「加古隆」
1947年1月31日生まれの74歳
数々の音楽賞を受賞し、日本を代表する作曲家のひとりであり、またピアニストとしては、その音色の美しさから「ピアノの画家」とも形容される。1971年東京芸術大学・大学院作曲研究室修了後、フランス政府給費留学生として渡仏。パリ国立音楽院にてオリヴィエ・メシアンに師事し、在学中の1973年に即興ピアニストとしてデビュー、1976年作曲賞(Prix de Composition)を得て音楽院を卒業。80年に帰国後は映画、舞台、オーケストラなどの委嘱作を含め、作曲及び演奏に、クラシック、現代音楽、ジャズの要素を包含した独自の音楽スタイルを確立した。代表作には、パウル・クレーの絵の印象によるピアノ曲集『クレー』、音楽詩劇『賢治から聴こえる音楽』等があり、特にNHKスペシャル『映像の世紀』(1995-96)など数々のドキュメンタリー番組や、今年3月まで放映されたTVドラマ「白い巨塔」の音楽でも知られる。98年モントリオール世界映画祭のグランプリ作品「The Quarry」[ザ・クゥオリー](ベルギー/マリオン・ハンセル監督)の作曲で最優秀芸術貢献賞を受賞。その後、映画「大河の一滴」(五木寛之原作・神山征二郎監督)、「式日」(庵野秀明監督)、「阿弥陀堂だより」(小泉堯史監督)などの音楽を手がけた。「阿弥陀堂だより」では毎日映画コンクールの音楽賞などを受賞。2003年にパリ・デビュー30周年を記念したCD「アニヴァーサリー」が発売され、通算50作以上のアルバムを発表している。自作品によるコンサートは現在までに26カ国約200都市に及ぶ。
*https://www.universal-music.co.jp/kako-takashi/biography/ より
ピアノ・ソロに取り組み40年。加古隆が見つけたもの~『ソロ・コンサート2019 加古隆 ピアノと私』を語る
2019.5.9
抒情的でドラマチック、加古隆のピアノを聴くたびに心が洗われる。ソロコンサートを始めて40周年の記念となる『ソロ・コンサート2019 加古隆 ピアノと私』がツアー中だ。加古といえば、代表曲であるNHKスペシャル「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」をはじめ、ピアノ曲からオーケストラ曲、映画や映像の音楽など幅広く手がけてきた。中でも、今ではすっかり加古の代名詞となっているのがピアノ・ソロ。加古がこのスタイルで演奏を始めたのは40年前、ひょんな偶然からだったという。加古に今の想いと、コンサートにかける意気込みを聞いた。
■ピアノ・ソロは僕のライフワーク
ーービアノ・ソロコンサートを始めたきっかけを教えてください。
1979年、まだパリで暮らしていた頃、突然知り合いのプロデューサーから電話があり、今晩のスケジュールが空いているかを聞かれたんですね。北フランスのカーンで音楽祭があり、そこでピアノ・ソロのコンサートが予定されているが、ピアニストが大雪で来られないので代役で演奏してくれないか?と。
僕はずっとグループでやってきたので、この日まで自分がソロコンサートをやるなんて思いもしなかった。そんな状況なので、僕は事前の準備や心の準備が何もないままにポンと行って、わけわからず一人でピアノを弾いたわけです。いつもならライブでは即興演奏を始めるモチーフ、テーマをいくつか用意して弾くのですが、この日はとにかく即興演奏が基本。その時、これまで自分が体験したことのないような時間と空間の中にいることができたんです。僕とピアノ、観客の皆さんだけの、特別な時間。本当に不思議な体験でした。
でも、そこですぐにピアノ・ソロをやろうと思ったわけじゃないんです。僕は1980年に日本に帰りました。そこで、ピアノ・ソロがふと心に浮かんだんです。やってみようと思ったのは、この時の不思議な体験があったから。
ーーそれまでジャズグループで演奏していた加古さんがソロに挑むようになったわけですね。それもピアノ一台で。ソロとグループでの演奏は違うものですか。
はい。グループを組んでやっている時の楽しみは相手の音を聞いたり、会話を楽しむ感覚です。ソロでは具体的な対話や会話は望めない。もちろん、ピアノと対話するという言い方はありますが。ソロでは自分の全てを出さないと成立しない。他に助けてくれる人はいないのですから。
ただ、ジャズのグループでやっていた時は前提としてジャズがあり、その音を出すわけですが、ソロになった途端、その前提が取っ払われたわけです。存在するのはピアノと僕だけ。そこで持っているものを全て出す。80年代に始めてすぐ、ピアノ・ソロは僕のライフワークだと思うようになりました。自分に適していると思ったのでしょう。それから長い間やってきて、ソロがライフワークという気持ちは動かなかったです。
