「エルトン・ジョン」
1947年3月25日生まれの73歳
『ロケットマン』公開記念! あなたが知らないエルトン・ジョンにまつわる事実
トレードマークのメガネから、2度の結婚、薄毛の克服、 あの女帝とのバトルまで、最高のエンターテイナー エルトン・ジョンを大解剖。By ELLE Japan 2019/08/20
世界で最も有名なシンガーのひとり、エルトン・ジョン。その半生をドラマティックに描いた話題の伝記映画『ロケットマン』がいよいよ8月23日(金)に公開されるのを前に、彼に関するあなたがまだ知らない意外な事実をお届け。読めばいっそう映画が楽しめること間違いなし!
君の名は
1947年、ロンドン北西部のピナーに生まれる。出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。レジーというニックネームで呼ばれていた。「エルトン・ジョン」という芸名を付けたのは彼が20歳の時で、「エルトン」も「ジョン」も、実は当時ソロデビュー前に結成していたバンド、ブルーソロジー(Bluesology)のメンバーだったエルトン・ディーンとロング・ジョン・ボールドリーの名から取ったもの。
その後、25歳の時に正式にエルトン・ハーキュリーズ・ジョン(Elton Hercules John)という名前に改名している。
トレードマークで視力低下
エルトンといえば、ド派手なサングラスやメガネがトレードマーク。もともと視力が悪いわけではなかったが、ロックンロール草創期に一世を風靡したアメリカ人歌手バディ・ホリーに憧れて幼い頃から黒縁メガネをかけ続けていたのが原因で、本当に視力が落ちてしまい、それ以来メガネが欠かせなくなってしまったそう。
なお、シグネチャーであるサングラスはなんと「25万個も所有している」と本人がトークショーで明かしているが、それはさすがにジョーク?
ピアノには女性の名前を
エルトンのもうひとつのトレードマークといえば、ステージ上にほぼ毎回鎮座しているピアノ。奏でる音に合わせて側板に貼られたLEDスクリーンに映像が流れるよう、4年と140万ドルをかけて改造したものをはじめ、複数台を所有している。このLEDピアノには、ジャズシンガーのブロッサム・ディアリーにちなんで「ブロッサム」と名付けており、そのピアノをテーマにしたド派手なライブショーもラスベガスで公演していたほど。
他にもアレサ・フランクリンやニーナ・シモンといった偉大な歌手たちから名前を取って、愛するピアノに名を付けているのだとか。ロマンティックな一面が垣間見える。
セクシュアリティと結婚
今でこそゲイアイコンとして知られるエルトンだが、1968年のソロデビュー以降囁かれていたゲイ疑惑についてはコメントせず、1976年になって初めてバイセクシュアルだと告白。男性との初体験の相手は、大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも登場するマネージャーのジョン・リードだったそう。
その後1984年にはレコーディング・エンジニアのドイツ人女性レネーテ・ブリューエルと結婚した(写真)が、1988年に離婚し「ゲイでいるほうが本来の自分らしい」と改めてカミングアウト。のちに「いい夫でありたかったが、本当の自分を否定していた。そのため前妻を悲しませ、自分自身にも大きな罪悪感と後悔をもたらした」と振り返っている。
2005年には、長年のパートナーであるデヴィッド・ファーニッシュと誓いの言葉を交わし、2014年3月には、イギリスで同性婚が合法化されたのを受け、正式にゴールイン。現在、代理母が出産した2人の子・ザッカリーとイライジャを育てている。
薄毛を克服
遺伝のためか、1970年代から既に髪の毛が薄くなっていたエルトン。アルコールとドラッグの常用やストレスも拍車をかけたようで、帽子や派手なかぶり物などで隠してはいたが、1980年代から植毛をスタートさせ、髪バックならぬカムバックを果たしフサフサに。現在ではそれすらジョークにしている。これまでに植毛に費やした金額は、なんと3億円以上という説も!
なお、今回エルトンになりきった俳優タロン・エガートンは、撮影中実際に髪を剃って生え際が後退したように見せており、「剃ったらもう生えてこないんじゃないか」とヒヤヒヤしていたそう。
電話は持たない主義
エルトンほどのスーパーセレブになると不要なのか、携帯電話は持っておらず(ただしiPadは所有しているそう)、SNSは周囲のスタッフや夫デヴィッドが更新していることを明かしている。歌声やピアノの腕前はワールドクラスだけれど、テクノロジー面ではどうやらオンチかも!?
