いいもの見ぃ~つけた!

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-坂田明

2021-02-10 07:37:07 | MUSIC

 「坂田明」

 1945年2月21日生まれの75歳

 

 第16回:サックス奏者 坂田明さん① 2018年5月14日更新
 いま輝いている素敵な人からお話を聴いてみたい。ただ、その想いでインタビューをするのが、このコーナー。今回はジャズサックス奏者であり、ミジンコ研究家としても有名な坂田明さんを訪ねました。現在、73歳の坂田さんは、ジャンルや年齢を問わず、さまざまなミュージシャンたちと共演したり、ヨーロッパやアメリカなどで海外公演も行うなど、精力的に活動しています。

 インタビューは、5月24日(木)、6月2日(土)にライブを行う千駄木にあるライブBAR「Bar Isshee」で行われた

 音楽をやる人間がミジンコを見て、その「命」を感じている
 ■73歳の坂田さんは、現在も第一線のプレイヤーとして、いろんなジャンルの人たちと共演されていますが、その原動力は何でしょうか。

 それは、おもしろいから出来るんですよ。別にジャズを追求する意味なんてないし、人間を追求しているわけだから。ジャンルなんか全然関係ない。楽しい瞬間は、いい音が出た時ですよ。全体の中でいい音が出た時が最高だね。

 「いくつになっても遅くないと思うんですよね。やりたいことがあったら、すぐやればいいんですよ」と坂田さんは語る(2016年10月30日/秋葉原CLUB GOODMAN)

 ■演奏以外にも、ミジンコ研究でも有名ですが、どのような研究をしているのですか。

 顕微鏡で見たり、撮影したり、いろいろしてますけど、研究者のやっている研究とは全然違うんですよ。音楽をやる人間がミジンコを見て、その「命」を感じています。音楽というのは、「命」のある人間がやるもの。じゃあ、その「命」って何だろうって。

 自分の命、人間の命、ミジンコの命、あらゆる命の中から、いろんなものを感じたり、考えたりできる。オレにとって、ミジンコはそういう存在だよね。

 ミジンコについて尋ねたところ「ミジンコと自分とは命として等価だと思っている関係。なんら、そこに差があるとは思ってない」とコメント

 自然界に「掟」はなく、あるのは「システム」だけ
 ■音楽活動にも影響を与えているのでしょうか。

 もちろん、音楽を作りたくさせるよね。命が透けて、動いてる姿、彼らミジンコは生きているんだよね。

 人間はミジンコと違い、「哲学」がないと生きていると言えないところがある。自分をどのように制御して、どんな方向に持っていくか、「哲学」がないと、糸の切れた凧のようになってしまう。だけど、生き物には、そうした「哲学」は必要ないんですよ。「システム」そのものが「生きる」ように出来てる。

 生き物同士のつばぜり合いみたいなことはあるんだけど、どっかで折り合いをつけるとか、どちらかが勝つとか、やもえない「システム」のぶつかり合いはあるよ。それを世の中の人は「掟」というけど、自然界に「掟」はないの。自然界にあるのは「システム」だけ。自然界では「掟」を破るもクソもない。 「掟」というのは人間が作った考え方だからね。生きるという「システム」を続けているだけ。地球が出来てから、ずっと地殻変動が行われ、その中で、適応して来た奴だけが生き残っているわけだから。

 ■音楽活動やミジンコ研究以外の趣味はありますか。

 酒だね(笑)

 基本的には毎日呑んでるけどね、ビール飲んで、あとはあるもの飲んでって感じ。家で家内と飲むときもあるし、外に飲みに行くこともあるよ。ライブ演奏が終われば、こういうところで打ち上げで飲んでるから(笑) でも若い頃は、酒は強くなかったですよね。いつも「ゲロゲロセブン」ばっかりで、吐いてばかり(笑) 歳をとったら強くなってました。

 ■そうやって、お酒を飲まれていると、何か健康対策のようなものは?