ーーピアノのソロを続けながら、映画・映像音楽の作曲活動と両輪で活動されたわけですね。どちらにも良い効果があると思われますが、いかがでしょうか。
言い方を変えると、ピアニストと作曲家という二つの立場があることが鮮明になってきました。作曲の仕事をする中に、ピアノのソロコンサートでも弾ける曲があるわけで、それらをコンサートで披露するようになりました。ピアノ・ソロを始めたことで、ジャズや即興音楽にこだわらなくなり、ピアノのソロのための曲を書くようにもなりました。一番の代表例は「グリーン・スリーブス」をモチーフにして書いた「ポエジー」です。それまで即興を中心としていた僕が、全てを譜面に書いて演奏する。これは僕にとっては画期的なことでした。大学では作曲のクラスにいましたから、曲は書いていました。だけど、自分がコンサートとして弾く場で、全てが譜面になった曲を弾いたのは「ポエジー」が初めてでした。
ーーある意味、原点に戻ったと言えそうですね。
結局、そうかもしれません。それまでアバンキャルドな音が自分のスタイルだと思っていましたから、逆に加古隆が「グリーン・スリーブス」みたいなメロディを弾くのはちょっと違うんじゃない?と自分では思っていたんです。ところが実際にコンサートで弾いてみたら、そんなことは全くないことがわかりました。逆に、これは素晴らしい可能性がある!と。「ポエジー」を弾いて、自分がもっと大きな扉の前に立った気がしたのです。僕の音楽がもっとたくさんの人に広まる可能性がある。しかも自分らしさを何一つ失っていない。
自分らしさとは即興、或いは前衛的なものとはもっと別なところにあり、シンプルなメロディを弾いても何も変わらない。それどころか、シンプルなメロディのほうが、僕が持つ趣向と合っているかもしれない。そのことに徐々に気がついていったのです。「ポエジー」を書いたことで世界が広がり、その後の加古隆の音楽スタイルに繋がっていきました。同時に作曲の仕事は並行してありましたから、ピアノのソロ活動と作曲の仕事を行き来する形で進んできた感じです。
■曲は演奏することで命が吹き込まれ、未来へと繋がる
ーーコンサートでは、「散り椿」など映画の曲も披露なさいます。映画音楽はどのようなプロセスで作られているのですか。映像を見てイメージするとか?
映像を見て作るのは物理的に無理なんですよ。撮影が終わってから音楽を作るのでは間に合わないし、ロケに行く前にテーマ曲を聴きたいとおっしゃる監督さんも多い。そこで何をもとにするかというと、台本です。台本から、こんなタッチの音、例えば「ポエジー」みたいな爽やかなタッチか、もっと重い「パリは燃えているか」のような重厚な世界かを掴みます。
何と言っても監督や演出家との話し合いは大切です。思っていることがあったらなんでも言ってくださいとお願いします。何なら世間話でもいい。会話の中で僕のイメージを話すと、ぽろっと思いがけない言葉が聞こえてきたりするんです。例えば、「映画は風が大切なんです」と一言おっしゃる。すると、森の中を風が吹き抜けるシーンを撮りたいんだなと伝わってきます。それをヒントに、風を思わせるような楽器を使おうとパンフルートを取り入れたことがありました。
場合によっては台本を読んで、読み終わった時にすごく感動して涙が出てきて、即ピアノの前に座り、気持ちがそのまま音でパッと出てきたこともありました。映画「博士の愛した数式」です。これは珍しいケースです。とにかく映像から音楽を作っているわけではないです。
――そうなんですね。台本からというのは演劇と同じで、ちょっと驚きました。
ただし映像を見ないで全て完結するのかと言われたら、そんなことはなくて。メインテーマを作って、その後完璧な映像が完成する。それから、ここに何秒の音楽が必要だとか、映像に合わせて細かく音楽をつけていきます。そのためには、いつも同じ音楽ではダメ。新しい曲も必要だし、ここは薄い音が要るからピアノのソロにしよう、ここはオーケストラにしようなど。音楽と秒数を合わせることは映像には不可欠です。だから作り方としては、二段構えですね。原点はどこといえばやはり台本です。映像につけていく段階では、アレンジや編集に近いセンスが必要になります。
ーー特に指定されたストーリーなしに曲を書くことはありますか。
はい。例えば、お琴奏者の方にお琴のコンチェルトを書いてくださいとお願いされたこともあります。その場合、題材はお琴とオーケストラ。同じように、ピアノのソロ曲はピアノ一台で最もピアノにふさわしいフレージングや書き方がある。具体的なストーリーでなくてもいいんです。稀にポーンとメロディができてから、この楽器で奏でるといいかな?とか考えることもあります。いろんなケースがあり、一概にこういう手順というわけではありません。
ーー今まで何曲お作りになりましたか。数百曲はありますよね?
