてきました。その理由は、これらの地域はカシ林に覆われており、そこから雑食性の豚を太らせるのに使えるドングリが供給されていたからです。 また、プロシュット ディ パルマの生産地域は、パルマ県内のパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズの生産地域にも重なっています。そのため、プロシュット ディ パルマの原料となる豚に、パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズの製造過程でできる乳清を餌として与えることは古くから日常的に続けられています。その乳清を含んだ餌を食べた豚から、風味豊かなプロシュット ディ パルマが生産されてきました。
②生産地の優位性 プロシュット ディ パルマの熟成プロセスはあまり湿度が高くない環境を必要とします。パルマ周辺の丘陵地域は、特に食肉処理後の夏の間、湿度レベルが相対的に低いため、ハムを熟成するのに理想的でした。 プロシュット ディ パルマは、自然で濃厚な風味を有するよう少量の塩しか用いられないことからすれば、上記のような生産地の加工環境は非常に重要です。
プロシュット ディ パルマの生産の歴史は非常に古く、すでに紀元前2世紀には、大カトー(ローマ時代の政治家)が、著書「De Agricoltura(農業論)」において、イタリアのパルマの町周辺で作られる、風で熟成されたハムのすばらしい香りについて記しています。 1963年、それまで独自に生ハムを生産していた生産者たちの中から、23の生産者たちによって「コンソルツィオ デル プロッシュット ディ パルマ」が立ち上げらました。コンソルツィオ デル プロッシュット ディ パルマ結成の目的は、この地域に非常に古くから伝わる、豚モモ肉加工の伝統的製法に関する厳密な規定を定め、パルマの生ハム作りの名声を守るとともに、他の生ハムとの区別を図り、その品質を保証することです。 1996年、プロシュット ディ パルマは、欧州連合(EU)の原産地名称保護制度(略称PDO)に登録されました。
*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/41.html より
前回の出題
問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 剣戟森森- けんげきしんしん-恐ろしくなるような厳しく激しい性格のこと。「剣戟」は剣と矛ということから、武器のこと。「森森」は数多く立ち並んでいる様子。多くの武器が立ち並んでいる様子を性格にたとえた言葉。
問2 衡陽雁断-こうようがんだん-音信が途絶えることのたとえ。
問3 古色蒼然-こしょくそうぜん-ひどく古びたさま。いかにも古めかしいさま。また、古めかしく趣のあるさま。▽「古色」は年を経た物の古びた色合い。古風な趣。「蒼然」は古びた色のさま。
問4 綾羅錦繍- りょうらきんしゅう-上質の素材を用い、刺繍を数多く施した美しい衣服。また、きらびやかな衣服を身につけること。▽「綾」はあや絹、「羅」は薄絹、「錦」はにしき、「繍」は刺繍をした織物で、いずれも高貴な人が着る美しい衣服のこと。
問5 磨穿鉄硯-ませんてっけん-強い意志をもち続け、物事を達成するまで変えないこと。また、学問にたゆまず励むたとえ。鉄でできている硯すずりをすり減らして、穴をあけるほど勉強するという意から。▽「磨」は磨滅させる、すり減らす意。「穿」はうがつ、穴をあける意。「鉄硯を磨穿す」と訓読する。「鉄硯磨穿」ともいう。
今回の出題
問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 牽強付会
問2 放蕩無頼
問3 七歩八叉
問4 鵠面鳥形
問5 城狐社鼠
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より
「天童将棋駒」
天童将棋駒の起こりは、1831年織田藩が天童に城を移し家臣に「将棋駒」作りを内職として奨励したのが始まりです。数少ない資料ですが、
①1846年(弘化3年)の年号がある………駒文字の包装紙
②1870年(明治3年)の年号がある………『歩兵操典裏表紙」の残る駒文字
③江戸末期から明治初期に製作した将棋将棋駒の数々。
これら資料が、天童における将棋駒づくりが100年歴史があることを証明しています。将棋駒の五角形は12世紀頃の遺跡から数々出土しておりますし、将棋文字も、当時の天皇や書家の文字が現在まで脈々と受け継がれております。
天童の将棋駒産業が天童織田藩によって推奨されるようになったのは、江戸時代のことです。将棋駒つくりは下級藩士の内職として始めたといわれています。天童織田藩の窮乏した財政の中、下級藩士は生活の窮迫にあえぎ、内職によって家計を補いました。将棋駒製作がその一つです。当時、織田藩の用人職にあり、のちに勤王の志士として知られた吉田大八が、その受ける扶持だけでは生活できなかった藩士に将棋駒の製作を奨励しました。武士が手内職を営むことについては、他の執政の反対もありました。しかし、吉田大八は、将棋は兵法戦術にも通じるとの考えから、これを遊ぶことも、また駒を製作することも武士の面目を傷つけるものではないとして、その製造法を広く紹介しました。
*http://www.tendocci.com/koma/koma_rekishi.html より
*https://kougeihin.jp/craft/1401/ より
産地
山形県 天童市、山形市、村山市
歴史
将棋駒の製造が天童で始まったのは、江戸時代末期までさかのぼります。明和4年(1767年)上野国小幡(現・群馬県甘楽町小幡)から出羽国高畠(現・山形県高畠町)に移封された織田氏は、所領2万石のうち3分の2に近い13,000余石は、天童を中心とする村山地方にありました。天保2年(1831年)に高畠から天童に移館し、さらに嘉永元年(1848年)には、高畠にあった所領も所領交換により村山に集中するようになり、実質、天童織田藩が実現しました。しかしながら、凶作が続いたことにより藩の財政が困窮し、救済策として家臣に将棋駒製作の内職を積極的に奨励しました。「将棋は戦闘を練る競技であるから、武士の面目を傷つける内職ではない」というのがその理由でした。
天童織田藩時代は、木地造りと書きの分業形態で将棋駒を製造していました。主に手工業生産が中心でしたが、明治時代末期から機械化による大量生産が進み昭和初期には、安価で良質な天童将棋駒の供給が可能となりました。しかしながら、昭和40年代に入ると、生産の主体は彫り駒に移り、彫埋、盛上の技術が研究され、製品化されました。現在では、一般財団法人伝統的産業振興協会認定の伝統工芸士が作る盛上駒は、プロ棋士のタイトル戦でも使われています。
特徴
駒木地には使われる主な木材の産地は、薩摩(鹿児島)ツゲや御蔵島(東京都)ツゲなどを使用します。工程は、駒の木地を作る工程と出来た木地に漆を使い蒔絵筆で文字を入れる仕上げ工程に大別されます。
駒文字には楷書体と草書体があり、特に草書体は天童将棋に伝承されている独特で美しい文字です。また、近年は彫埋駒、盛上駒の研究も進み、水無瀬や巻菱湖などの行書体が多く作られています。
*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/yamagata_04.htm より