いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

新型コロナウイルス対策 改正特別措置法・改正感染症法・改正検疫法

2021-02-13 09:39:04 | 米屋の親父のつぶやき

 「新型コロナウイルス対策 改正特別措置法」

 改正のポイント

 1 緊急事態宣言のもとで都道府県知事は施設の使用制限を「要請」できることに加え、正当な理由なく応じない事業者などには「命令」できる。

 2 「まん延防止等重点措置」が新設され、政府が対象地域とした都道府県の知事は事業者に対し営業時間の変更などを「要請」し、応じない場合は「命令」ができる。

 3 「命令」に応じない事業者には行政罰としての過料が設けられています。

 ▽緊急事態宣言が出されている場合は30万円以下、
 ▽出されていない「重点措置」の場合は20万円以下、
 ▽立ち入り検査を拒否した場合は20万円以下の過料をそれぞれ科すとしています。

 

 「改正感染症法」

 改正のポイント

 知事などが感染者に自宅療養や宿泊療養を要請できる規定が新設

 1 感染者が宿泊療養などの要請に応じない場合は入院を勧告し、それでも応じない場合や入院先から逃げた場合には行政罰として「50万円以下の過料」を科すとしています。

 2 保健所の調査に対して正当な理由なく虚偽の申告をしたり、調査を拒否したりした場合も行政罰として「30万円以下の過料」を科すとしています。

 

 「改正検疫法」

 改正のポイント

 入国者に対して陰性であったとしても原則14日間の待機を要請しているが、対策の実効性を高めるため検疫所長が感染者に対し自宅待機など必要な協力を要請できる規定を新設。

 また、感染者が自宅待機などの要請に応じない場合、施設に「停留」させる措置などをとることができ、これに従わない場合には刑事罰として「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を科すという規定を新設。

 

 なかなか厳しいものとなりました。

 なのにあまりメディアででも大きく取り上げられていない?

 いや、国民に「認知」させられているとは言い難い。

 ちょっと、なぜ?と疑問符がついてるのですが・・・

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-阿木燿子

2021-02-13 07:38:48 | MUSIC

 「阿木燿子」

  1945年5月1日生まれの75歳

 

 宇崎竜童さん・阿木燿子さんの家族の物語。 2020/9/22(火) 20:03配信 クロワッサンオンライン 文・森 綾

 夫婦は、家族であり、一方で一番近い他人でもある。長らく関係性を続けていくには、二人にしかわからない努力もしてきているはず。
でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えてもらいました。

 一対で仕上げるべきテーマはまだある。ともに柔軟に成熟して。
 作詞家、作曲家としても絶妙なパートナーシップを築き、夫婦としても来年は金婚式を迎える、宇崎竜童さんと阿木耀子さん。二人が’96年に作った赤坂のライブハウスで、気がつけば長い道のりと、互いへの今の思いに向き合ってもらいました。
宇崎竜童さん(以下、宇崎) 大学時代に知り合って、25歳で結婚したんだよね。僕が軽音楽部にあなたを勧誘したのが出会いでね。
阿木燿子さん(以下、阿木) しばらくは部活仲間という感じよね。
 宇崎 すぐ結婚を申し込みたかったけど、ね。一目惚れというよりは、何回も前世で会っていて、やっと会えた! という気持ちだったんだよ。
 阿木 最初のデートを憶えてる? 部活の先輩が入院してお見舞いに行こうと集合場所に足を向けたら、あなた一人しかそこにいなくて。

 宇崎 えっ、そうだっけ。もう50年も前だし忘れちゃった。だいたい、「付き合ってください」と言った憶えもないし。
 阿木 まさに歌詞ではないけれど、「知らず知らずのうちに」ね。気がついたら一緒に住んでた。