 健康対策は運動することだね。朝起きたら、ごはんを食べる前に運動をしています。ストレッチと体幹とインターバルトレーニングを毎日20分やってます。ツアー中でも、世界中どこへ行ってもヨガマットとゴム紐は持っていきます。

 運動してなきゃ、楽器は吹けないし、荷物を持って移動もできないし、気力体力も充実しない。運動していればサックスを吹くときの息のコントロールがうまくいくんですよ。

 「若い頃は基本的には土方仕事やって、百姓もやってましたし、体は動かしてましたね。ダンプカーに乗って時もありましたよ」と坂田さん

 70過ぎてからの方が楽しくなってきてる
 ■ご自身で「歳をとったな」と思ったことはありますか。

 そりゃありますよ。50代で人生のジレンマを感じました。

 30代、40代は、まだ自分では若いと思っていたけど、50代になったら、それは錯覚だとわかって、そこのギャップに迷ったりしてましたね。その後、1回当たっちゃったの。脳溢血に。

 でも、脳溢血から復帰して、トレーナーの人と出会ったり、各国の若いミュージシャンたちが助けてくれた。若いといっても30〜40代だけど、オレのレコードを持っているとか、ファンであるとか言ってくれて、その時、頑張んなきゃダメだなと思ったよ。

 「TRANSPARENTZ」とノイズ・セッションで、轟音のなか、ひたすらシャウトする坂田さん(2016年10月30日/秋葉原CLUB GOODMAN)

 16年ぐらい経って、全然違った世界になった。いま、ヨーロッパとか、アメリカとか行ってますけど、坂田明という人間が、あちこち回って活動しているぞ、ってことを定着させるまで約10年。70過ぎてからの方が楽しくなってきてるんじゃないかな(笑)

 70歳を過ぎて、いろんなことが試せるようになったな。自分とは全然違う連中が、いろんなことを言ってきてくれるから、そういう連中と一緒にやっちゃうんだ。そうすると新しい世界が見えるんだ。オレ、こだわりないから。何でもいいんだ。ジャンルも歳も関係ない。一回りどころか、孫ぐらいの27、28ぐらいの子とも共演してるよ。若いエネルギーに対して、自分は何が出来るか一歩踏み出してみるんだ。それが、自分のエネルギーにもなるよね。

 「ジャンルも歳も関係ない。ひとまわりどころか、孫ぐらいの27、28ぐらいの子とも共演してるよ」と坂田さんは語る

 ■演奏活動、ミジンコ研究、何でもいいのですが、今後、やってみたいことや目標はありますか。

 なるようになるプランクトン生活ですよ(笑)

 周りにおもしろそうなことがあれば、それに、すぅーとフラフラしながら近寄って、何かヤバそうなら、とりあえず正面衝突避けて、スルっと抜けて、おもしろいことをやる(笑)

 

 

 第17回:サックス奏者 坂田明さん②
 いま輝いている素敵な人からお話を聴いてみたい。ただ、その想いでインタビューをするのが、このコーナー。今回はジャズサックス奏者であり、ミジンコ研究家としても有名な坂田明さんを訪ねました。現在、73歳の坂田さんは、ジャンルや年齢を問わず、さまざまなミュージシャンたちと共演したり、ヨーロッパやアメリカなどで海外公演も行うなど、精力的に活動しています。

 プライドなど、すべてを捨てて、一人の人間になること
 ■これからシニア世代になっていく人たち、特に男性は、自分のやりたいことが見つからないという声もあるのですが。

 いままで会社で勤めてきた男性に多いのかな。非常に残念なことだと思うけど、それは、今まで「安心」を買ってきたわけでしょ。ちゃんと勤めて給料もらって、退職金もらって、それで過ごして、金銭的には問題ないかもしれないけど、いきなり、屋根の上にいたら梯子外されちゃったようなわけだ。

 屋根の上じゃなくて、大地に降りてきて、みんなと何かをするということに関しては、これまで命令していた子分みたいな奴の言うこと聞かなきゃならなくても、すべてを捨てるしかないんじゃないかと思うのね。一人の人間になることだね。

