いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

最初からトラブルがあった東京五輪

2021-02-15 09:47:44 | 米屋の親父のつぶやき

 「東京五輪」は最初からトラブル続きであった。

 私はよく「最初でつまづくと結果が怖い」と。

★13年12月19日 東京都の猪瀬直樹都知事が、5000万円授受問題の責任を取って辞職を表明。参議院議員を辞職した舛添要一氏が14年2月に新たな都知事に当選した。

★14年11月19日 膨張する大会経費削減のためバスケットボール、バドミントン、セーリングの3競技の会場建設を中止。バスケットボールのさいたまスーパーアリーナでの実施など既存施設に変更し、約2000億円を圧縮。

★15年7月17日 総工費が当初の1625億円から2520億円まで膨張したことへの批判を受けて、安倍首相がザハ・ハディド氏デザインの新国立競技場建設計画を白紙撤回。同12月に隈研吾氏のデザインが採用された。総工費を1569億円に抑えた。

★15年9月1日 ベルギーの劇場ロゴに似ていると盗作の疑いが指摘された佐野研二郎氏デザインの大会エンブレムを、発表から2カ月で組織委が白紙撤回。あらためて公募して16年4月に野老朝雄氏の「組市松紋」に決定した。

★16年6月21日 政治資金の公私混同疑惑などが問題となっていた東京都の舛添要一都知事が辞職。同7月31日に小池百合子氏が都知事選で圧勝して都知事に就任した。

★16年9月29日 開催費用を検証する小池百合子都知事肝いりの「都政改革本部」が、ボート・カヌーのスプリント会場「海の森水上競技場」など3会場の建設中止を含めた見直しを提案。結局、12月までにコストを削減して3会場とも計画通り新設することに。

★19年1月 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長が、五輪招致を巡る不正疑惑でフランス司法当局から収賄容疑で捜査を受けたことが判明。竹田会長は6月に任期満了で退任し、柔道の五輪金メダリスト、山下泰裕会長が就任した。

★19年4月10日 桜田義孝・五輪パラリンピック担当大臣が辞任。「(オリンピック憲章を)読んでいない」「(池江璃花子の白血病に)がっかりしている」など配慮を欠く発言が続き、最後は議員のパーティーでの「(震災からの)復興以上に大事なのが●●さん」の発言が致命傷に。

★19年10月16日 IOCが酷暑のレースを避けるため、マラソンと競歩の札幌移転計画を公表。開催都市の東京都は反発したが、IOCと組織委、都などの協議で11月に2種目の札幌開催が正式決定した。

★20年3月24日 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、安倍首相とIOCバッハ会長の直接電話会談で東京大会延期で一致。安倍首相は「遅くとも来年夏までに」と1年以内の開催を明言。21年7月23日開幕が決まった。

★21年2月12日 組織委員会の森喜朗会長が同3日のJOC評議員会で「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」などと女性蔑視発言。国内はもとより国際社会などからも批判が殺到したことを受けて、辞任を決断した。

*https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202102110000512.html より

 よくもここまでトラブルが続くのか?

 あちこちに「無理」があったのだろう。

 この時代、「情報を完全封殺」できるわけでもなく、「無理」があれば不都合が生じ、どこかで漏れる。塞ぐためには、また無理が必要に。

 まぁ「全て順調」に進むことは難しいことだろう。

 でもここまで酷いとは・・・

 「結果」はいかに?もうすぐ出ることだろう。 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-美川憲一

2021-02-15 08:18:59 | MUSIC

 「美川憲一」

  1944年5月15日生まれの76歳

 

「この世に生まれなかった子かもしれない」美川憲一が“しぶとく生きる”に込めた想い 2020.12.1THE 美川憲一

 19歳でデビューして、芸歴56年になる歌手の美川憲一さんが、Amebaブログに登場したのは今年の9月。ブログをはじめてから「街を歩いていると若い人に声をかけられることが増えた」といい、「読むと元気になれる」「声が脳内再生される」とSNSでも大きな話題となりました。

 大ヒット曲『さそり座の女』や芸能界のご意見番としてのイメージも強い美川さんですが、ブログには大戸屋のお弁当をはじめて食べ、おいしくて翌日も食べてしまったというエピソードや大好きなパフェ購入するも自宅に帰るまで待ちきれず、車の中で食べてしまう姿など、チャーミングな一面も。