 一見軽率でも価値観は同じ。表と裏の役割のバランスもいい。
 宇崎 横浜から赤坂に移り住んだのが結婚して3年後ぐらい。
 阿木 ヒット曲に恵まれ、忙しくなって取るものも取りあえず夜逃げみたいな感じで引っ越したのよね。当時の一ツ木通りは、大人の風情のあるいい街だった。
 宇崎 日枝神社、豊川稲荷、赤坂氷川神社と神様に囲まれていて、ここに来たら運が上がる気がしたんだよね。
 阿木 このライブハウスの上にある部屋に住んでいたんだけど、あの頃はとても忙しくて。
 宇崎 ギターと紙と鉛筆とテープレコーダーだけで曲をいっぱい書いたなあ。
 阿木 部屋がそんなに広くないから、私は近くの喫茶店で詞を書いて。『横須賀ストーリー』はそこで生まれたの。

 宇崎 そういえば、ブギウギハウスというスナックもその頃、始めたよね。
 阿木 あれはあなたがやろうって。
 宇崎 店をやりたいというより、仲間が集まる場所が欲しかったんだけどね。
 阿木 深い考えはなく、あなたは何事も気分で始めちゃう。で、私も「そんなことやめましょう」とは言わない。
 宇崎 どっちかが言い出すと、もう一人が「それもいいかも」って。
 阿木 軽率なのよ、人生が(笑)。ただ基本的な価値観が似ているの。
 宇崎 性格はまったく違うんだけどね。「楽しくやろうよ」というところで意見が合うんだよね。
 阿木 たとえば私は対談の仕事をする時は、その前に、その方の作品にちゃんと目を通して、徹底的に準備をする。
 宇崎 僕は行き当たりばったり。
 阿木 どちらがいいか悪いかじゃなく、あなたは直感型。
 宇崎 でも楽曲を作る場合、最後の仕上げはあなたの判断を信じるね。スタートは自分の感覚とひらめきだけど、決着をつけるのはあなた。
 阿木 表に出る人。裏を守る人。そういうバランスがうまくいってるのね。

 自粛期間はかつてなく一緒にいた。喧嘩は一度もしなかった。
 宇崎 それにしてもこのコロナの自粛期間はかつてなく一緒にいたねえ。
 阿木 喧嘩を一度もせずにね。
 宇崎 それどころか、ありがとうを何度言ったかわからない。自分の好きな空間で、好きな人がいて、好きな仕事をやっているんだから文句はないよ。
 阿木 私たちは自由業同士で距離の取り方に慣れているからかも。普段、ご主人はお勤めで昼間いないのに、今回ずっと一緒、なんていう人は大変だったと思う。身近にいればいるほど、尊敬できないとつらい。
 宇崎 そう、僕も尊敬されないとという思いは色濃くありますね。
 阿木 そうよ、ジャージにタオルを首に巻いてうろうろするのはやめて(笑)。
 宇崎 今日、久しぶりに髪をセットしたら宇崎竜童に戻れた(笑)。
 阿木 尊敬って大事よね。愛情は時に支配的になることもあるけれど、尊敬し合っていたら、同じ空間で呼吸していることが苦しくない。

 

「尊敬されないといけないという思いは色濃くあるね」(宇崎さん)

補い合えるものを探しながら、人のために生きよう。
懐かしい一ツ木通りに降り立った二人。「銭湯があったんだよ」と宇崎さんは感慨深げ。阿木さん・ブラウス5万3000円、パンツ3万9000円(共にユキコ ハナイ) イヤリング6,750円、リ ング6,480円、ブレスレット5,400円(以上アビステ)

宇崎 この3カ月、毎食料理を作ってくれたことにも、本当に感謝だよ。
阿木 私にとって料理するのは自然なこと。各々できることをやればいいし。お互いに補えることを探しながらね。
宇崎 僕は補いきれてないと思うよ、配偶者として男としての家での役割は、一切できていないからね。
阿木 私だってひどいし。
宇崎 いや、僕は雑だから皿を洗っても割るし。もう食洗機に入れるよ(笑)。
阿木 二人共通にダメなところは断捨離ができないところね。
宇崎 そこは似てるね。一対で仕上げないといけないテーマはまだある。僕は「結婚」という約束もまだまだ果たせていない。夫としての役目というか。
阿木  互いに成長しないとね。年齢とともに頑固になるのではなく、柔軟に成熟していきたい。自分たちのためには充分生きたから、人のお役に立たなくては。
宇崎 世界中の人が歌ってくれるような曲を一緒に作れたらいいね。

