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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-エリック・クラプトン

2021-02-06 08:47:21 | MUSIC

 「エリック・クラプトン」

  1945年3月30日生まれの75歳

 《終わらないブルースの旅》エリック・クラプトン(Eric Clapton)

 エリック・クラプトン氏は、ギタリストとして、ボーカリストとして、作曲者として常に第一線で活躍し、60年代から現在に至るまで積極的に活動を続けているアーティストです。ロックミュージックが誕生して発展し、成熟していく過程には、常にクラプトン氏の姿がありました。

 現代の感覚ではロックミュージックに分類されるクラプトン氏ですが、ご本人は常にブルースと共にあり、いつの時代においても現代のブルースを奏で続けました。華々しいキャリアの陰には、音楽を続ける上でのストレスに加え、相次ぐ親友の死や息子の事故死、恋の悩み、アルコールや薬物の依存など、深い深い苦悩もありました。ブルースには、技巧より精神性が重視されます。クラプトン氏はさまざまな苦境を乗り越え、ブルースに深みを増していったのです。今回は、このエリック・クラプトン氏に注目していきましょう。

 ブルースと共に歩み続けた、エリック・クラプトンの半生
 エリック・クラプトン氏のキャリアをざっと追ってみましょう。半世紀にも及ぶ長さですが、

 元気いっぱいバリバリ弾く60年代
 ファンクやレゲエを取り入れた70年代
 ご自身が一つのジャンルとして完成した80年代
 アコギを弾く機会が増えた90年代
 円熟を極めた2000年代以降、現在まで
 だいたいこういった感じです。

 マニアックなブルース少年
 エリック・クラプトン氏は1945年3月30日、英国はサリー州りプレーに生まれます。少年時代よりブルースにのめり込み、遂には祖父母に頼み込んでアコースティック・ギターを買ってもらうことになりました。’60年代初頭、学生時代の友人にルースターズを紹介されるも、半年ほどで解散。そんな時、ヤードバーズからのオファーがクラプトンのもとに転がり込んできました。このヤードバーズに参加したことがクラプトン氏にとってもヤードバーズにとっても大きな転機となるのでした。

 ヤードバーズ(The Yardbirds)時代
 ローリング・ストーンズが全米デビューしたことで、数多くのクラブからバンドの出場枠が空きました。そんな中にストーンズの後釜として抜擢されたのがヤードバーズでした。クラブの中で徐々に人気を博していったヤードバーズに目をつけた一人の男がプロデューサーのジョージオ・ゴメルスキー氏です。彼とマネージメント契約を結んだヤードバーズは念願のメジャー・デビューを果たし、全国規模のツアーをこなし、バンドの知名度は上昇していきました。

 ゴメルスキー氏はさらに売れるためにブルースよりも多くの一般に受け入れられるポップ路線にバンドを走らせようとします。そのため氏は3rdシングルにポップス調の「For Your Love」を用意します。明らかなヒット・チャート狙いのゴメルスキー氏のやり方に不満を抱いたクラプトン氏は「For Your Love」で完全にキレてヤードバーズを脱退するのでした。クラプトン氏の後にはジェフ・ベック氏、ジミー・ペイジ氏が参加し、以来「ヤードバーズの三大ギタリスト」という呼び方が定着しました。

 ブルース・ブレイカーズ(John Mayall & The Bluesbreakers)時代
 次にクラプトン氏が加入したのは、当時のブリティッシュ・ブルース・シーンで人気を誇っていたジョン・メイオール氏のブルース・ブレイカーズでした。そこで残した作品『Bluesbreakers With Eric Clapton』は今でも名盤として名高い作品です。

 この時クラプトン氏が使用したのは、マーシャルアンプにつないだ1960年製ギブソン・レスポール・スタンダードでした。太く熱く、そして甘美なディストーションは「極上のサウンド」と評されます。パワーがありすぎて重いことで不人気だったレスポールは再評価され、1968年に再生産が開始されました。