 そんな美川さんに、ブログのタイトルにもなっている「しぶとく生きる」のルーツを伺いました。


 美川憲一(みかわ・けんいち)

 歌手

 1946年、長野県出身。65年に歌手デビューし、翌66年に『柳ケ瀬ブルース』、72年に『さそり座の女』と次々にヒット曲を生み出す。NHK紅白歌合戦には26回出場。

 「しぶとく生きる」に込められた想い

 編集部 「しぶとく生きる」という言葉はどのようにして生まれたのでしょうか?

 美川さん 子どもの頃から、うちの母に「あんたはしぶとい子だから絶対大丈夫よ」って、言われてきたんです。私の中では、美川憲一になる前、本名・百瀬由一(ももせ よしかず)が、子どものころから“しぶとさ”を母に植え付けられていたのよ。

 編集部 お母様の言葉がもとになっていたんですね!ブログの中にも「2人の母」という言葉が出ていましたね。

 美川さん そうですね。私の波乱万丈の人生だから…。うちは、育ての母と産みの母が姉妹同士なんです。評判の美人姉妹で、おしゃれな人だった。産みの母はね、大手芸能プロダクションから女優としてスカウトされたくらいだったんですよ。

 編集部 ぜひお母様のお写真をブログで公開してください…!

 美川さん ふふ。信州の諏訪から東京に向かう電車の中で知り合った男性が私の父なんです。そこからお付き合いがはじまったんだけど、それが“運の尽き”なの。

 編集部 運の尽き… どういうことですか!?

 美川さん 妻子持ちだったのよ。知らないで騙されたんですよ、母は。

 編集部 えーっ

 美川さん 父は自分で事業をやっていて、お金があったから、母のために部屋を借りてくれて。毎日、部屋に来るんだけど、泊まらないで帰るんだって。だから母も、おかしいな?と思ってはいたみたいだけど。

 編集部 それは怪しいですね。

 美川さん しばらくして母は私を身ごもって。それを父に伝えたら、うれしい顔をしなかったんですって。

 編集部 そんな…

 美川さん そうしたら後日、父から「これを飲むと元気な赤ちゃんが生まれるから」って渡されたものがあったんですって。

 編集部 ??

 美川さん 粉薬よ。

 編集部 えぇぇぇ…

 美川さん でも、母はその時なんとなくピンときて、「今は飲みたくないから後でゆっくり飲むわ。大丈夫よ、心配しないで」って言ったんですって。それで、父が帰った後、その薬を流しに捨てて。

 編集部 怖すぎます…

 美川さん あとでわかったんだけど、流産するような劇薬のようなものだったらしいから、それを飲んでいたら、私は生まれていなかったかもしれない。

 編集部 まるでドラマのようですね…。

 美川さん 母のお腹はどんどん大きくなるものだから、ついに父は来なくなっちゃったの。逃げちゃったのよ。自分の女房が怖かったんじゃない?子どもができたら、認知もしなきゃいけないし。

 でも、うちの母も負けてないから、父の会社に乗り込んでいったのよ。

 編集部 そこで泣き寝入りするのではなく、乗り込んでいくとは!

 美川さん ふふ。強いのよ、母は。
 会社で父親の名前を伝えて、お宅に伺いたいから住所を書いてくれないか?って聞いたみたい。それで、千葉にあった父の家に行ってみたら、それは立派な門構えの家で。

 「まぁ、許せないわ」って思いながらベルを鳴らしたら、女の子が出てきたんですって。

 編集部 もしや…

 美川さん ぱっと見たときに私の父に似ていたらしいのよ。なんだか嫌な予感がしていたら、奥さんが出できて「あなた誰?」って。

 編集部 ドキドキしてきました。そこではじめて妻子持ちだったということに気づかれたんですね。

 美川さん そうね。でも、その奥さんも出来た方で、事情を話したら「もぅ、しょうがないわね。あなた、まだ若いのに。申し訳ないわ。人生を狂わせちゃって」って、玄関に正座をして頭下げられて。