 「日本では酒飲んでも会社の話をしているけど、外国の人間は、飲み屋で会社の話をしてるようなのは居ないよね。大抵、音楽や文化の話だよ」と坂田さん

 何十年も会社人間で、酒飲んでも会社の話をしていて、会社の人と話して、人間関係がどうのこうのと話をしているから、脳がそうなってしまい、普通のことを考えるのが難しくなってしまうんだろうね。

 人間の頭は凝り固まっていくところがあって、その凝り固まっているところを、解きほぐすということが必要なんだ。50年凝り固まっていたら、解きほぐすのにも50年かかるんじゃないかと思うんだよね。それを一挙に急速解凍するのは無理がある(笑)

 伊藤多喜雄さんと共演したライブ。民謡でもジャズでもない、不思議なサウンドが聴衆を惹きつける(2018年03月29日/目黒APIA40)/撮影:弓削ヒズミ

 いろんなものを自分の身体に浴びる
 ■急速解凍できないから、定年退職する前から準備しておいた方がいいわけですね。

 そうだよね。もう定年退職するのはわかってるんだから。極端に言うと、自分が社長や会社のトップに登りつめてやろうというのは別の世界だと思うんだけど、中間管理職で終わってしまう、それ以前のところで終わってしまう人もいるわけじゃない。それは、ある程度、自分の人生が見えているわけじゃない。60、70になって定年になったらどうするか、前もって準備して、ある意味、クロスフェードするような移行の仕方もあるよ。急に梯子外されてどうしようっていうのはダメだよ。

 急に骨董屋をはじめようという人もいるかもしれない。それでも、早いうちから、イイ物を見ていないとダメだよね。何をやるにしても、たくさん見ないといけないし、たくさん食べないといけない、たくさん飲まないといけない、たくさん聴かないとわからない、いろんなものを「自分の身体に浴びる」ことをしないと。企業社会で企業のことばっかじゃ、企業人間から脱却するのは難しいと思うんですよ。

 「オレの生まれてから73年は、そのまま『戦後』なんだ。子どもの時は物はなかったけど楽しかった。凧紐に磁石をぶら下げて、それを引きずって歩いているとクギだのボルトだのひっついてきて、それをクズ鉄屋に持って行って小銭をもらって、それで飴玉買ってたな」と坂田さんは振り返る

 ■何かやりたいことが見つかったら?

 やりたいことがあるんだったら、どうすれば出来るか、考えればわかること。わかってて、それを毎日出来るか、そうとうなモチベーションがなきゃできない。

 オレが朝飯の前に20分体操するというのはね、そうとうなモチベーションがあるからできるんだよね。つまり、今日演奏して、後で酒が飲みたいっていうのも全部含めて(笑)

 これをやってなきゃ、演奏も出来なければ、酒も飲めないぞと、翌日、気持ち良く起きて、また体操して、朝ごはんを美味しく食べれて、毎日が送れるというのは、すごくいいスパイラルになってる。だから、大事なことは自分がどういう目的でそれをやろうとしてるかってこと。

 「不安というのは持ってないんだよね。でも、演奏できない状態で生きていることにはなりたくないな」と語る坂田さん

 オレらが企業で働いているような年齢の時も、いま現在も生活のスタイルはずっと一緒。そういうことでは、何の変化もない(笑) だから不安というのは持ってないんだよね。でも、演奏できない状態で生きていることにはなりたくないな。一度は当たって、結構、ヤバかったけど、元のような状態まで戻って、もう1回当たったら、お終いなんだけど、それでもイイと思うの。今日をちゃんとやって、今日の晩は死にたくないんだよね、酒飲んでないし(笑) 明日の朝、起きたら死んでるみたいだったらいいな(笑)

 

 オレらは別に失うものはない。別に威張る必要もないし、みんなと対等だし、むしろ、若者と対等な精神状態で、同じ目線、同じ価値観を共有できるスタンスのなかに居ることが、自分としての役割だと思う。いまの73歳のじいさんとして。73歳でも、こういう状態でいれるんだよって、そうすると楽しいよって。オレはそういう奴だって。

 ライブ中、サックス演奏はもちろんのこと、時には歌い、時にはトークで会場を笑いに誘う(2018年03月29日/目黒APIA40)