 クリーム(Cream)時代
 その後、自分の音楽性の追及により’66年に“史上最強のロック・トリオ”クリームを結成。3人のアドリブの応酬によるライヴが話題を呼び絶大な人気を誇ることになります。しかし、3人の個性が衝突して出来上がるものだっただけに確執も深まりクリームは’68年に解散してしいます。

 この時代のクラプトン氏は、トリオ編成でデカい音を出す必要があったため、ハムバッカー・ピックアップを備えたSG、ファイアーバード、ES-335というようにギブソンのギターを使用していました。また、フロントピックアップのトーンを絞ったセクシーな甘い音「ウーマントーン」を世に知らしめました。

 数々の苦悩を経て…

 レゲエ・ミュージックの神、ボブ・マーリー氏の楽曲をギターの神、クラプトン氏がカバーした、いわば神々の競演。ライブで見せるアドリブの完成度はさすがですが、スタジオテイク版にギターソロはありません。70年代のクラプトン氏はギターを弾くことにこだわらず、音楽全体を俯瞰(ふかん)していこうとしていたようです。

 次にクラプトン氏は当時スーパー・バンドと呼ばれたブラインド・フェイスを結成、その後、ブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーで出会ったデラニー&ボニーの影響でデレク&ザ・ドミノスを結成するも’71年に解散。その後しばらくドラッグとアルコールに入り浸る隠遁生活を続けます。リハビリによってドラッグとアルコールを克服したクラプトン氏は『461 Ocean Boulevard(1974)』で完全復活を遂げます。

 この時期のクラプトン氏は拠点を故郷の英国からアメリカへ移し、ソウル/ファンクのテイストを採り入れた「スワンプ・ロック」、ゆったりくつろいだ隙間を楽しむ「レイド・バック」や「レゲエ」といったサウンドを模索します。いろいろやった結果、シンプルなバンド路線へと帰結したアルバム「Slowhand(1977)」が完成した時、現在に通じるエリック・クラプトンの音楽的アイデンティティが完成したとされます。

 以降クラプトン氏は独自のソロ路線を突き進むも彼に"愛する息子の死"という悲劇が訪れたのでした。これに対し「Tears In Heaven」を息子に捧げます。

 多くの仲間に囲まれ、安定的に活動
 2000年代からのクラプトン氏は、アルバムリリースやツアーなど、安定的な活動を続けています。1999年から定期的に主催している「クロスロード・ギター・フェスティバル」は、氏が個人的に選んだミュージシャンがこぞって出演する、大変贅沢な内容です。ジェフ・ベック氏、B.B.キング氏、ラリー・カールトン氏、ジョン・マクラフリン氏、バディ・ガイ氏ら往年の名手、ジョー・ボナマッサ氏、ジョン・メイヤー氏、デレク・トラックス氏ら新進気鋭の若手プレイヤー、はたまたスティーヴ・ヴァイ氏、アラン・ホールズワース氏ら意外な名手まで、各ジャンルの有名ミュージシャンが参加しています。
 2020年時点で御年71歳、まだまだ元気です。*←間違いでは?

 音楽やギタープレイの特徴
 ヤードバーズ、ブルース・ブレイカーズ、クリームでのプレイ、ブラインド・フェイスの全米ツアーで知り合ったデラニー&ボニーの南部ロックへの憧れに始まる後のソロ作から現在まで、ブルースの名曲をカバーすることもしばしばあり、直接的であれ、間接的であれクラプトン氏は一貫して大枠でブルースというスタイルを離れたことはありません。クラプトン氏にとってブルースとは、いわば「絶対的なもの」としてあり、「永遠の憧れ」であり、「信仰」であり、常に戻っていける「安息の地」なのです。

 自らを赤裸々につづるソングライティング
 ことブルースにおいては、技巧より歌い手の精神性こそが重要視されます。自らの内面に向き合い、その中から音を出していくことが、ブルースには必要なのです。薬物依存を克服してから書いた「Cocaine(コカイン)」、愛息の死をテーマにした「Tears in Heaven」などはその最たるもので、クラプトン氏は自己の嘘いつわりのない思いを曲に託すことで、説得力のある音楽を作っているのです。

