「阿木燿子」
1945年5月1日生まれの75歳
宇崎竜童さん・阿木燿子さんの家族の物語。 2020/9/22(火) 20:03配信 クロワッサンオンライン 文・森 綾
夫婦は、家族であり、一方で一番近い他人でもある。長らく関係性を続けていくには、二人にしかわからない努力もしてきているはず。
でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えてもらいました。
一対で仕上げるべきテーマはまだある。ともに柔軟に成熟して。
作詞家、作曲家としても絶妙なパートナーシップを築き、夫婦としても来年は金婚式を迎える、宇崎竜童さんと阿木耀子さん。二人が’96年に作った赤坂のライブハウスで、気がつけば長い道のりと、互いへの今の思いに向き合ってもらいました。
宇崎竜童さん(以下、宇崎) 大学時代に知り合って、25歳で結婚したんだよね。僕が軽音楽部にあなたを勧誘したのが出会いでね。
阿木燿子さん(以下、阿木) しばらくは部活仲間という感じよね。
宇崎 すぐ結婚を申し込みたかったけど、ね。一目惚れというよりは、何回も前世で会っていて、やっと会えた! という気持ちだったんだよ。
阿木 最初のデートを憶えてる? 部活の先輩が入院してお見舞いに行こうと集合場所に足を向けたら、あなた一人しかそこにいなくて。
宇崎 えっ、そうだっけ。もう50年も前だし忘れちゃった。だいたい、「付き合ってください」と言った憶えもないし。
阿木 まさに歌詞ではないけれど、「知らず知らずのうちに」ね。気がついたら一緒に住んでた。
一見軽率でも価値観は同じ。表と裏の役割のバランスもいい。
宇崎 横浜から赤坂に移り住んだのが結婚して3年後ぐらい。
阿木 ヒット曲に恵まれ、忙しくなって取るものも取りあえず夜逃げみたいな感じで引っ越したのよね。当時の一ツ木通りは、大人の風情のあるいい街だった。
宇崎 日枝神社、豊川稲荷、赤坂氷川神社と神様に囲まれていて、ここに来たら運が上がる気がしたんだよね。
阿木 このライブハウスの上にある部屋に住んでいたんだけど、あの頃はとても忙しくて。
宇崎 ギターと紙と鉛筆とテープレコーダーだけで曲をいっぱい書いたなあ。
阿木 部屋がそんなに広くないから、私は近くの喫茶店で詞を書いて。『横須賀ストーリー』はそこで生まれたの。
宇崎 そういえば、ブギウギハウスというスナックもその頃、始めたよね。
阿木 あれはあなたがやろうって。
宇崎 店をやりたいというより、仲間が集まる場所が欲しかったんだけどね。
阿木 深い考えはなく、あなたは何事も気分で始めちゃう。で、私も「そんなことやめましょう」とは言わない。
宇崎 どっちかが言い出すと、もう一人が「それもいいかも」って。
阿木 軽率なのよ、人生が(笑)。ただ基本的な価値観が似ているの。
宇崎 性格はまったく違うんだけどね。「楽しくやろうよ」というところで意見が合うんだよね。
阿木 たとえば私は対談の仕事をする時は、その前に、その方の作品にちゃんと目を通して、徹底的に準備をする。
宇崎 僕は行き当たりばったり。
阿木 どちらがいいか悪いかじゃなく、あなたは直感型。
宇崎 でも楽曲を作る場合、最後の仕上げはあなたの判断を信じるね。スタートは自分の感覚とひらめきだけど、決着をつけるのはあなた。
阿木 表に出る人。裏を守る人。そういうバランスがうまくいってるのね。
自粛期間はかつてなく一緒にいた。喧嘩は一度もしなかった。
宇崎 それにしてもこのコロナの自粛期間はかつてなく一緒にいたねえ。
阿木 喧嘩を一度もせずにね。
宇崎 それどころか、ありがとうを何度言ったかわからない。自分の好きな空間で、好きな人がいて、好きな仕事をやっているんだから文句はないよ。
阿木 私たちは自由業同士で距離の取り方に慣れているからかも。普段、ご主人はお勤めで昼間いないのに、今回ずっと一緒、なんていう人は大変だったと思う。身近にいればいるほど、尊敬できないとつらい。
宇崎 そう、僕も尊敬されないとという思いは色濃くありますね。
阿木 そうよ、ジャージにタオルを首に巻いてうろうろするのはやめて(笑)。
宇崎 今日、久しぶりに髪をセットしたら宇崎竜童に戻れた(笑)。
阿木 尊敬って大事よね。愛情は時に支配的になることもあるけれど、尊敬し合っていたら、同じ空間で呼吸していることが苦しくない。
「尊敬されないといけないという思いは色濃くあるね」(宇崎さん)
補い合えるものを探しながら、人のために生きよう。
懐かしい一ツ木通りに降り立った二人。「銭湯があったんだよ」と宇崎さんは感慨深げ。阿木さん・ブラウス5万3000円、パンツ3万9000円(共にユキコ ハナイ) イヤリング6,750円、リ ング6,480円、ブレスレット5,400円(以上アビステ)
宇崎 この3カ月、毎食料理を作ってくれたことにも、本当に感謝だよ。
阿木 私にとって料理するのは自然なこと。各々できることをやればいいし。お互いに補えることを探しながらね。
宇崎 僕は補いきれてないと思うよ、配偶者として男としての家での役割は、一切できていないからね。
阿木 私だってひどいし。
宇崎 いや、僕は雑だから皿を洗っても割るし。もう食洗機に入れるよ(笑)。
阿木 二人共通にダメなところは断捨離ができないところね。
宇崎 そこは似てるね。一対で仕上げないといけないテーマはまだある。僕は「結婚」という約束もまだまだ果たせていない。夫としての役目というか。
阿木 互いに成長しないとね。年齢とともに頑固になるのではなく、柔軟に成熟していきたい。自分たちのためには充分生きたから、人のお役に立たなくては。
宇崎 世界中の人が歌ってくれるような曲を一緒に作れたらいいね。
「尊敬って大事よね。愛情は時に支配的になるから」(阿木さん)
作詞家、作曲家として、売れっ子になった二人。それぞれ役者活動も。
宇崎竜童(うざき・りゅうどう)さん●音楽家。1946年、京都府生まれ。’73年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドでデビュー。作曲家として2019年、阿木燿子さんと共に岩谷時子賞特別賞。’20年秋公開予定、映画『罪の声』に出演。
阿木燿子(あき・ようこ)さん●作詞家、プロデューサー。1945年、長野県生まれ。ライフワークとして「Ay曽根崎心中」をプロデュースし、上演を重ねている。2006年、紫綬褒章を受章。’18年、旭日小綬章を受章。『サンデー毎日』に対談を連載中。
『クロワッサン』1027号より
*https://news.yahoo.co.jp/articles/2bdaf5ac22a063f9cfa114731a1d371ef1e39545 より
次回は夫の「宇崎竜童」さん