「尊敬って大事よね。愛情は時に支配的になるから」(阿木さん)

 作詞家、作曲家として、売れっ子になった二人。それぞれ役者活動も。

宇崎竜童(うざき・りゅうどう)さん●音楽家。1946年、京都府生まれ。’73年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドでデビュー。作曲家として2019年、阿木燿子さんと共に岩谷時子賞特別賞。’20年秋公開予定、映画『罪の声』に出演。
阿木燿子(あき・ようこ)さん●作詞家、プロデューサー。1945年、長野県生まれ。ライフワークとして「Ay曽根崎心中」をプロデュースし、上演を重ねている。2006年、紫綬褒章を受章。’18年、旭日小綬章を受章。『サンデー毎日』に対談を連載中。
『クロワッサン』1027号より

*https://news.yahoo.co.jp/articles/2bdaf5ac22a063f9cfa114731a1d371ef1e39545 より

 次回は夫の「宇崎竜童」さん

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<日本酒> 茨城 松盛/岡部合名

2021-02-13 07:31:15 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈茨城〉 松盛/岡部合名

 

 当社は、水戸黄門として人々に知られる徳川光圀が晩年隠居所として構え「大日本史」の編纂を行った西山荘のある茨城県常陸太田市にあり、市南部の里川流域の低地で、周辺は水田地帯という水、米に恵まれた環境にあります。

 明治8年創業以来、大手ブランドにはない風土が息ずく地酒のもつ良さをいかに継続していくかということで、いい米といい水と心が通う仲間たちで、手造りの精魂込めた酒造りをモットーに年月が経っても、その信念を受け継ぎ、こだわりの中にも心を伝える酒造りをめざしております。    社長 岡部 守博

 

 代表銘柄は「松盛」

 代表銘柄は「松盛」(まつざかり)で、屋敷内の松そして家業が末代まで栄えるように、また、酒の神様を祭る「松尾大社」が栄えるようにと命名された。その他地元に因んだ銘柄として「黄門ばやし」、「悪代官」、「助さん格さん」、「竜神峡」、「佐竹の郷」、常陸太田自酒プロジェクト「ご縁だね」などがあります。又、原料として酒粕・米・芋などを使用した本格焼酎「よかっぺ」、「月の涙」やリキュールとして自社産および地元産の梅を使用した黒糖日本酒仕込み、果糖日本酒仕込みの梅酒「西山の里」や「いちごのお酒」なども販売しております。 当社は、品質と酒造技術の真意が評価され、最高権威である全国新酒鑑評会においては、平成10年、11年、12年、13年、16年、18年、21年、22年、24年、27年、29年、30年、令和元年には金賞、14年、15年、17年、25年、令和2年には入賞、と平成10年以降、18回受賞することができました。これからも、さらに酒造りに精進してまいりますので、今後とも、御愛飲の程よろしくお願い申し上げます。

 岡部合名会社 茨城県常陸太田市小沢町2335

 ブランド一覧

 「松盛」純米大吟醸 祥・大吟醸・純米酒

 「黄門ばやし」特別純米

 「悪代官」大吟醸

 「助さん格さん」純米 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 50. 堂上蜂屋柿

2021-02-13 07:24:46 | 食品

 登録番号 第50号 堂上蜂屋柿

 特定農林水産物等の区分 第18類 果実加工品類 干柿

 特定農林水産物等の生産地 岐阜県美濃加茂市

 登録生産者団体 美濃加茂市堂上蜂屋柿振興会

 特定農林水産物等の特性 非常に大きい干し柿で、平均80gとなる。果肉は飴色で繊維質が少なく柔らかい。糖度は65度にもなる。品質が良く贈答品として高く評価。

 地域との結び付き 昼夜の温度差がある盆地型の気候により、高糖度の柿が生産される。干し柿加工の季節は晴天日が多く、かつ朝晩の冷え込みが強いため天日干しの開始時間に屋外の柿が急激に乾燥するのを防ぐ。伝統技法(ニオボウキ)による丁寧な加工行程を経て品質の整った干し柿が完成する。古来から殿上人(堂上)に献上する柿として広く知られている。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i50.html より