 今回のインタビューでは、ミジンコのように、あるがままに「生きる」坂田さんのライフスタイルを聴かせていただきました。ライブステージでパワフルに演奏している姿とは、また違った印象で、とても貴重な体験となりました。これからのシニアライフに迷いがある人がいたら、ぜひ、坂田さんの演奏を聴きに行った方がいいと思います。きっとパワーをもらえるはずです。

 文=弓削ヒズミ(編集部)2018年4月取材

 ■ Profile ■
 坂田明(さかた・あきら)
1945年、広島県呉市出身、広島大学水産学科卒業。72年〜79年山下洋輔トリオに参加、80年より「Wha ha ha」「SAKATA TRIO」結成してヨーロッパツアーを皮切りに独立。以後様々なグループの形成解体を繰り返しながら世界中をあちこちぐるぐるしながらあれこれして今日に至る。近著は「私説ミジンコ大全」CD「海」付(晶文社)。

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<日本酒> 茨城 稲里/磯蔵酒造

2021-02-10 07:19:20 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈茨城〉稲里/磯蔵酒造

 酒は人ありき…
 磯蔵酒造

 創業明治元年、茨城県笠間市稲田にある酒蔵です。
 地元の水と米を、地元の蔵人達が、たくさんの人々とのご縁、関わり合いの中で、米の味と香りのする、ライスィな日本酒「稲里(いなさと)」を醸しております。

 

 ご挨拶
 いい酒というのは、環境に始まり、材料から醸造、流通、そして皆さんに飲んでいただく瞬間まで、たくさんの「人」に支えられてこそ初めて成り立ちます。

 「酒造りは一期一会の積み重ね」をモットーに、たくさんの人々とのかかわり合いの中で、日々成長していく酒を造っていきたいですね。そうして出来上がった酒が、また新しいかかわり合いのきっかけになれたら最高です。

 酒は人ありき… 人と人との潤滑油として存在するのが当蔵の考える理想の酒です。
 だって、一番旨い酒が飲めるのはいつもいい仲間と飲むときですから……
 ここで、また新しいかかわり合いが生まれることを願っております。

 磯蔵酒造 五代目 蔵主 磯 貴太

 

 歴史
 緑あふれる山々に囲まれた「笠間市」は古くから稲作が盛んでした。
 なかでもスサノオノミコトの奥さん「稲田姫」に縁ある「好井」と「御神田」を有する「稲田神社」から名付けられた稲田地区は古くから 「稲の郷(里)」と呼ばれ、日本最大の御影石の大地から湧き出る良質の地下水(磯蔵ではこの水を「石透水・せきとうすい」と命名)とともに、酒造りには絶好の地域でした。

 その稲田にある当蔵は、石が幾らでもある場所だから磯と名乗り、古くから米作りをしていましたが、その良質の水と米に着目した酒蔵初代「磯 良右衛門」が江戸末期より酒造りを開始、やがて明治時代には「稲の里」から「稲里」を酒名に「磯酒造店」を開業、敷地内、数々の酒蔵、米蔵に因んで屋号「磯蔵」と呼ばれるようになりました。
 「稲里」は地元笠間をはじめ茨城県内に“定番の地酒”として広く親しんでいただいております。


 酒造り
 地元の水と米を使用し、たくさんの皆様との関わり合いの中、地元の蔵人達が、伝統手造りによる「技と心」で、米の味と香りのするライスィな日本酒を醸します。

 磯蔵 五訓
 酒は人ありき・・・「日本人の喜怒哀楽と共に生活に根ざした酒(蔵)」を造る
 一期一会の酒造り・・・出会いを重んじ「人々との関わり合いの中で成長して行く酒(蔵)」を造る
 日本酒らしい日本酒・・・米で造る酒だけに「米の味と香りのする酒」を造る
 本物の地酒・・・「地元の素材を、地元の蔵人が酒にし、地元に愛される酒(蔵)」を造る
 等身大の酒・・・当蔵の歴史をふまえ、背伸びをせず、気取らず、「磯蔵らしい酒(蔵)」を造る