そうそうたるメンツのゴッドファーザー
音楽界のレジェンドであるエルトンが、同じくレジェンドのジョン・レノンの友人であったとしても大きな驚きはないけれど、レノンとオノ・ヨーコの息子ショーンのゴッドファーザーであることは意外と知られていない。ちなみに、1974年のサンクスギビングデーにNYで行われたライブでエルトンはレノンと共演したが、これがレノンの最後のライブパフォーマンスとなってしまった。
エルトンはほかにも、ベッカム夫妻の子供たちや、エリザベス・ハーレーの息子ダミアンを含む豪華な面々のゴッドファーザーでもある。なお仲良しのレディー・ガガは、エルトンの息子ザッカリー&イライジャのゴッドマザーでもあるそう。
熱心なサッカーファン
英プレミアリーグ、ワトフォードFCの熱烈なサポーターでもあるエルトン。チームの会長やオーナーを務めていたこともあり、ホームスタジアムであるヴィカレッジ・ロードには、自身の名を冠したスタンドまである。2018年には、息子ザッカリーがユースアカデミーの選手としてワトフォードと契約も果たした。
史上最も売れた歌
地球上に存在する全レコードのうち、3%は彼のレコードだったという時期もあるほどのエルトン。1997年にリリースした『キャンドル・イン・ザ・ウインド ~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ』は、チャートの歴史が始まって以来世界で最も売れたシングルとなった。この曲はもともと、エルトンが1974年にマリリン・モンローを偲んで歌った曲だったが、親交のあったダイアナ妃がこの年不慮の事故で亡くなったことを受け、詩の一部を書き換えてリリースしたもの。
妃の葬儀でもライブを行い、葬儀と同じ日にレコーディングしたこの曲は、全世界で3,300万枚以上も売り上げた。
映画やミュージカルでも引っ張りだこ
現在大ヒット上映中のリメイク版と、1994年のオリジナル版の『ライオン・キング』や、ジェイミー・ベル(エルトンのビジネスパートナー・バーニー役を『ロケットマン』で演じている)主演の大ヒット映画『リトル・ダンサー』のミュージカル版、ブロードウェイミュージカル『アイーダ』など、さまざまな映画や舞台のためにも曲を制作している。
『ライオン・キング』では、作曲を務めた『愛を感じて』でアカデミー賞歌曲賞を受賞。今作のサウンドトラックは、世界で最も売れたアニメのサウンドトラックとなった。
ポップの女王と大バトル?
明るく率直で、しばしば毒舌とも形容されるエルトン。あのクイーン・オブ・ポップことマドンナを「口パクだ」とこき下ろしたことで2004年から仲違いしていたが、2012年にフランスのとあるレストランで遭遇し、エルトンがメモを渡して謝罪したことでケンカは終わったと打ち明けている。
「マドンナは僕と二度と話さないという選択もできたのに、『あなたの謝罪を受け入れるわ。前に進みましょう』と僕を許してくれた。彼女は素晴らしいよ」と認めており、これに関しては女帝マドンナが一枚上手だった様子。
ナイトの称号も所有
1992年には、エイズの啓蒙や研究、撲滅を目的とする非営利組織「エルトン・ジョン・エイズ基金(EJAF)」を設立。今でこそセレブによるチャリティ団体は数多く存在しているが、EJAFはその先駆けとなり、これまでに4億ドル(約420億円)以上の寄付金を集めたそう。
こうした慈善活動や音楽界への多大な貢献を称えられ、1998年にはエリザベス女王から大英帝国勲章を授与され、ナイトの称号を得ている。
世界各地に豪邸が6軒
ロンドン西部、ヒースロー空港からもほど近いオールド・ウィンザーにあるウッドサイドという大邸宅に1975年から住んでいるエルトン。ここのほかにもロンドンやヴェネチア、LA、ニース、アトランタなど世界各地に見事な豪邸を所有している。アートや車のコレクターとしても知られており、どの家もため息モノなのは間違いなし。
『ロケットマン』ではそんなエルトンの全盛期の暮らしぶりなども垣間見える。
現在引退ツアー中
最も稼ぐミュージシャンのひとりとして、約50年も音楽界を走り続けてきたエルトンだが、「今後は子育てに注力したい」と2018年に引退を宣言。2018年9月からスタートさせ、2021年まで、3年に及ぶ世界規模の引退ツアーを現在ちょうど行っている。
*https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g28753404/elton-john-facts-190820-hns/?slide=1 より
ツアーはコロナの影響もあり、予定がずれ込んでいる。
ただ決して「音楽活動」を終了するわけではなく、今後も続けていくと。