いいもの見ぃ~つけた!

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ビリーバンバン

2021-02-03 07:35:53 | MUSIC

 「ビリーバンバン」

 菅原孝、進の兄弟2人によるフォークデュオ。

 菅原 孝

 1944年8月7日生まれの76歳

 菅原 進

 1947年9月21日生まれの73歳

 

 知らなかった話だが、1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

 えっ!あの「せんだみつお」と?!

 ビリーバンバンの幻のメンバー、せんだみつお現る 2009.1.20 20:42

 慶応大の菅原孝と、青山学院大の菅原進のふたりが、在学中にカレッジ・フォーク兄弟デュオ・ビリーバンバンとしてシングル「白いブランコ」でデビューして40年となる。

 現役で活動を続ける兄弟デュオとしては最長の活動暦を誇り、現在その記録をギネスブックに申請中のビリーバンバン。そんな彼らが40年前のデビュー日と同じ1月15日に、次なる50周年に向けて抱負を語った。

 この日、記者会見の司会には、ビリーバンバンのデビュー直前までオリジナル・メンバーだったというせんだみつおが担当。菅原兄弟と3人がオリジナル・メンバーとして40年目にして再集結するというおめでたいイベントも発生し、なんと生演奏も披露。

 ◆ビリーバンバンの幻のメンバー、せんだみつお現る~写真編

 デビューから、今までの40年を当時の写真を交えて振り返りながら、iichiko CM曲としてTVでガンガン流れている坂本冬美の歌う「白いブランコ」を記念して、サプライズゲストに坂本冬美本人も登場、花束贈呈とフォトセッションが行なわれた。

 せんだみつおがビリーバンバンのオリジナルメンバーだったという驚愕の事実を知って腰を抜かした人も多いのではないかと思うが、もしそのまま3人であれば、現役兄弟ディオという希少性が消え去って、ギネスの話もなかったことだろう。せんだみつおの脱退は、ビリーバンバンにとって大いなるプラスに働いたという解釈は…これでいいのか?せんだみつお! それにしても、デビュー曲でいきなり大ヒットとなった昭和を代表する名曲「白いブランコ」。♪あのぉー白いーブランコー♪ナハナハと、なるかもしれなかったということだ。いやー、危ない。

 なお、美しきハーモニーを聞かせるビリーバンバンの最新作は、デビュー40周年記念オリジナルアルバム『セカンド・プロポーズ』。1月14日にリリースとなった。

*https://www.barks.jp/news/?id=1000046434 より

 

 現在では、十年以上にわたり手がけている麦焼酎・いいちこのCMソングでも有名(進のソロ曲が使われたこともある)。「さよならをするために」もCMで使われており、今では何の躊躇もなく歌っている。

 2014年7月、孝が脳出血で緊急入院し、出演予定だった生放送『THE MUSIC DAY』(日本テレビ)には進がソロで「白いブランコ」を披露した。病状では左半身麻痺が残り、声もうまく出せなかったが、リハビリを続けた結果、2015年5月、『大沢悠里のゆうゆうワイド』へのゲスト出演から仕事復帰を果たす。その出演の際、進が大腸がんを患い、孝が倒れた時はその手術が終わったばかりだったことを明かした。2017年7月には兄弟揃って『THE MUSIC DAY』に生出演した。

*Wikipedia より

 現在は、孝さんが車いす、進さんは立って歌う姿で今も歌い続けている。

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<日本酒> 福島 稲川/稲川酒造店

2021-02-03 07:33:14 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈福島〉 稲川/稲川酒造店

 根強いファンに支えられた 個性豊かな地酒
 命名の由来は豊かに実る稲と、磐梯山から流れ出る伏流水で仕込んだお酒であることから。

 酒造りに恵まれた環境をそのまま冠したかのような名前の一方で、先祖が贔屓にしていた力士の名前にあやかってつけた、とも。

 「どちらが正解かはわからないんですが」と、稲川酒造店の6代目、塩谷隆一郎さんはにこやかに教えてくれました。

 かつては5、6社とあった猪苗代町の酒蔵も次々に暖簾を下ろし、今ではたった1軒に。それでも、嘉永元年創業以来の町の地酒としての使命を胸に、地域密着の味を守り続けています。

 「個性的、とよく言われますね。日本酒と言うと、“淡麗辛口”をイメージする方が多いと思うのですが、確かにそれとは逆かもしれません。まあ、似たお酒ばかりになっても面白くないですから。ひとつくらいはこういうのがあってもいいのかなと」

