いいもの見ぃ~つけた!

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-堺正章

2021-02-16 06:55:31 | MUSIC

 「堺正章」

  1946年8月6日生まれの74歳

 

 【生涯現役「堺正章」という生き方】「1億円離婚」の真意とは すし詰め状態の会見で見せた「不満顔」 2020.10.12

 
 74歳の今も現役バリバリだ74歳の今も現役バリバリだ

 新型コロナウイルスの影響で休んでいたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が再開されたが、戦国武将たちを陰で見守る名医、望月東庵の動向がますます面白い。そんな東庵を演じているのが「マチャアキ」こと堺正章。74歳にして、時には主演すら食ってしまいそうな現役バリバリのマチャアキ。かつて番記者を務めた元スポーツ紙記者のジャーナリスト、中野信行氏が、熟成の域に入ったマルチタレントのもっとも輝いていた「熱い青春時代」を振り返る。

 

 マチャアキのロングインタビューに初めて成功したのは1980年の初めごろ。場所は当時、延べ2年間にわたって放送された人気ドラマ『西遊記II』(日本テレビ系)の撮影現場であった東京都世田谷区の国際放映だった。

 そろそろ最終回を撮り終えるというタイミングで、取材の表向きは孫悟空を演じたマチャアキの「2年間の総括」だった。しかし、私の本音は違っていた。

 その2週間ほど前、彼は最初に結婚した一般女性との離婚発表会見を東京都渋谷区にあった当時所属していたレコード会社で開いていた。

 6年間の結婚生活にピリオドを打ったマチャアキは「私が家庭生活に向いていなかった。全て自分の責任」と全面降伏を認め、なんと1億円の慰謝料を払うこともオープンにしたのだ。

 

 テレビのワイドショー、新聞、雑誌の取材陣約100人が押し掛けた会場はすし詰め状態。私も参加したが、ワイドショーや女性週刊誌の質問は「慰謝料1億円」に集中し、「支払いは即金か? ローンか?」「お金の工面は?」といった具合である。

 肝心の離婚の真意や、彼の苦悩について聞き出すような雰囲気にならないまま時間切れとなり、会見は終わった。

 マチャアキは喜劇王といわれた人気俳優、堺駿二(68年没、享年54)の次男で、当時、俳優としても父を超える域にいた。そんな右肩上がりの男の離婚劇が、質疑も希薄な「1億円離婚」で片づけられた。

 会見場で席を立つときに見せた、彼の「不満顔」に、私は「マチャアキは本意を話したいのだ」と直感し、後日、取材を申し入れていた。その場所が国際放映だったのだ。 (中野信行)

 ■堺正章(さかい・まさあき)1946年8月6日生まれ、74歳。東京都出身。62年、ザ・スパイダースに歌手として加入、『夕陽が泣いている』などが大ヒット。70年の解散後、ソロに転向。同年のドラマ『時間ですよ』(TBS系)で俳優としても頭角を現す。78~80年のドラマ『西遊記』『西遊記II』で孫悟空役を好演し人気者に。歌番組や料理番組の司会で活躍している。

*https://www.zakzak.co.jp/ent/news/201012/enn2010120001-n1.html より

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<日本酒> 茨城 富久心/椎名酒造店

2021-02-16 06:51:41 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈茨城〉 富久心/椎名酒造店

 

 富久心(茨城/椎名酒造店) 2019.06.11

 その殆どが地元で消費される、地酒
 日立市というとあの日立を思い浮かべますが、十王町高原はもう、山の中です。
 日立北インターチェンジから車で15分ほど、峠を登ったり下りたりした前に、椎名酒造店はあります。
 創業は明治10年。歴史を感じさせる門構え、佇まい。
 石高は250石程で、その殆どを地元で消費する。富久心は文字通り、地元に愛される地酒です。

 突然の世代交代
 椎名酒造店は、母と息子の2人しかおらず、息子の椎名健二郎氏が杜氏として酒造りにあたっている。
 先代は非常に研究熱心な方だった様で、それが祟ってか、体調を崩す事になります。
 急遽、健二郎氏が蔵に戻るも、2012年に父が急逝。そして、健二郎氏がそのまま造りを引き継ぐ事となる。
 結局、健二郎氏が父の造りを見られたのはほぼ1造りしか無かったが、先代と共に造った最後のお酒は、全国新酒鑑評会で金賞を受賞する。

 世代が変わっても変えないという事
 世代が変わると、酒質を現代風に変えてみたり、というのは良くあるパターンだが、健二郎氏は、「自分の酒を造るよりも、今までのままを再現・継承できる様に頑張りたい」「少なくとも10年間は自分のやりたい酒などは考えない」と言っていた。