 英国の写真家兼世界的なモデル、パティ・ボイド女史との一件においても、クラプトン氏の赤裸々ぶりが発揮されています。親友ジョージ・ハリスン氏の妻として紹介されたパティ女史を、あろうことか本気で好きになってしまった。その思いは、「Have You Ever Loved a Woman(女性を愛したことがあるか)」のカバーで表現されました。詞では、親友の彼女を好きになってしまった苦しさが歌われています。しかしふっ切れたクラプトン氏は、名曲「Layla(いとしのレイラ)」で思いをぶちまけます。この曲で言う女性「レイラ」は、パティ女史のことです。結局パティ女史は1977年に破局、1979年にクラプトン氏と結ばれます。パティ女史とパーティに出かけて帰宅するまでを歌ったのが「Wonderful Tonight」です。

 

 速いのに遅い?「スローハンド」
 クラプトン氏のフレーズは、ペンタトニックスケールを主体としたシンプルな音づかいながら、印象に残る美しさを持っています。あらかじめ周到に準備していたかのような完成度の高いメロディをアドリブで演奏できる、ここが氏の本当にすごいところです。
 氏の演奏スタイルは、かねてより「スローハンド」と呼ばれていました。速いフレーズを弾くときでも指の動きにまったく無駄がなく、ゆっくり動いているかのように見えるのです。ポジション移動以外はほぼ目に頼らず、いかにも簡単なフレーズを弾いているかのように見えます。ところがこれをコピーしようとすると、滑らかな移動や細かなニュアンスに溢れており、弾きこなすまでにはなかなかの修練を必要とします。

 肘に秘訣のある、独特のビブラート
 細かいところでは、ビブラートの手つきに特徴があります。氏のビブラートは手首から指先までをいったん固めて、肘から先の全体を上下に揺らします。このとき掌はネック裏から離れ、左手は弦にしか触れていないようです。細かく均一なビブラートの得られる動作なので、興味のある人はぜひ身につけてください。「このビブラートはな、エリック・クラプトンから教わったんだぞ」なーんて自慢することができます。

 アームは使わない
 永年にわたってストラトキャスターを愛用しているクラプトン氏ですが、アームを使うことは決してありません。一説には、ジミ・ヘンドリクス氏の演奏を見て「コイツを越えることはできねぇ」と悟ってアームを使うのを断念したと言われます。ビブラートは必ず左手を使用し、滑らかで大きな音程変化が欲しい時にはスライド奏法を用います。
アームを使わないからと、ハードテイルのストラトを試したものの、欲しい音と違っていたそうです。シンクロナイズド・トレモロユニットにはブリッジ直下に重たいトレモロブロックがあり、ボディ背面にスプリングが張ってあります。クラプトン氏にとって、ストラトキャスターに求めるサウンドにはこれらの部品による作用が必要だったわけです。

*https://guitar-hakase.com/1598/ より

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<日本酒> 福島 學十郎/豊国酒造

2021-02-06 08:45:43 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈福島〉 學十郎/豊国酒造

 文久2年(1862)創業。会津若松の西隣り 米どころ会津坂下町にあり、昔ながらの「手作り」の醸造にこだわり、普通酒から上級酒までふなしぼりで行なっております。また原料の性格に忠実に従った醸造に努め人の手による酒造りを行なっております。

 【お酒へのこだわり】
 「ばんげぼんげ」と云う全国に地元の良さをPRする為の“シンボル・ワード”を設けた地域振興と地場産業活性化活動に取り組んでいます。清酒を県外流通させるにあたりこの「ばんげぼんげ」の精神を営業活動に取り入れ、「地元がイメージでき、且つ地元の人が支持する美味しいお酒」こそ地酒を語る為の大切な事と考えております。

 【商品の特徴】
 3つのキーワードが育む手作り清酒。

 (1)丁寧:普通酒から上級酒までふなしぼり。
 (2)節度:原料の性格に忠実に従った酒作り。
 (3)熟成:蔵内管理と冷蔵管理貯蔵。
 「手作り」の醸造は、現代に生まれた新しい醸造技術として捉えています。“人の手”による酒造りは、実は最新技術であると理解しております。