 

 「堂上蜂屋柿」は、生産地の岐阜県美濃加茂市で栽培されている、「堂上蜂屋」という品種の渋柿を原料とした干し柿です(1)。
 この品種の柿は四角く、その先端はやや尖っています。また糖度が18%と、甘みが強いのが特徴です(2)。
 「堂上蜂屋柿」は非常に大きな干柿で、飴色の果肉、とろりとした食感、そして程よい甘みを持っており、贈答品として高く評価されています。

 生産者は、生産地内で「堂上蜂屋」の木を保存しており、その穂木から、生産地内で苗木を育成します。この柿の木から収穫した「堂上蜂屋」が干し柿の原料となります。原料柿の生産に当たっては、摘らい・摘果による着果制限によって250g以上の大玉になるよう果実を生産します。
 収穫後、「堂上蜂屋」の四角い形状を活かすために、手作業で皮をむいた後、硫黄燻蒸され、かげ干し、天日干しにより乾燥させます。乾燥途中は、果肉の内側に水分が残らないよう、柿を整形しながら手もみを行います。加工の終盤に、稲わらで作ったほうき(ニオボウキ)で柿の表面をやさしく掃くことで、柿の表面が上品な白い粉(糖分)をまとった「堂上蜂屋柿」が完成します。

 美濃加茂市は年間を通じて温暖で晴天日が多く、適度な降雨もあり、柿の栽培に適した気候です。加えて、夜は低温のため、呼吸や蒸散が抑えられ、糖度の高い柿が生産されます。また、干柿の生産時期である冬は晴天日が多く朝晩の冷え込みが強い地域であるため、製品はきれいな飴色に仕上がるとともに、柿の急激な乾燥により内側に水分が残らないよう、ゆっくりと干し上げることができます。さらに、乾燥工程の仕上げで行われる、手もみ、ニオボウキで掃く方法は、伝統技術として地域に根付いています。
 以上のとおり、「堂上蜂屋柿」の特性は、この地域の気候と伝統的な技術によって生み出されています。
 「堂上蜂屋柿」は、千年余り昔から朝廷や幕府への献上品であったと言われています。
 現在、美濃加茂市の高級特産品として、4万3千個を上回る出荷量を確保しています。また、1900年のパリ万国博では銀杯を、1904年のセントルイス万博では金杯を受賞し、2015年のミラノ万博に出展するなど、国内外で高い評価を得ています。

 1978年に「堂上蜂屋柿振興会」が発足しました。振興会は生産者を増やすための教育活動のほか、品質向上の研修や、販路の拡大に取り組んできました。2015年には、ミラノ万博にも「堂上蜂屋柿」を出展しました。

 (1)干し柿:皮をむいた渋柿をひもで結び、風通しの良いところに吊るして乾燥させることで作られます。日本では、少なくとも平安時代の中期に、祭礼用の菓子として干し柿が作られていたと言われています。
 (2)柿の渋みと甘味:渋柿は糖分のほかに可溶性のタンニンを含んでおり、強い渋味を持ちます。乾燥により渋柿のタンニンが不溶性のものに変わることで、食べることができるようになります。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/50.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 40.回答 41.出題

2021-02-13 07:17:43 | 漢字検定

 前回の回答

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 欣喜雀躍-きんきじゃくやく-小躍りするほど大喜びをすること。▽「欣」「喜」はともに喜ぶ意。「雀躍」は雀すずめがぴょんぴょんと跳ね行くように喜ぶこと。  

 


 問2 夢幻泡沫-むげんほうまつ-人の命が儚いことのたとえ。「泡沫」は水の泡。水の泡や夢、幻のようにすぐ消えてなくなるという意味から。  

 


 問3 剛毅直諒-ごうきちょくりょう-意志が強く、正直で誠実なこと。また、そのさま。  

 