 会津のお酒は甘みがあり柔らかで女性的と評されることが多いところ、稲川酒造店のお酒は米の旨みがしっかりと感じられる力強いタイプ。水系の違いか、はたまた杜氏の腕の為せる技か。

 いずれにせよ、福島酒の奥の深さを感じさせてくれるお酒であることは間違いありません。塩谷さん自身、「万人受けはしなくても、リピーターになってくれる人が増えれば」との思いで営業活動に励んでいるそう。

 取材の最中にも、ひっきりなしにお酒を買い求めるお客さんが訪れていたことが何よりの証。根強いファンに愛される、一度ハマったら飲み続けたくなる、そんなお酒と言えるのではないでしょうか。

 

 ブレずに、実直に 今あるものを大切に
 稲川酒造店は塩谷さんで6代め。2011年に急逝した先代に代わり蔵を受け継いでから、6年が経ちました。

 震災で土蔵が壊れるなど大きな被害を受けた中での代替わりは、「わけもわからず、無我夢中だった」そう。

 親子の気恥ずかしさもあり、先代と酒造りについて語ることは少なかったという塩谷さんですが、とにかく品質第一に、精魂込めて造るという姿勢を父の働く姿から学んだと言います。

 「味のいい酒をこだわって造ること。それ以上でもそれ以下でないんです」という語り口からは、人当たり良く笑顔を絶やさない印象とは違う、会津人らしい頑固さも垣間見えました。

 「味わいや造りもなるべく変えずにやっていきたいんです。あれこれ手を伸ばすと、“どっちなの?”ってなっちゃうでしょ? それならズバッと信じる道を行きたい。新しいことをやるよりは、今あるものをブラッシュアップできたらと思っています」

 現在の代表的な銘柄は「七重郎」と「百十五」。前者は純米無濾過に特化したハイスペックなシリーズで、全国新酒鑑評会はじめ、さまざまなコンクールで好成績を収めている稲川酒造店の看板。

 「七重郎」とは塩谷家の当主が代々襲名する由緒ある名前でもあります。一方、後者は酒米の栽培も杜氏自ら手がけたという逸品。印象的な銘柄名は酒米を育てている田んぼの脇を、国道115号線が通っていたことから名付けられました。

 どちらにも共通するのは、ほとんど地元流通である点。都内でも一部の酒販店を除き、アンテナショップでしか販売されていない、正真正銘レアなお酒と言えます。

 「まずは、このふたつを地域に根付かせることからと思って。決して控えめに売ってるわけじゃないんですよ! でも造りすぎて杜氏が倒れちゃったら困るし。いいんですよ、あんまり主張せず。キャラじゃないですから(笑)」

 どこまでも自然体な姿勢は、“川”の流れに身をまかせるがごとく。それでも大地に根を張る“稲”のように、信念は曲げずに健やかに。塩谷さんの人柄そのものが稲川酒造店の醸すお酒を体現しているようにも感じます。

 「20年前と比べたらどこのお酒もおいしくなっています。そして、飲む方も量は飲めなくてもおいしいものを飲みたいという人が増えました。“なんでもいい”じゃないからこそ、皆さんに愛される、おいしいと思ってもらえるお酒を造っていきたいですね」

 

 稲川酒造店 福島県耶麻郡猪苗代町新町4916

 ブランド一覧

 「七重郎」(赤ラベル)純米吟醸無濾過原酒・(赤ラベル)袋吊りうすにごり 生酒・(青ラベル)特別純米無濾過生詰原酒・(青ラベル)特別純米無濾過生原酒・(黒ラベル)純米大吟醸無濾過原酒・(黒ラベル)袋吊りうすにごり 生酒・(白ラベル)純米大吟醸無濾過原酒 山田錦仕込

 「稲川」大吟醸

 「百十五」純米酒 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 40.  美東ごぼう

2021-02-03 07:26:28 | 食品

 登録番号 第40号 美東ごぼう

 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 ごぼう

 特定農林水産物等の生産地 山口県美祢市美東町
 登録生産者団体 山口美祢農業協同組合

 特定農林水産物等の特性 長根のごぼうで先端まで肉付きが良く、食感が柔らかい。丁寧な出荷作業で香りが損なわれない。品質の良さから、市場関係者からも高値で取引されている。
 地域との結び付き 生産地は秋吉台の石灰岩が侵食されできた窪地で、粘土質土壌が深く堆積し、土が重く硬い。この特殊な地形と土壌でごぼうを栽培することにより、肉質がきめ細かく柔らかな食感を生み出す。出荷の前に稲わら等で表面を傷つけずに丁寧に泥を落とす「すなでる」手法は、昭和初期の頃から当地で伝統的に行われている手法である。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i40.html より