 「第二の人生もあるから、これで新しい人生を歩んでください」って、お金をもらって、別れたんだって。

 編集部 お母様の気持ちを考えると胸が痛みます。

 美川さん いろいろ乗り越えてきたからね。だからね、母は私が壁にぶつかったり、ちょっと落ち込んだりしていると「あんた大丈夫よ、しぶといから。この世に生まれなかった子かもしれないんだから」って。子どもの頃からそう言われてきたのよ。

 だからね、私も強いのよ~(笑)。

 編集部 お母様も美川さんも、決して悲観的にはならなかったんですね。

 美川さん そうよ。そんな風に言われたら、横道にそれる場合もあるけど、私は逆に「はぁ、よかった。生まれてきて」って思ったの。

 挫折したり、辛いことがあったりしても、グジグジと落ち込んでいたら、そのまま終わっちゃう。だから、それバネにして、「あの人は今」にならないようにがんばろうってね。その強さは、母が植えつけたものだと思う。

 編集部 美川さんがブログに書かれていた「生きるってシンプルなのよ。自分を大事にすることが生きることよ」という言葉がとても印象的でした。

 美川さん そうね、つい周りの目が気になってしまうことってあるじゃない。

 でも、芸能人だからとか、頭であれこれ考えないで、食べたいものを食べて、着たい服を着て、自分らしくシンプルに生きようと思うの。だから今、すごくラクよぉ~。ふふ。

 編集部 素敵です。昔から、そうしてきたのでしょうか?

 美川さん わりと昔からそうでしたね。振り返ると、やっぱりスランプや挫折してどん底に落ちたとき、そこから這い上がることしか考えていませんでしたから。

 編集部 どん底…ですか。

 美川さん 人間落ちたら早いし、再び上がることって大変なんですよ。でも、落ちるところまで落ちたら、あとはもう這い上がるしかじゃない。

 そのときに、「自分を大事にすることが生きること」だと思ったのよ。私の経験から生まれた言葉なんです。

 編集部 だから美川さんの言葉には重みがあって、心にスッと入ってくるんですね。

 美川さん それにね、緊張するときには、大きく息をして、ふーっとはくと、緊張感が解けて肩の力が抜けるのよ。

 編集部 えっ、美川さんでも緊張することがあるんですか?

 美川さん あるんですよ。もうね、昔より今の方が緊張するのよ。デビューからもう56年になるんですけど。緊張感があるというのは、いいこと。「美川も初々しくていいわね」って自分に言い聞かせてる。ふっふっふ。

 結婚や子どもについて考えた過去
 編集部 美川さんは、いつもポジティブで、ブログを読んでいると励まされます。Amebaはママも多く、「家事や育児に疲れたときに読むと元気になれる」という声も多いんですよ。

 美川さん あら。うれしいわ。ストレスがたまると思うのよ、子育てって。子どもってかわいいだけじゃないし、エネルギーも半端じゃないから。努力しているお母さんたちが世の中にいっぱいいるのよね。

 本当はね、私も結婚を考えたり、子どもが欲しいなと思ったこともあったのよ。お付き合いしてる人もいたし。

 編集部 !!!

 美川さん でも、このキャラクターじゃない?「結婚したら美川憲一じゃなくなる」って思って。もし結婚して、お父さんになっていたら、今の私ないと思うの。だから、結婚しない人生を選んだことは、全然後悔していないのよ。

 編集部 そんな風に思ったことがあったんですね…。

 美川さん でもね、子どもは欲しいなと思って人工授精について調べたこともあったの。

 編集部 驚きの発言が次々と…

 美川さん だけど、私のエゴを貫き通して子どもをつくったとしても、不幸にしてしまう。お父さんだか、お母さんだかわからないような親になっちゃうから、もしいじめられたりしたら、子どもがかわいそうだなって。

 美川さん 結果的には結婚もしていないし、子どももいないけど、たくさんの出会いもあって、いまこうしてインスタグラムやブログをはじめて、「ブログたのしいですよ」「いつも見てますよ」なんて言われるとうれしいし、励まされますよ。

 だから、飽きられないよう頑張らなきゃね。

 
 「しぶとく生きる」は、まさに美川さんの人生そのものでした。浮き沈みのある「波乱万丈」な人生をたくましく、そしてポジティブに歩んできたことを知ると、ブログに綴られている言葉がより一層、心に響きます。