 磯蔵 酒造り三要素(三原色)
 石透水(青)
 「御影石」から滲み出した石切山脈地下伏流水を「石透水」と命名、「此処で酒を造る理由」のひとつとして無濾過、無修正で汲み上げ使用します。

 地元の米(黄)
 地元農家と「本物の地酒(酒米)をつくる会」を結成、目指す「旨さ」のために必要な成分を私達の欲しいだけ含んだ酒米を「顔の見える関係」で作り、使用します。

 造り手の情熱(赤)
 「何が何でもこんな味の酒を造りたい」という酒蔵の「熱い思い(情熱)」があってこそはじめて「良い酒」が造れる…と、毎年変らぬ「目指す旨さ」を造ります。

 磯蔵 酒造り十ヶ条
 其の壱 水   此処で酒を造る理由と考える

 其の弐 米   顔の見える関係で育った酒米が理想

 其の三 造   昔ながらの手造りが基本

 其の四 味   米の味のする酒を

 其の五 香   当蔵独自の香りを大切に

 其の六 色   日本酒には本来色がある

 其の七 甘辛  まず飲んでみて自分の基準で酒を判断

 其の八 流通  まず地元で飲んでもらう

 其の九 日本酒 日本人の喜怒哀楽と共に生活に根ざすもの

 其の十 人   酒は人ありき


 一斗句
 磯蔵酒造 五代目 蔵主 磯 貴太
 蔵主として、これだけは言っておきたい
 「旨い日本酒が呑めるコツ」を十章にまとめて(十升 = 一斗)文章にしたためてみました(句)。
 題してっ!「旨い酒の呑み方 これだけは 一斗句(言っとく)」

 ぜひ、ご笑読いただければ幸いです。

  磯蔵酒造 五代目 蔵主 磯 貴太

 一升 磯蔵の…「こだわり」でなく「味」造り
 二升 磯蔵の…旨い酒の保存方法とは?
 三升 磯蔵の…旨い酒の呑み方とは?
 四升 磯蔵の…旨い酒の味わいとは?
 五升 磯蔵の…旨い酒の温度とは?
 六升 磯蔵の…旨い酒の器とは?
 七升 磯蔵の…料理が旨い酒とは?
 八升 旨い酒のブランドとは?
 九升 旨い酒が呑める日本とは?
 十升(一斗) 旨い酒は人ありき…
 おかげさまで、私はとりあえず今日も無事、生きております。

 ここ数年は…世の中本当に目まぐるしく、大変な事もいろいろあり過ぎましたが、とりあえず「生きていれば大丈夫」、当蔵はそう思っております。

 そして、今日、ここで生きてまた酒造りができた事に感謝すると共に、米作りにはじまり、資材に配送、酒屋さんに呑み屋さん、そして、酒を呑んで下さっている皆さんまで、どこがかけても酒は造れません、そう、当蔵に縁あった全ての人々とのご縁があって初めて酒が造れると、酒蔵一同、心より皆様に感謝を申し上げます。

 そして、そうやってたくさんの方々とのご縁によりにできた酒を、皆様がまた誰かと酌み交わす事で、喜びや楽しさは倍になり、怒りや哀しみは半減するという、酒が人が人でいられる根幹(「人という漢字は人と人が支え合ってできている=1人では「人」になれない」、「人と人の間ができてはじめて人間=2人いて間ができて初めて「人間」」と、昔、キンパチ先生だか誰かが言ってたような気がしますが)、「人と人」の潤滑油となれますよう…一人でも多くの方々をちょっとでも楽しく、幸せに、素敵な時間を過ごせるお手伝いができますよう…磯蔵はこれからも「目指す旨い酒」を一生懸命、頑張って造ってまいります。

