「エリック・クラプトン」
1945年3月30日生まれの75歳
《終わらないブルースの旅》エリック・クラプトン(Eric Clapton)
エリック・クラプトン氏は、ギタリストとして、ボーカリストとして、作曲者として常に第一線で活躍し、60年代から現在に至るまで積極的に活動を続けているアーティストです。ロックミュージックが誕生して発展し、成熟していく過程には、常にクラプトン氏の姿がありました。
現代の感覚ではロックミュージックに分類されるクラプトン氏ですが、ご本人は常にブルースと共にあり、いつの時代においても現代のブルースを奏で続けました。華々しいキャリアの陰には、音楽を続ける上でのストレスに加え、相次ぐ親友の死や息子の事故死、恋の悩み、アルコールや薬物の依存など、深い深い苦悩もありました。ブルースには、技巧より精神性が重視されます。クラプトン氏はさまざまな苦境を乗り越え、ブルースに深みを増していったのです。今回は、このエリック・クラプトン氏に注目していきましょう。
ブルースと共に歩み続けた、エリック・クラプトンの半生
エリック・クラプトン氏のキャリアをざっと追ってみましょう。半世紀にも及ぶ長さですが、
元気いっぱいバリバリ弾く60年代
ファンクやレゲエを取り入れた70年代
ご自身が一つのジャンルとして完成した80年代
アコギを弾く機会が増えた90年代
円熟を極めた2000年代以降、現在まで
だいたいこういった感じです。
マニアックなブルース少年
エリック・クラプトン氏は1945年3月30日、英国はサリー州りプレーに生まれます。少年時代よりブルースにのめり込み、遂には祖父母に頼み込んでアコースティック・ギターを買ってもらうことになりました。’60年代初頭、学生時代の友人にルースターズを紹介されるも、半年ほどで解散。そんな時、ヤードバーズからのオファーがクラプトンのもとに転がり込んできました。このヤードバーズに参加したことがクラプトン氏にとってもヤードバーズにとっても大きな転機となるのでした。
ヤードバーズ(The Yardbirds)時代
ローリング・ストーンズが全米デビューしたことで、数多くのクラブからバンドの出場枠が空きました。そんな中にストーンズの後釜として抜擢されたのがヤードバーズでした。クラブの中で徐々に人気を博していったヤードバーズに目をつけた一人の男がプロデューサーのジョージオ・ゴメルスキー氏です。彼とマネージメント契約を結んだヤードバーズは念願のメジャー・デビューを果たし、全国規模のツアーをこなし、バンドの知名度は上昇していきました。
ゴメルスキー氏はさらに売れるためにブルースよりも多くの一般に受け入れられるポップ路線にバンドを走らせようとします。そのため氏は3rdシングルにポップス調の「For Your Love」を用意します。明らかなヒット・チャート狙いのゴメルスキー氏のやり方に不満を抱いたクラプトン氏は「For Your Love」で完全にキレてヤードバーズを脱退するのでした。クラプトン氏の後にはジェフ・ベック氏、ジミー・ペイジ氏が参加し、以来「ヤードバーズの三大ギタリスト」という呼び方が定着しました。
ブルース・ブレイカーズ(John Mayall & The Bluesbreakers)時代
次にクラプトン氏が加入したのは、当時のブリティッシュ・ブルース・シーンで人気を誇っていたジョン・メイオール氏のブルース・ブレイカーズでした。そこで残した作品『Bluesbreakers With Eric Clapton』は今でも名盤として名高い作品です。
この時クラプトン氏が使用したのは、マーシャルアンプにつないだ1960年製ギブソン・レスポール・スタンダードでした。太く熱く、そして甘美なディストーションは「極上のサウンド」と評されます。パワーがありすぎて重いことで不人気だったレスポールは再評価され、1968年に再生産が開始されました。
クリーム(Cream)時代
その後、自分の音楽性の追及により’66年に“史上最強のロック・トリオ”クリームを結成。3人のアドリブの応酬によるライヴが話題を呼び絶大な人気を誇ることになります。しかし、3人の個性が衝突して出来上がるものだっただけに確執も深まりクリームは’68年に解散してしいます。
この時代のクラプトン氏は、トリオ編成でデカい音を出す必要があったため、ハムバッカー・ピックアップを備えたSG、ファイアーバード、ES-335というようにギブソンのギターを使用していました。また、フロントピックアップのトーンを絞ったセクシーな甘い音「ウーマントーン」を世に知らしめました。
数々の苦悩を経て…
レゲエ・ミュージックの神、ボブ・マーリー氏の楽曲をギターの神、クラプトン氏がカバーした、いわば神々の競演。ライブで見せるアドリブの完成度はさすがですが、スタジオテイク版にギターソロはありません。70年代のクラプトン氏はギターを弾くことにこだわらず、音楽全体を俯瞰(ふかん)していこうとしていたようです。
次にクラプトン氏は当時スーパー・バンドと呼ばれたブラインド・フェイスを結成、その後、ブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーで出会ったデラニー&ボニーの影響でデレク&ザ・ドミノスを結成するも’71年に解散。その後しばらくドラッグとアルコールに入り浸る隠遁生活を続けます。リハビリによってドラッグとアルコールを克服したクラプトン氏は『461 Ocean Boulevard(1974)』で完全復活を遂げます。
この時期のクラプトン氏は拠点を故郷の英国からアメリカへ移し、ソウル/ファンクのテイストを採り入れた「スワンプ・ロック」、ゆったりくつろいだ隙間を楽しむ「レイド・バック」や「レゲエ」といったサウンドを模索します。いろいろやった結果、シンプルなバンド路線へと帰結したアルバム「Slowhand(1977)」が完成した時、現在に通じるエリック・クラプトンの音楽的アイデンティティが完成したとされます。
以降クラプトン氏は独自のソロ路線を突き進むも彼に"愛する息子の死"という悲劇が訪れたのでした。これに対し「Tears In Heaven」を息子に捧げます。
多くの仲間に囲まれ、安定的に活動
2000年代からのクラプトン氏は、アルバムリリースやツアーなど、安定的な活動を続けています。1999年から定期的に主催している「クロスロード・ギター・フェスティバル」は、氏が個人的に選んだミュージシャンがこぞって出演する、大変贅沢な内容です。ジェフ・ベック氏、B.B.キング氏、ラリー・カールトン氏、ジョン・マクラフリン氏、バディ・ガイ氏ら往年の名手、ジョー・ボナマッサ氏、ジョン・メイヤー氏、デレク・トラックス氏ら新進気鋭の若手プレイヤー、はたまたスティーヴ・ヴァイ氏、アラン・ホールズワース氏ら意外な名手まで、各ジャンルの有名ミュージシャンが参加しています。
2020年時点で御年71歳、まだまだ元気です。*←間違いでは?