数えたことがないからわからない(笑)。かなりの数だと思います。
ーー曲数は気にならないのですか。
僕は作家として、たくさん書くことも大事だと思っています。だけど今の僕はたくさん書くことより、書いたものを生きた状態にする。つまり演奏してあげることが大事なんです。こういう曲がありました。昔何かで一度流れましたが、もう二度と世で聞くことはない。そんな曲はいっぱいあるはずです。曲を演奏することで命が吹き込まれて、また未来へと繋がる可能性が出てくる。今回のソロコンサートもそういう視点で選曲しています。
■ノートルダム寺院は毎日のように見ていた
ーーパリに留学なさっていた加古さん、ノートルダム寺院の火災はショックだったのでは?
僕、歩いて数分のところに住んでいて、毎日のように見ていたんですよ。悲しいですね。僕が一番美しいと思っている大聖堂ですから。正直、僕は東京よりパリのほうがまだわかるんですよ。東京は変化が激しいけど、パリはそれほど変わらない。24歳でパリへ行って、10年間暮らして。楽しい時ですよね。向こうでデビューしたわけですし。
ーー加古さんの音楽を聴くと、なぜかフランスを思い出します。
よくフランス的だと言われます。当然、そういう時期もあったでしょう。でもある時期から、やはり日本的な感性がより多くを占めるようになりました。音の選び方には、今でもフランス的な指向性があるかもしれない。
ーー今回のソロ・コンサートはクラシックの殿堂であるサントリーホールの他、地方も回られますね。観客との心の交流もお感じになりますか。
コンサートとはそういう場でもあります。トークでの皆さんと触れ合いもあります。音とは瞬間に生まれて、瞬間に消えるもの。それをコンサートでお客さんと共有するわけです。僕だけが出しているのではない、会場全体から生まれる心のエネルギーみたいなものはあると思います。聞いている人に励まされて、演奏がよくなることもあります。
ーー今はライブコンサートが大人気ですね。その場を楽しむスタイルが皆さん、お好きなのでしょうか。
ライブには他の複製物ではできないものがありますね。僕は今、全部曲を自分で書き、演奏したCDもあります。しかし、コンサートにいらっしゃる皆さんは「生演奏ってこんなに強いんだなぁ」とおっしゃる。やはりライブは魅力ありますよ。ある意味、今のライブ人気は健全かもしれません。生の音で生の時間だから、ちょっと聞き忘れたからといって、巻き戻すわけにはいかないんです。生演奏は一期一会。まして生きている人間が演奏するわけで、その時間は帰ってこない。そういうことをみんな、どこかで感じているんでしょう。コンサートは大事です。
――加古さんがコンサートで伝えたいメッセージはありますか。
僕は主義主張を伝えたいというのはないです。しいて言えば、僕はコンサートで一番大事にしているのが、感動していただくこと。メッセージに感動する人もいるでしょうが、もうちょっと消化された形で、ピアノの美しさや響きに耳をすませていただけたら。人間が情念を込めて弾いているわけですから。ベートーベンの曲を聴けば誰もが感動するのと同じ、感動していただけるのが一番の喜びです。
――最後に読者の皆様に一言お願いします。
一台のピアノでこれだけの幅広い表現ができる、そしてピアノの音はこんなに美しいということを、楽しんでいただけたら嬉しいです。
取材・文=三浦真紀
*https://spice.eplus.jp/articles/236955 より