 取材中、美川さんのゴールドに輝くネイルの話になると、「あら。これ美川が自分でやったのよ。ネイリストにもなれるんだから」とおっしゃっていて驚きました。まるでプロのようなクオリティのジェルネイルでした。そんなやり取りからも、美川さんの人柄や芸能界で活躍して56年経ってもなお、様々なことにチャレンジする努力家な一面が垣間見えました。

 インタビューにうかがった編集部3名が「なんて素敵な方なんだ」とさらに美川さんのファンになったことは言うまでもありません。

 美川さん、いい匂いがしたなぁ…。〈取材・文=編集部/撮影=長谷英史〉

*https://content.ameba.jp/blogger_dialog/kenichimikawa_1/index.html より

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<日本酒> 茨城 白菊/廣瀬商店

2021-02-15 07:35:21 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈茨城〉 白菊/廣瀬商店

 

 永きにわたり飲み続けてもらえる酒づくり
 霞ヶ浦にそそぐ恋瀬川のほとり、西に筑波山を望む高浜の地に廣瀬商店は文化二年(一八〇五年)創業しました。
 酒造りに適した寒冷な土地と、筑波山水系の良質な地下水に恵まれ、永く二〇〇年に渡って地域の皆様から愛されて参りました。
 むかしから、変わらず、奇をてらわず生活の一部として溶けこむ「飲み飽きしない味わいの酒」でこれからも永く地域との優しく深い結びつきを大切にしていきます。

 合資会社廣瀬商店 茨城県石岡市高浜880

 ブランド一覧

 「白菊」精撰・純米原酒・純米吟醸60・大吟醸 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 52. 小川原湖産大和しじみ

2021-02-15 07:33:37 | 食品

  登録番号 第52号 小川原湖産大和しじみ

 特定農林水産物等の区分 第11類 貝類 しじみ

 特定農林水産物等の生産地 青森県上北郡東北町(小川原湖を含む。)、上北郡六ヶ所村、三沢市

 登録生産者団体 小川原湖漁業協同組合

 特定農林水産物等の特性 大粒で濃厚な出汁が出るだけでなく、身もしっかり味わえることが特徴のヤマトシジミ。外見も良く、出荷後にも鮮度の良い状態が保持できる。また、しじみ専用の市場で品質がチェックされるため、品質にばらつきがなく安定した品質を維持。

 地域との結び付き 小川原湖は、水質や底質がヤマトシジミの生息場所として良好であり、全国有数のしじみ漁場。地域の漁業者は、4年程度成長(殻長が15mm以上)させてから漁獲するなど湖内のしじみを持続的に生産する取組を継続してきた。平成5年には、しじみ専用の市場となる小川原湖地区卸売魚市場が開設され、湖内で漁獲されたしじみの一元的な集荷が可能となり、安定した品質のしじみを出荷する体制が確立。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i52.html より

 「小川原湖産大和しじみ」は、青森県の小川原湖で育ち、漁獲されたヤマトシジミ(1)です。
 「小川原湖産大和しじみ」の特性は個体の大きさです。小川原湖(2)では4年程度の歳月をかけ成長させてから漁獲するため、殻長が大粒で濃厚な出汁が出るだけでなく、その身もしっかり味わうことができます。

 小川原湖の漁業者は、「ジョレン」と呼ばれる漁具を曳いてしじみを漁獲しますが、それを曳くための動力として、人力又は漁船の巻上機の動力以外は利用しないことが守られています。
 また、出荷規格として殻長を15mm以上に制限し、その大きさに満たないしじみは漁獲されても小川原湖内に戻されます。
 漁獲されたしじみは目視や音により死貝を丁寧に取り除いた後、しじみ専用の市場である「小川原湖地区卸売魚市場」で一元的に出荷されます。

 小川原湖は、塩分・溶存酸素濃度や底質がヤマトシジミの生息に適した砂質であるなど、汽水域に生息するヤマトシジミの生息場所として良好であることから、日本有数のしじみ漁場となっています。