 豊国酒造合資会社 福島県河沼郡会津坂下町字市中一番甲3554

 ブランド一覧

 「學十郎」大吟醸・

 「夫婦さくら」純米大吟醸

 「真実」吟醸酒

 「ばんげぼんげ」純米吟醸

 「豊国」純米酒 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 43. 上庄さといも

2021-02-06 08:36:56 | 食品

 登録番号 第43号 上庄さといも

 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 さといも

 特定農林水産物等の生産地 福井県大野市上庄地区(昭和29年6月30日現在における行政区画名としての福井県大野郡上庄村)

 登録生産者団体 福井県農業協同組合

 特定農林水産物等の特性 在来系統の「大野在来」と呼ばれるサトイモで、肉質が非常に緻密で固くしまっており、煮くずれしにくく、食べるともちもちとした独特の歯触りを持つ。

 地域との結び付き 盆地特有の気候であり、昼夜の温度差が大きいため、デンプンが蓄積しやすく、より煮崩れしにくいサトイモとなる。真名川や九頭竜川など豊富な河川水により、夏に必要な灌漑が容易。地区内のどのほ場もサトイモ生産に適した土壌。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i43.html より

 「上庄さといも」は、「大野在来」と呼ばれる在来系統のサトイモで、肉質が非常に緻密で固くしまっており、煮崩れしにくく、モチモチとした独特の食感が特徴です。
 種芋の選抜は各農家において行われていますが、優良種芋の選抜方法が徹底されていることで「上庄さといも(大野在来)」の系統が維持されています。
 このような特性を有した「上庄さといも」は、市場担当者からの評価も高く、出荷最盛期である10~12月には高値で取引されています。

 「上庄さといも」は、「大野在来」を用い、生産地として掲げる地区で栽培されるものとしています。
 生産者団体では出荷規格を持ち、乾燥が不十分、傷・腐り・病害等があるなど、規格を満たしていないものは出荷されません。なお、規格を満たしていない産品のうち、傷や病害の被害が著しくなく、腐敗していないものは加工用に供されます。

 「上庄さといも」の栽培地域は、福井県北東部に位置し、白山(1)、荒島岳など1,000m級の山々に囲まれ、山から流れた土の堆積でできた扇状地は、砂質壌土からなる排水良好な圃場です。
 また、「上庄さといも」の生育期間である4~11月は、盆地特有の気候である昼夜の温度差が大きいため、日中作られたデンプンが転流しやすい状況となり、デンプン含量が高く、調理したときに煮崩れしにくい高品質のサトイモが生まれる要素となっており、九頭竜川(2)や真名川など豊富な河川水による夏の灌漑が容易なことなど、立地条件にも恵まれています。
 「大野在来」と呼ばれるサトイモの来歴は定かでなく、地域の各農家が自家用として受け継いできたため系統も雑多でしたが、1972年から3年間、奥越農業改良普及センターが中心となり、上庄地区において「大野在来」の系統選抜を行い、収量性の高い「上庄さといも(大野在来)」の系統が選抜されました。
 その後も優良系統の選抜が継続的に行われ、少なくとも特性が確立した状態で30年以上と現在においても系統の維持が図られています。
 このように、当該生産地では「上庄さといも(大野在来)」の系統維持が管理されており、生産地の立地条件と気候が「上庄さといも」の品種特性を更に高める要素となっています。

(1)白山:標高2,702m。北陸地方の白山国立公園内に位置し、「日本百名山」に選定されている。また、白山は、「日本三霊山」にも選定されています。
(2)九頭竜川:福井県嶺北地方を流れる一級河川です。名前は「九つの頭を持った龍」という意味で、古来より多くの伝説や神話が伝えられています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/43.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 33.回答 34.出題

2021-02-06 08:30:51 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 懸崖撒手- けんがいさっしゅ-勇気をふるい、思いきって何かをすることのたとえ。

 


 問2 黄茅白葦-こうぼうはくい-荒れ果てて、やせた土地のたとえ。  

 