 

 「美東ごぼう」は、山口県美東町の赤い粘土質の土壌で栽培されるごぼう(1)(2)です。長根のごぼうで先端まで肉付きが良く、やわらかい食感、高い香りという特徴があり、その品質のよさから市場関係者からの評価も高く、高値で取引されています。

 生産者は、長根のごぼうができるよう、赤い粘土質の土壌を機械で1m程度丁寧に耕して、土に弾力層を作ってからごぼうを栽培します。

 ごぼうの収穫後には、本来の香りが損なわれないよう、「すなでる」(3)といわれる伝統的な手法により、泥を落とします。

 「美東ごぼう」の生産地は、石灰岩が浸食されることでできた窪地で、暗赤褐色で重い粘土質の土壌を有しています。この特殊な地形と土壌により、ごぼうは土の圧力を受けてゆっくりと成長します。また土壌改良や深耕など、肥沃な土地を作る方法も確立されてきました。これらの恩恵により、肉質がきめ細かくやわらかな食感が特徴の「美東ごぼう」が栽培されています。

 美東町のごぼう栽培は古い歴史を有しており、江戸時代(4)には税として上納されていたと伝えられています。

 1986年に美東町ごぼう生産組合が設立され、栽培方法の統一、出荷規格が明確化されました。現在に至るまで30年以上生産活動を続けています。

(1)ごぼう:ごぼうは、10世紀以前に薬草として中国からもたらされましたが、日本人は平安時代の中頃からこれを野菜として食べるようになったと言われています。ごぼうは、豊富な食物繊維、ミネラル、ポリフェノールを含んでおり、便秘の緩和や動脈硬化の予防に資することが期待されています。
(2)ごぼう:ごぼうは地中に長くしっかりとした根をはることから、家を強固にするものと考えられています。そのため、ごぼうは正月のお節料理には欠かせない縁起物とされています。
(3)すなでる:水洗いをせず、ごぼうの皮を傷つけないように、稲わらや柔らかい布等で1本ずつ手作業によりこすることを指します。
(4)江戸時代:1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/40.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 30.回答 31.出題

2021-02-03 07:16:29 | 漢字検定

 前回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 雲濤煙浪-  うんとうえんろう-遠く水平線で連なって見える雲と波。「濤」と「浪」は大きな波。「煙」は霞のこと。海が大きく広いことを言い表す言葉。「雲濤烟浪」とも書く。

 

 問2 開門揖盗- かいもんゆうとう-意味 自分自身で原因を作って、災いを招き入れること。「揖盗」は泥棒を会釈して招き入れること。自宅の門を自ら開けて、会釈して泥棒を招き入れるという意味から。「門を開いて盗に揖す」とも読む。 

 

 問3 不失正鵠- ふしつせいこく-物事の要点や急所を正確にとらえること。的まとをはずれないこと。▽「正鵠」は弓の的の中心。的の真ん中の黒い星をいう。転じて、物事の要点・急所の意。「正鵠を失わず」と訓読する。「正鵠」を「せいこう」と読むのは慣用読み。 

 

 問4 苛政猛虎- かせいもうこ-民衆にとって過酷な政治は人食い虎よりももっと恐ろしいということ。

 

 問5 玄裳縞衣-げんしょうこうい-つるの姿の形容。転じて、つるの異名。黒のはかまと白い上着の意から。▽「玄」は黒の意。「裳」はもすそ・したばかま。「縞」は白の意。また、白ぎぬの意。「衣」はころも・上着

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 剣戟森森  

 

 問2 衡陽雁断  

 

 問3 古色蒼然  
 

 問4 綾羅錦繍  

 

 問5 磨穿鉄硯

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 山形 山形仏壇

2021-02-03 07:05:11 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「山形仏壇」

 山形仏壇の歴史
 山形仏壇の起源は江戸時代中期。1724~1777年(享保年間)頃に、江戸で木彫りを学んだ星野吉兵衛によって始まったと言われています。

 星野吉兵衛は欄間や仏具の彫刻の仕事を手掛け、漆塗師や蒔絵師、金具飾職人などを結集し、多くの職人を養成しました。その後、仏壇製造が創業され、仏壇製造は山形の重要産業として発展しました。300年以上の伝統を誇る山形仏壇発展の背景には、以下の理由があったと考えられています。