 実際、全くラインナップを弄る事無く、椎名酒造店の味を再現・継承をしており、純米以下のお酒をお試し頂いた方は、富久心はいわゆる昔ながらのスタイルと思われるかもしれません。
 しかし、心地よい吟醸香と共に広がる透明感のあるクリーンな米の旨味に、杯を重ねても軽やかな素晴らしい仕上がりの純米吟醸 美山錦や、毎年11月末から販売される冬季限定のもろはくのトロリとした口当たりにリンゴ様フレーバーのガスを含んだ爽やかな味わいの、飛び道具感も今の時代にもピッタリだと思います。
 是非、お試し頂きたいアイテムです。

 蔵の特徴はハードな仕事量
 蔵の設備は至ってトラディショナル。現代的な設備を見慣れてしまった者から見ると、この設備でどの様にして、あの美しい大吟醸や純米吟醸の様な酒が生まれるのだろう?と考えてしまう。
 見学させて頂いた際も、疲労困憊の健二郎氏がそこにはいました。健二郎氏のハードな仕事量がこの富久心の味わいを生み出している様です。

 また、特筆すべきは、蔵内に湧き出る仕込水の優しい事、優しいこと。財産とも言うべき、水の良さ。鮮烈なる水の美しさをもって、富久心は出来上がっている。

 そして。
 30BY全国新酒鑑評会では、見事に金賞を受賞した。

*https://blog.sasas.jp/sake/sakagura/fukugokoro.html より

 合資会社椎名酒造店 茨城県日立市十王町高原411

 ブランド一覧

 「富久心」純米大吟醸・大吟醸袋吊り・大吟醸三年古酒 など

 

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 53. 入善ジャンボ西瓜

2021-02-16 06:48:01 | 食品

 登録番号 第53号 入善ジャンボ西瓜

 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 すいか

 特定農林水産物等の生産地 富山県下新川郡入善町

 登録生産者団体 みな穂農業協同組合

 特定農林水産物等の特性 ラグビーボールのような長楕円形のユニークな外見であり、果皮の色は濃く縞がはっきりとしている。平均重量が17~19kgと大きい。サッパリとした甘みが口の中で広がる。

 地域との結び付き 産地は黒部川によって形成された広大で肥沃な扇状地であり、砂質浅耕土であるため保水力が低く、多湿に弱く病害の発生しやすい西瓜を長期間生育し重く大きく育てることができる。産地では明治後期からジャンボ西瓜の栽培が始まり、ジャンボ西瓜の栽培方法が確立している。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i53.html より

 

 「入善ジャンボ西瓜」は、富山県の北東部にある入善町で栽培されたラグビーボールのような長楕円形のユニークな形状をしたスイカで、果皮の色が濃く縞がはっきりとしているのが特徴です。
 他の大玉のすいかの平均重量が7~9kg程度であるのに対し、「入善ジャンボ西瓜」の平均重量は17~19kgもあります。大きくても糖度があり、食味は、サッパリとした甘みが口の中で広がります。
 「入善ジャンボ西瓜」の特徴的な形、大きさ、風味から、市場や消費者からも富山県入善町ならではの特産品として、古くから夏の風物詩として親しまれています。地域の祭りなどのイベントに使われることも多く、また、お中元の贈答品としても重宝されています(1)。

 栽培品種は「入善ジャンボ」を使用します。また、「入善ジャンボ」と同等の性質を満たしている別の品種を用いることもできます。
 栽培は、果実が肥大化できるよう株間を60cm以上取って定植します。また、果実に養分を集中させるため、1株当り2個以下となるよう摘果を行うとともに、日焼けを防ぐため稲わらで日よけをします。
 なお、生産地では連作障害を防ぐため、一度栽培したほ場は6年間以上、栽培は行いません。
  このようにして生産したもののうち、収穫後の果実重量が9kg以上のものを出荷することとしています。

 入善町は、飛騨山脈(2)に囲まれた富山県の北東部に位置します。この地域には、黒部川(3)によって形成された広大な扇状地が形成されています。この地域の土質は砂質浅耕土であり、保水力が低いため、多湿に弱い西瓜を長期間生育し、重く大きく育てることが可能です。また、町内の農地の多くを占める水田を、西瓜のほ場として利用しやすい環境にあったことも、西瓜栽培が普及した要因です。
 この地域では明治30年(1897年)頃より大型西瓜の栽培が行われており、100年以上の間に培った栽培技術の蓄積が、栽培管理上の土づくりや病害虫対策、果実の肥大化などに不可欠な栽培方法や土壌管理方法を生み出し、ジャンボ西瓜の産地を形成してきました。