 当蔵に少しでもご縁のありました皆様方におかれましては、吹けば飛ぶよな小さな田舎酒蔵ではございますが、今後共、どうか宜しくお願い申し上げます。

 磯蔵酒造 茨城県笠間市稲田2281番地の1

 ブランド一覧

 「稲里」純米・純米 日本晴・純米 熟成出荷・純米 山田錦・純米大吟醸 日々是好日・純米吟醸・大吟醸 五百万石・大吟醸 山田錦 など

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 47. 岩手野田村荒海ホタテ

2021-02-10 07:14:03 | 食品

 登録番号 第47号 岩手野田村荒海ホタテ

 特定農林水産物等の区分 第11類 貝類 ほたてがい

 特定農林水産物等の生産地 岩手県野田村野田湾

 登録生産者団体 野田村漁業協同組合

 特定農林水産物等の特性 プランクトンが豊富で自由に泳ぎ回れる環境下で養殖されたホタテガイ。身は肉厚で旨味が濃く、貝柱は繊維がしっかりとして弾力がある。貝殻は表面に付着した生物が丁寧に除去されているため美しい。

 地域との結び付き 野田湾は三陸沿岸の湾の中でも開放性が高く、波浪等の影響を受けやすいが、潮通しが良く、水質がきれいで、プランクトンが豊富なため、ホタテガイの飼育環境が良好。栄養素が豊富でホタテガイが自由に泳ぎ回れる環境を維持するため、カゴ養殖等を行うことで良質なホタテガイを生産。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i47.html より

 「岩手野田村荒海ホタテ」は、岩手県野田村野田湾において、プランクトンが豊富で自由に泳ぎ回れる環境の下で養殖されたホタテガイです。
 「岩手野田村荒海ホタテ」の特徴は、身が肉厚なことです。特に、貝が自由に泳ぎ回れるような密度の下で養成するため、その貝柱は繊維がしっかりとしてぷりぷりとした弾力のあるものとなります。また、貝殻の表面は滑らかで美しい外見です。これは、貝殻に付着した生物の除去が丁寧に行われていることによります。
 味と食感、外見がいずれも優れ、生食はもちろんのこと、焼く、煮る、蒸すなど、どのような調理法にも良く合うので、その品質は飲食業者等から高く評価されています。

 「岩手野田村荒海ホタテ」の養殖場は岩手県野田村野田湾にあります。
 「岩手野田村荒海ホタテ」は、4~5月頃に野田湾内で採取されるホタテガイの幼生(ラーバ)から育てられます。採苗器に付着した幼生を7~8月頃まで育てた後に養殖用のカゴに収容します。
 「岩手野田村荒海ホタテ」の養殖方法の特徴は、ホタテガイの成長に応じ、養殖用のカゴに収容するホタテガイの数を減らしていく分散作業を行うことです。これにより、ホタテガイが自由に泳ぎ回れる環境が維持されます。
 「岩手野田村荒海ホタテ」の出荷は、採苗年の翌年以降に行われます。殻長が11cmを超えるような大型のホタテガイが出荷されるまでには、分散作業が5回も実施されます。
 分散作業および出荷の際には、機械等により、貝殻に付着した生物の除去を行います。

 「岩手野田村荒海ホタテ」の生産地となる野田湾は、岩手県県北部の三陸海岸北部に位置します。三陸の北部海域は、北から寒流の親潮(1)、南からは暖流の黒潮(2)北上分派、そして津軽海峡からの津軽暖流(3)と様々な海流が交錯するので、栄養豊かでプランクトンが豊富です。
 また、野田湾は、養殖漁場のある他の湾と比べ、開放性が高いのが特徴です。このため、潮通しがよく、海水が淀みなく流れているため、きれいな水質が保たれています。
 このような良好な飼育環境の中で、生産者はカゴ養殖等を行うことで、栄養素が豊富でホタテガイが自由に泳ぎ回れる環境を維持しています。これらのことが「岩手野田村荒海ホタテ」の成長の良さにつながり、肉質や食味の良さなど高く評価されている品質となります。

 野田湾でのホタテガイ養殖は1973年に養殖用種苗の生産から開始されました。食用としての生産も当時から種苗生産と並行して行われ、その生産量は平成の年代に入り増加させてきました。
 2011年3月11日の東日本大震災では、野田村の水産業も津波により壊滅的な被害を受けましたが、生産者は震災直後となる2011年5月には採苗を行い、その生産を再開しました。