 紅花を中心とした特産品の交易によって京都方面への往来が増え、仏壇・仏具の製造技術、文化が伝わった。
 豊富な森林資源に恵まれ、すでに木工、漆工業が成熟していた。
 明治以降、分業制で仏壇を製造することによって伝統技術が保持され、より高度な技術を持つ職人が育っていった。
 山形仏壇の特徴
 木や漆といった天然素材の温かみと荘厳さが漂い、堅牢な作りが特徴の山形仏壇の製造は木地・宮殿・彫刻・金具・塗・蒔絵・箔押しと仕組の7工程に分かれており、明治以降は各工程を専門の職人が分業して仏壇を作り上げています。

 「伝統的工芸品」基準をクリア
 山形仏壇は、1980年(昭和55年)3月3日に経済産業大臣より「伝統的工芸品」の指定を受けました。厳選の良質素材に伝統的技法を用いて手作りで製造される同仏壇には、経済産業大臣指定の「伝統証紙」と組合独自の「組合指定証紙」が貼られ、その品質が保証されています。

 伝統的工芸品とは優れた日本の伝統産業を後世へ継承するための基準。経済産業大臣が指定した条件を満たし、産地検査に合格した製品には伝統マーク入りの伝統証紙が貼られます。
 山形仏壇に定められた基準
 木地前面には木目板をはり、木目を生かした塗りを施す。
 「肘木組物」による宮殿(くうでん)造り。
 欄間・柱を飾る唐草模様をはじめ、菊、花、鳥、天女などの華やかな飾り柄。
 地金に特殊な加工を施し、黒色、唐草模様を表した「黒金具」
 資料提供:山形仏壇商工業協同組合

*https://www.e-butsudan.com/guide/2328/  より

*https://kougeihin.jp/craft/0801/ より

 Description / 特徴・産地

 山形仏壇とは?
 山形仏壇(やまがたぶつだん)は、主に山形市、天童市、尾花沢市、酒田市で製造され、東北一の仏壇生産地として知られています。江戸時代に、江戸で彫刻技術を習得した星野吉兵衛が山形に戻り、仏具や欄間(らんま)の製作を始めたことが山形仏壇誕生のきっかけになりました。盆地の気候で、漆(うるし)工業が盛んであった山形で育まれた、漆塗師、蒔絵(まきえ)師、金工錺(かざり)職人と共に、2代目吉兵衛広高が仏壇づくりに着手します。
 山形仏壇の特徴は、天然素材である木や漆(うるし)の温もりと堅牢な作りです。木地の前面に欅(けやき)、センなどの木目板を貼るため、木目を生かした塗りがなされ、美しく荘厳な雰囲気になります。唐草模様で装飾された欄間や柱の装飾は、天女や菊、鳥などの華やかな飾り柄で、地金にも特殊な加工を施した黒金具が使用されます。肘木桝組みによって制作された宮殿(くうでん)は、落ち着きの中にも心を打たれる美が感じられる豪華な作りです。
 現在では、山形仏壇の産地を挙げて、モダンな住居や空間に配慮した新しい山形仏壇を研究し需要開拓に励んでいます。
 History / 歴史
 山形仏壇 - 歴史

 山形は、森林資源に恵まれ木工が地域に根付き、さらに周囲の山々から良質な漆(うるし)液が豊富に採取できました。そのため早くから漆(うるし)産業が発展します。
 江戸時代にはいると、最上川の水運の発達で紅花(べにばな)の取引が行われるようになり、遠く京都や大阪から文化や技術が伝来しました。その結果ますます山形の職人技術は高まっていきます。
 出羽三山を仰ぐ山形は、信仰深い地域なので江戸で彫刻技術を習得した星野吉兵衛が山形へ仏具や欄間の技術をもたらしたことをきっかけに、仏壇製作が盛んになりました。明治時代には、仏壇が山形の重要な地場産業に発展し、7つの工程を分業して量産可能な体制をとります。時代の流れが変わっても、山形仏壇は金仏壇の製造を固守し続け、分業制により各工程の職人の技術が高まり伝統が受け継がれることで、山形仏壇は品質と独自性を維持しています。

 *https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamagatabutsudan/ より

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