音楽やギタープレイの特徴
ヤードバーズ、ブルース・ブレイカーズ、クリームでのプレイ、ブラインド・フェイスの全米ツアーで知り合ったデラニー&ボニーの南部ロックへの憧れに始まる後のソロ作から現在まで、ブルースの名曲をカバーすることもしばしばあり、直接的であれ、間接的であれクラプトン氏は一貫して大枠でブルースというスタイルを離れたことはありません。クラプトン氏にとってブルースとは、いわば「絶対的なもの」としてあり、「永遠の憧れ」であり、「信仰」であり、常に戻っていける「安息の地」なのです。
自らを赤裸々につづるソングライティング
ことブルースにおいては、技巧より歌い手の精神性こそが重要視されます。自らの内面に向き合い、その中から音を出していくことが、ブルースには必要なのです。薬物依存を克服してから書いた「Cocaine(コカイン)」、愛息の死をテーマにした「Tears in Heaven」などはその最たるもので、クラプトン氏は自己の嘘いつわりのない思いを曲に託すことで、説得力のある音楽を作っているのです。
英国の写真家兼世界的なモデル、パティ・ボイド女史との一件においても、クラプトン氏の赤裸々ぶりが発揮されています。親友ジョージ・ハリスン氏の妻として紹介されたパティ女史を、あろうことか本気で好きになってしまった。その思いは、「Have You Ever Loved a Woman(女性を愛したことがあるか)」のカバーで表現されました。詞では、親友の彼女を好きになってしまった苦しさが歌われています。しかしふっ切れたクラプトン氏は、名曲「Layla(いとしのレイラ)」で思いをぶちまけます。この曲で言う女性「レイラ」は、パティ女史のことです。結局パティ女史は1977年に破局、1979年にクラプトン氏と結ばれます。パティ女史とパーティに出かけて帰宅するまでを歌ったのが「Wonderful Tonight」です。
速いのに遅い?「スローハンド」
クラプトン氏のフレーズは、ペンタトニックスケールを主体としたシンプルな音づかいながら、印象に残る美しさを持っています。あらかじめ周到に準備していたかのような完成度の高いメロディをアドリブで演奏できる、ここが氏の本当にすごいところです。
氏の演奏スタイルは、かねてより「スローハンド」と呼ばれていました。速いフレーズを弾くときでも指の動きにまったく無駄がなく、ゆっくり動いているかのように見えるのです。ポジション移動以外はほぼ目に頼らず、いかにも簡単なフレーズを弾いているかのように見えます。ところがこれをコピーしようとすると、滑らかな移動や細かなニュアンスに溢れており、弾きこなすまでにはなかなかの修練を必要とします。
肘に秘訣のある、独特のビブラート
細かいところでは、ビブラートの手つきに特徴があります。氏のビブラートは手首から指先までをいったん固めて、肘から先の全体を上下に揺らします。このとき掌はネック裏から離れ、左手は弦にしか触れていないようです。細かく均一なビブラートの得られる動作なので、興味のある人はぜひ身につけてください。「このビブラートはな、エリック・クラプトンから教わったんだぞ」なーんて自慢することができます。
アームは使わない
永年にわたってストラトキャスターを愛用しているクラプトン氏ですが、アームを使うことは決してありません。一説には、ジミ・ヘンドリクス氏の演奏を見て「コイツを越えることはできねぇ」と悟ってアームを使うのを断念したと言われます。ビブラートは必ず左手を使用し、滑らかで大きな音程変化が欲しい時にはスライド奏法を用います。
アームを使わないからと、ハードテイルのストラトを試したものの、欲しい音と違っていたそうです。シンクロナイズド・トレモロユニットにはブリッジ直下に重たいトレモロブロックがあり、ボディ背面にスプリングが張ってあります。クラプトン氏にとって、ストラトキャスターに求めるサウンドにはこれらの部品による作用が必要だったわけです。
*https://guitar-hakase.com/1598/ より