 生産地の漁業者は、1983年から漁獲可能なしじみの殻長を制限するなど、湖内のしじみを持続的に生産する取組を継続してきました。
 1993年には「小川原湖地区卸売魚市場」が開設され、湖内で漁獲されたしじみの一元的集荷が可能となり、安定した品質のしじみを出荷する体制が確立されました。
 近年の生産量は1,217t(2013年度)、1,169t(2014年度)、1,283t(2015年度)で推移しています。

(1)ヤマトシジミ:汽水域で採れる食用の二枚貝。日本の固有種です。
(2)小川原湖:青森県では最大、国内11番目の大きさの湖です。太平洋と接続する高瀬川を通じて潮汐により海水が湖に入り込むため汽水湖となっています。なお、汽水湖としては国内5番目の大きさで東北地方では最大です。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/52.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 42.回答 43.出題

2021-02-15 07:28:42 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 容貌魁偉- ようぼうかいい-姿かたちが堂々として大きく立派なさま。▽「魁偉」は大きくて立派なさま。

 


 問2 尭年舜日-ぎょうねんしゅんじつ-天下泰平の世の中であることのたとえ。  

 


 問3 甲論乙駁- こうろんおつばく-互いにあれこれ主張して議論がまとまらないこと。甲の人が論ずると、乙の人がそれに反対するというように議論がいろいろと出る意から。 

 


 問4 釈根灌枝- しゃくこんかんし-末節に心を奪われたりこだわったりして、物事の根本を忘れるたとえ。木の根に水をやらないで、枝に注ぎかける意から。▽「釈」は捨てる意。「灌」は水を注ぎかける意。一般に「根を釈て枝に灌ぐ」と訓読を用いる。 

 


 問5 楚材晋用-そざいしんよう-自国のすぐれた人材が他国に移ってしまうこと。または、自分とは直接関係ないところにある人材や、物をうまく利用すること。「楚材」は中国の楚の国の人材。「晋」は中国の国の名前。楚の貴族たちは刑罰の乱用を恐れて、敵対していた晋の国に亡命して重用されたという故事から。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 尭階三尺  

 

 問2 綱紀廃弛  

 

 問3 自然淘汰  

 

 問4 智謀浅短  

 

 問5 泥車瓦狗

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 群馬 伊勢崎絣 

2021-02-15 07:25:34 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「伊勢崎絣」

 多彩な技法、新鮮な色使い、繊細な模様が伊勢崎絣の特徴
 括り絣(くくりがすり・締括絣しばりがすりともいう)、板締絣(いたじめがすり)、解模様絣(ほぐしもようがすり)、併用絣(へいようがすり)、緯総絣(よこそうがすり)など、それぞれに特徴ある技法が伊勢崎絣の多彩な色、柄のバリエーションを産み出していく。
 多彩な作品を産み出すのは工程ごとに分業化され、それぞれの工程に熟練した職人技の結晶に他ならない。
 実に様々な職人がいるなかで今回は括り絣の摺込捺染(すりこみなせん)、締括りなどを担当する職人松本品蔵さんにお話を伺った。


 摺込捺染に使う捺染棒

 さかのぼれば江戸時代の「太織(ふとり)」から
 絣の歴史は古代からあるが17世紀後半に産地形成し、明治から昭和にかけては伊勢崎銘仙として日本女性の代表的着物としてその名を知られるようになった。
 歴史の中で多彩な絣の世界を生み出してきた伊勢崎、そんな街に生まれた松本さんは小さい頃から伊勢崎絣に囲まれて育ち、物心つく頃には伊勢崎絣の職人になることを考えていたという。

 伊勢崎絣のクオリティーの高さの秘密
 松本さんのお仕事は「括り屋」と呼ばれる仕事である。30メートルはある糸を張り、図案にしたがって主要な模様となる部分を捺染棒という道具を使い、ひとつひとつ手作業で染色していく摺込捺染。この摺込捺染で染色した部分に、綿糸あるいはポリエチレンテープなどをしっかりと巻きつけ、後の染色で他の色と混じらないようにする締括りという工程を主に担当する。
 一見、単純そうにみえるこの作業。しかし、図案にしたがった模様を産み出すためには、寸分の狂いも許されない神経を使う仕事である。色とて同じ、200はゆうに超える染料の中から図案のイメージにあった色を微妙な調整で出していく。
 仕事中はほとんど雑念は入らず集中して作業しているという。「すべての工程で良い仕事がされてはじめてよい絣ができるんだ」とおっしゃる松本さん、分業化されているからこそ逆に、いっさいの妥協は許されない。それぞれの職人の心意気が、伊勢崎絣のクオリティーの高さの秘密である。