 問4 良禽択木-りょうきんたくぼく-賢者は君主をしっかりと選んで仕えるということ。「良禽」は賢い鳥のこと。賢い鳥は、敵に襲われにくく、食べ物を手に入れやすい場所の木を選んで巣を作るという意味から。「良禽は木を択ぶ」とも読む。  

 


 問5 出谷遷喬-しゅっこくせんきょう-出世すること。「遷喬」は高い木に移ること。鳥が谷から出てきて高い木に移るということから、高い地位を手に入れることのたとえ。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 明明赫赫  

 

 問2 彊食自愛  

 

 問3 鉤心闘角  

 

 問4 蓬莱弱水  

 

 問5 支葉碩茂

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 茨城 真壁石燈籠

2021-02-13 07:13:27 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「真壁石燈籠」

 鎌倉初期から室町・戦国期にかけての古碑・五輪塔・仏石などが数多く残され、この時期(500年前)がこの地方の石材業の初めと伝えられています。
 とくに江戸の庶民文化の興隆により城郭や神社、仏閣、墓石、美術工芸品などへ真壁石の利用が広がりました。
 明治期には、その良質さ、(優美・堅牢)が認められ、迎賓館の造成に真壁の花岡が使用され、世に広く真壁石が知られるようになりました。
 茨城県内では、「筑波研究学園」に真壁石が使われています。
 伝統の技術は多くの名工により継承され、「真壁石燈籠」は平成七年に国の伝統的工芸品に指定されました。

 国指定伝統的工芸品「真壁石燈籠」
 真壁には、庭に趣きをあたえ「侘び」を演出する石の作家達がいます。加波山から切り出される花岡岩は真壁石と呼ばれ、きめの細かい優れた石質を持ちます。真壁石による燈籠作りは、江戸時代末期の久保田吉兵衛から始まり、墨出しから仕上げまで18の技法が用いられ厳しい師弟相伝により守り伝えられてきた、吉兵衛以来、数々の名工がその技と心を受け継ぎ、石を叩き石を刻んできました。国指定伝統的工芸品「真壁石燈籠」には、伝統と語りかけてくる作家の心が込もっています。

*https://makabeishi.jp/lantern/ より

*https://kougeihin.jp/craft/1101/ より

 Description / 特徴・産地

 真壁石燈籠とは?
 真壁石燈籠(まかべいしとうろう)は、茨城県桜川市真壁町周辺で作られている石工品・貴石細工です。鎌倉時代に誕生した伝統工芸品で、真壁地方が日本三大石材産地とされるほど石材業が発展していたため製作されるようになりました。
 真壁石燈籠の特徴は、加波山(かばさん)などから採取される質の高い御影石を使用することで高白度の色調があることと代々伝統が受け継がれる彫刻技術です。高度な職人の技によって雪見系や立物系、活込系など何百もの形状が作られます。
 一つひとつ異なる日本庭園に合わせて手彫りで作られた石燈籠には重厚な趣がありながらも、繊細さを感じさせる魅力を持っています。真壁石燈籠の魅力は時間が経つほどに苔に覆われることで、日本庭園の風景に溶け込んでいくことです。2年ほど経過すると、わびさびのある雰囲気が感じられます。

 History / 歴史
 茨城県真壁地区では、古くから石を素材としたものが製作されていて、石に対する信仰があったとも言われています。まず、石材業が始まったのは室町時代末期です。当時、仏石作りが地域全体で盛んになり、五輪塔や古碑などが作られました。現在見つかっている石燈籠で最古のものは、1824年(文政7年)に作られたもので真壁町の寺院に保存されています。
 江戸時代に入ってからは、常夜燈の役割から多くの神社に設置されました。多くの人に親しまれるようになるにつれ技術も磨かれていき、江戸時代末期には久保田吉兵衛(くぼたきちべい)という石匠(せきしょう)によって伝統技法が確立されたと言われています。
 近代化が進む明治時代には真壁石の用途も広がり、建築用にも普及していきました。伝統工芸品として日本庭園に合わせて作られるようになったのは、昭和時代の造園ブームがあり急速に広がっていったと言われています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/makabeishidoro/ より

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