 明治時代から始まった大型西瓜の栽培は、大正時代には作付面積96haにのぼり、海外にも輸出されましたが、その後の戦争や消費者の嗜好の変化により、作付面積が減少しました。このため、栽培技術の共有や品質の向上を図るため、1971年「入善町黒部西瓜生産組合」が発足し、その後、1982年には、品質管理の徹底と町の特産品振興を目的に、名称が「入善町ジャンボ西瓜生産組合」に変更されました。
 1983年頃から「入善ジャンボ西瓜」の名称で生産・出荷されるようになり、2016年度には、生産面積が4.1ha、7,846個が生産されています。

 (1)日本では1年に2回、お世話になった方に対して、「感謝の気持ちを込めて」、贈り物をする習慣があります。夏は「お中元」、冬は「お歳暮」と言います。なお、入善ジャンボ西瓜は、かつては米を入れるための包材である「米俵」を利用して持ちやすく梱包されていたことから、現在でも贈答用には、稲わらで編んだ特徴的な形の梱包材で梱包したものもあります。
 (2)飛騨山脈:富山県、新潟県、岐阜県、長野県に連なる山脈です。山脈の主要部分は「中部山岳国立公園」に指定されています。
 (3)黒部川:富山県東部を流れる河川です。急峻な飛騨山脈を源流とし85kmの短さで日本海に至ります。黒部川の流域にある黒部ダムが国内最大級のダムとして有名な観光地になっています。

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 43.回答 44.出題

2021-02-16 06:45:03 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 尭階三尺-  ぎょうかいさんじゃく-君主がつつましい生活をすることのたとえ。古代中国の伝説の聖天子の宮殿は、土を固めただけの階段があり、高さは三尺ほどしかなかったということから。君主の生活の理想とされている。

 


 問2 綱紀廃弛- こうきはいし-国の法律や規則がきちんと守られないこと。また、社会の規律や秩序が乱れること。 

 


 問3 自然淘汰- しぜんとうた-自然界で、生態的条件や環境などによりよく適合するものは生存を続け、そうでない劣勢のものは自然に滅びていくこと。転じて、長い間には劣悪なものは滅び、優良なものだけが自然に生き残ること。▽「淘汰」は選び分ける。悪いものを捨て、よいものを取ること。もとダーウィンが進化論の中で説いた語。 

 


 問4 智謀浅短- ちぼうせんたん-浅はかな策略のこと。考えが足りないこと。「智謀」は知恵や策略、または知恵を使った策略。「浅短」は浅はかなこと、思慮が足りないこと。「知謀浅短」とも書く。 

 


 問5 泥車瓦狗-でいしゃがこう-役に立たないもののこと。「泥車」は泥で作られた車。「瓦狗」は瓦で作られた犬。泥で作られた車は何も運ぶことができず、瓦で作られた犬は番犬としての役目を果たすことができないことから役に立たないものという意味。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 梧桐一葉  

 

 問2 秋風索莫  

 

 問3 狐死首丘  

 

 問4 先庚後庚  

 

 問5 情緒纏綿

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 群馬 桐生織

2021-02-16 06:42:06 | 東京五輪延期

 「桐生織」

 日本で江戸時代までに使われていた技術または技法で、今でも産地にその技術または技法が伝えられ、つくられている製品をいいます。 桐生織の「織り方」には7つの技法があって、いろいろな種類の織物がつくられます。
桐生織は、昭和52年10月に通商産業大臣から伝統的工芸品桐生織の指定を受けました。現在、経済産業省、群馬県、桐生市の指導をもとに、桐生織物協同組合が中心になって桐生織が一層さかんになるよう事業を行なっています。伝統的工芸品桐生織には伝産マークを表示しております。また、優れた技術者には伝統工芸士の称号をおくり、さらに技術をみがき、これを後継者に伝えることをお願いしております。桐生の伝統工芸士は桐生織伝統工芸士会を結成して、技術の向上、後継者の研修指導や会員の交流研修などを行なっております。

*http://www.kiryuorimono.or.jp/kiryuori/industrial-arts/ より

*https://kougeihin.jp/craft/0106/ より

 時代を彩る進取の気勢 桐生織
 江戸のはるか以前より織物産地として発展してきた桐生。守るべき伝統と革新を融合させてきた桐生織の歴史からは日本が工業化を成し遂げていく様子を見ることができる。