 括りの作業をする松本さんの奥様

 厳しさと温かさ
 いっさいの妥協が許されない伊勢崎絣の職人。松本さんも15歳の時にこの世界に入り、5年間ほとんど休み無しという厳しい修行時代を経て、職人としての誇りと自信を確立した今もその誇りと自信に変わりはない。
 でもそんな松本さんは厳しいだけの人ではない。実に53年にもわたる職人生活、そのうちの40年間を奥様とご一緒に仕事をされてきた。「自分の家で仕事をできるのがいいね。良い物が出来た時には孫に着せたいね」など、家庭を大切にする優しい笑顔を垣間見せてくれた。職人としての厳しさだけでなく、そんな暖かさを持っているからこそ親しみやすい伊勢崎絣が産み出されるのではないか、そんな気がしてきた。


 摺込捺染の作業をする松本さん

 職人プロフィール

 松本品蔵

 1933年生まれ。
 15歳から伊勢崎絣の世界にはいり、5年の修行時代を経て「括り屋」として約50年のキャリアを持つ。

 こぼれ話

 普段着として伊勢崎絣を着る

 伊勢崎絣はさまざまな技法を駆使し、バリエーションに富んだ新鮮な色使いと繊細な文様が特徴です。性別、年齢を問わず、そしてフォーマルな席だけでなく普段着としても親しんでほしいもの。元来普段着としての伝統を受け継ぐ伊勢崎絣。あなたの生活にきっと新鮮な風を運んでくれるはずです。現在は着物だけでなく、洋服地・マフラー・テーブルクロス・のれん・ネクタイ・タペストリーなどじつにさまざまな製品に伊勢崎絣が活用されています。あなたの日常生活の演出にぜひ伊勢崎絣をとりいれてみてください。

*https://kougeihin.jp/craft/0105/ より

*https://kougeihin.jp/craft/0105/ より

 

 Description / 特徴・産地

 伊勢崎絣とは?
 伊勢崎絣(いせさきがすり)とは群馬県伊勢崎市周辺で作られている織物です。代表的なものは着物に採用され、その手触りや風合いは古代より高く評価されてきました。今ではネクタイやのれんなどが生産されており、使うほどに絣の模様や光沢に味が出て、生地の深みが増していきます。
 伊勢崎絣の特徴は、「括り絣(くくりかすり)」、「板締め絣(いたじめかすり)」、「型紙捺染加工絣(かたがみおしぞめかこうかすり)」という技法が用いられ、工程のほとんどを手作業で行うことです。
 群馬県伊勢崎市は水はけのよい土地に恵まれ、桑の成長しやすい環境にあるため、古くから養蚕が栄えていた町でした。6世紀のものと推定される淵名古墳からは織物片が出てくるなど、織物の歴史は1200年以上とされています。日本書紀には、朝廷に「あしぎぬ」と呼ばれる織物を献上した記録が残っています。市内にある織物の神を祀る倭文神社(しどりじんじゃ)、機織りの祖先を祀る赤城神社の存在からも織物が地域を活性化させていたことがわかります。

 History / 歴史
 18世紀の初めの江戸時代には絹市が並び、伊勢崎絣は商品として販売されるようになりました。伊勢崎縞(しま)や伊勢崎太織(ふとり・ふとおり)という品物が登場し、特産品の地位を築いていきます。
 需要が高まると機織りをする農民が増え、仕上げを行う元機屋が登場したきっかけでその伸びは加速しました。1847年(弘化4年)には伊勢崎大絣の起源となる織り方も開発され、作業工程の改善などを繰り返すごとに伊勢崎絣は美しさを増していきます。
 明治時代末期には機械化され黄金時代が幕を開けます。戦後の復興を乗り越え、1975年(昭和50年)には伝統的工芸品として国に認められました。
 現在では毎年3月に「いせさき銘仙の日」を定め人々に認知され続けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/isesakikasuri/ より

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