 問3 蘭桂騰芳-らんけいとうほう-子孫が繁栄することのたとえ。植物の「蘭」と「桂」が立派に成長して香り立つという意味から。  

 


 問4 獅子奮迅-ししふんじん-獅子が奮い立って、猛進するような激しい勢い。また、そのような猛烈な勢いで活動すること。▽「獅子」はライオン。「奮迅」は激しく奮い立つさま。  

 


 問5 蚊虻走牛-ぶんぼうそうぎゅう-ごく小さなものでも、強大なものを制することができるというたとえ。また、微細な事柄から大きな事件に発展することがあるというたとえ。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 牽衣頓足  

 

 問2 落筆点蠅  

 

 問3 捧腹絶倒  

 

 問4 獣蹄鳥跡  

 

 問5 浮花浪蕊

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 福島 大堀相馬焼

2021-02-06 08:24:58 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「大堀相馬焼」

 歴史
 大堀相馬焼は、300年以上の伝統を誇る陶器で26の窯元(内23が組合加入)があり、 国の伝統的工芸品に指定された、町を代表する特産品です。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故により、多くの窯元があった大堀地区は現在も帰還困難区域に設定され、町内での事業再開が難しい状況となっています。

 特徴
 二種類以上の熱膨張の異なる釉薬をかけることによりできる「青ひび」
内側と外側で2つの器を重ねる「二重焼(ふたえやき)」の構造
狩野派の筆法といわれる「走り駒」の絵
 

 「青ひび」
 窯だしの際に陶器が外気に触れた瞬間から「ぴーん」という貫入音(かんにゅうおん)が鳴り響き、ひび割れが器全体に広がって地模様になります。
 

 「二重焼」
 内側と外側の器の間が離れているため、熱いお茶を入れて手に持っても熱さが手に伝わりません。

 

 「走り駒」
 熟練された筆使いで一気に描き上げます。

 大堀相馬焼は、日用品でありながらも深い味わいのある焼き物として知られています。
また、貫入音は、日常生活に潤いと安らぎを与えてくれる心地よい音として認められ、福島県「うつくしまの音30景」に認定されています。

*https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/7/314.html より

*https://kougeihin.jp/craft/0401/ より

 

 産地 福島県 浪江町

 歴史
 大堀相馬焼は今から約300年の昔、浪江町大堀(旧大堀村)を中心として発達した焼物で、諸窯を支えてきたのは、陶技を修得した土地の農民や給人、新天地を求めて異郷からやって来た先進地の職人でした。相馬藩はこれを藩の特産物にしようと着目、元禄10年(1697年)には「瀬戸物師他領土へ出ることべからず」という布令を出して他領土への技術流出の防護に乗り出し、また、享保18年(1733年)には「今後下り瀬戸物を仕入商売してはならない。地元産の瀬戸物を主に使用するように」という地場産品愛用運動を布令して、藩による瀬戸物の買い入れと、一手販売をするようになりました。窯元も次第に隣村へと普及して、江戸末期には120戸の窯元を持つ東北随一の産地となりました。
 明治期に入ると他産業への転化も相次ぎ窯ぶ家は激減、その後戦争による打撃も大きく、現在は20軒の窯元によって伝統の火を燃やし続けています。

 特徴
 大堀相馬焼は江戸中期の元禄3年(1690年)に開窯し、相馬藩の保護育成のもと窯元が300年の伝統を引継ぐ手造り品です。
 主製品は、青磁釉による青ひびといわれひび割が器全体に広がった地模様となり素朴な味わいのある製品です。
 青磁釉の外に、灰釉、あめ釉、白流釉等も使用し、日用品として厚く丈夫な製品です。
 浪江町美森に埋蔵する陶土をろくろで手造りによって形成し、仕上げ後、陰干しにより完全乾燥した後素焼きします。そこに特有の「走り駒」の絵を描き、釉薬を掛けて本焼焼成します。また、独特の「二重焼」は、お湯が冷めにくく、熱いお湯を入れても持つことができます。

*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/fukusima_02.htm より

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