 
 桐生織の歴史
 桐生織の歴史は古く、現存している文書からは8世紀初頭から朝廷への朝貢品として上野(こうずけ)の国、今の群馬県からあしぎぬが献上されていたことがわかっている。関が原の戦いの際に、徳川家康が小山にいた軍を急遽、関が原に帰すために求めた旗絹に応じ2410疋(ぴき)を差し出したこともある。その縁から桐生は幕府から厚遇され、織物の一大産地としての発展を遂げた。
 新井實さんは桐生の地で、20代目となる機屋の当主である伝統工芸士。伝統工芸の未来を見据えたお話を伺った。


 表現力豊かさが桐生織の特長

 製造にコンピュータを導入?
 「伝統工芸には2種類ある。ひとつは伝統をしっかり守っていくべきもの。もうひとつは時代の先端の技術を融合させていくべきもの。桐生の織物は新しい技術を自らの物となしえたからこそ世界に認められる繊維産業になることができたのです。」
 桐生織では柄のデザインにコンピュータを用いた最先端の画像処理技術が使われている。“伝統”のイメージからは一見似つかわしくない光景だ。「機械を導入すると言っても、合理化のための自動織機と、付加価値を増し技術を洗練するために入れる機械とでは全く意味が違いますよ。」と、先端の技術に飲み込まれることなく自分の物として活かすことを説く。欧米の技術を取り入れ、欧米以上の製品を作ってきた、いかにも日本の技術らしい考え方だ。


 コンピュータを使ったデザインの企画

 日本の織物産地に大きく貢献した桐生織
 時代の先端を自分の物にしてしまう、そのルーツは江戸時代にまでさかのぼる。1738年、京都で飢饉と大火事が起こった。その際にあぶれた西陣の織工を桐生に招き入れ、同時に各地の優秀な人たちが織物技術を身につけようと桐生に移り住んだ。そしてこの織工たちが現在の織物産地に招かれ各地に技術を伝えていったのだという。「桐生には生粋の桐生人は少ないですよ。各地の出身者がのれん分けしてもらって織物職人になったのです。だから彼らには元々保守的な考え方がなくて各地に技術を伝えていった、というわけです。」桐生を通じて織物の技術が伝播したことが各地の紋織りの際の開口運動を記憶する紋紙を見るとわかるらしい。全国のほとんどの織物産地で使われている紋紙が桐生と同じものだからだ。「桐生では技術こそ西陣から学びましたが、それを鵜呑みにしたわけではないのです。桐生の技術として組み変えてから伝えたことが各地の紋紙からわかるのです。」
 全国に織物の技術が伝えられていたからこそ、後の産業革命で日本がいち早く繊維工業を興すことができたのだ、と桐生の歴史に誇りを持って新井さんは語る。


 昔ながらの織機上部のジャカードが紋型である。

 豊かな表現力も近代技術との融合があったからこそ
 桐生織には7つの技法がある。中でもジャカードを用いた技法で織られた織物の表現力には目をみはる。「この柄も、世界に輸出することを考えていたからできた技術なのです。」桐生では明治期に輸出用の広幅織物に力を入れた。広幅織物には伝統的な織物よりも緯糸が織りなす柄が豊かだ。広幅織物の技法を小幅な織物にも応用したことでより緻密な紋様を表現できるようになった。
 「戦争では大切な織機を失いました。しかし桐生では自分たちの手で織機を作り自ら復興を成し遂げていったのです。」現在ではコンピュータを使ったジャカードを地域に広く導入している。桐生の方式は全国のジャカードの標準になっている。これも桐生の織工が一丸となって協力したからだという。協力、自立、積極性、これらが桐生の織物のみならず、手工業しかなかった日本に工業がスムーズに定着した理由なのかも知れない。


 7つの技法のうちのひとつ、“綟り織(もじりおり)”の紗

 これからのヒントを垣間見る
 20世紀初頭から日本を引っ張ってきた繊維産業は、時代の荒波にもまれながら技術を発展させてきた。そして欧米の技術を取り込みながらも独自の伝統もしっかり守っている。21世紀、桐生織は次の波にどのように乗っていくのだろう?時代を読むヒントを感じさせてくれる、伝統と先端の融合である。

 職人プロフィール

 新井實

 「新しい技術に溺れることなく新しい技術を自分のものにする、これが難しい。」と語る桐生織協同組合常務理事。日本伝統工芸士会副会長も務める、伝統工芸士会きっての弁士だ。

*https://kougeihin.jp/craft/0106/ より

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