(1)親潮:千島列島に沿って南下して日本の東まで達する海流で千島海流とも呼ばれています。栄養塩に富んでおり、「魚類を育てる親となる潮」という意味でつけられたと言われています。
(2)黒潮:東シナ海を北上してトカラ海峡から太平洋に入り、日本列島の南岸に沿って流れ、房総半島沖を東に流れる海流で日本海流とも呼ばれています。南極環流やメキシコ湾流と並んで世界最大規模の海流です。
(3)津軽暖流:北海道と青森県の間にある津軽海峡を西から東へ流れる海流で、日本海を流れる対馬海流(暖流)の分流です。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/47.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 37.回答 38.出題

2021-02-10 07:06:00 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 刑鞭蒲朽- けいべんほきゅう-世の中が平和なことのたとえ。刑罰用の鞭や蒲の穂が使われることなく朽ちるという意味から。中国の後漢の官僚の劉寛は、温厚で知られ、打っても痛みの少ない蒲の穂で鞭を作り、痛みよりも恥辱を与えるようにした。しかし、犯罪が起きなくなって、蒲の穂が使われることなく朽ちたという故事から。「刑鞭蒲朽つ」とも読む。 

 


 問2 柳眉倒豎- りゅうびとうじゅ-容姿の美しい女性が怒る様子。「柳眉」は柳の葉のように細い眉のことで、女性の美しい眉のたとえ。「倒豎」は横や下を向いているものを上に向ける、逆立てること。「柳眉を逆立てる」と用いることが多い言葉。 

 


 問3 胡馬北風-こばほくふう-故郷を懐かしむことのたとえ。また、望郷の念にかられること。  

 


 問4 傭書自資-ようしょじし-ものを書くことで生活すること。文筆によって生計を立てること。  

 


 問5 無知蒙昧-むちもうまい-知恵や学問がなく、愚かなさま。▽「無知」は知識がないこと。何も知らないこと。「蒙昧」は物事の道理をよく知らない意。「昧」は暗い意。「知」は「智」とも書く。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 景星鳳凰  

 

 問2 香美脆味  

 

 問3 蠅頭細書  

 

 問4 孟仲叔季  

 

 問5 高鳳漂麦

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 福島 奥会津昭和からむし織

2021-02-10 07:02:14 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「奥会津昭和からむし織」

 からむし織について ~からむし織の基礎知識~
 からむしとは?
 からむしは、イラクサ科の多年草で、苧麻(ちょま)とも言われます。繊維を青苧(あおそ)と呼んでいます。
 からむしを原料とする上布の生産地では、越後(越後上布・小千谷縮布)や宮古(宮古上布)、石垣(八重山上布)などがあり、昭和村は本州における唯一、上布原料の産地となっています。

 植 付

 からむしは、雪がとけ5月中旬頃からむしの根を植えますが、 1年目は雑草を取り除く程度で、2年目以降にからむし焼をおこない、3年目から収穫ができるようになります。

 からむし焼き
 からむし焼きは、旧暦4月の中の日(5月21日の小満の日)を目安に行っています。これは、からむしの発芽がばらばらなので、先に出た芽を焼くとともに根に刺激を与えて一斉に発芽させるために行います。
 また、害虫の駆除や焼いた灰を肥料にする意味もあります。からむしの栽培が最も盛んだった大正以前には、村中で火がつけられ、夕空をこがして壮観だったようです。
 垣結い

 からむし焼き・施肥を終えた後、からむし畑の周囲に杭を立て、棒ガヤ(カヤ)で垣を作ります。 これは風で倒れたり、擦れ合うのを防ぐためと、獣の侵入を防ぐために行われます。 こうして囲われたからむしは静かに成長していきます。

 収 穫
 からむしの刈り取り時期は、7月20日前後からお盆までに行います。この時期に収穫すると、品質の良い繊維がとれるのです。
 刈り取りは1本ずつカマを使ってていねいに行います。茎から葉を落とし、尺棒と言われる定規で一定の長さに切り揃えます。 からむしの成長具合によって品質を分けて束ねられます。
 浸 水

 刈り取り選別したからむしは、皮を剥ぎやすくするため、数時間から一晩ほど清水に浸します。

 からむし剥ぎ
 清水に浸したからむしは、1本ずつていねいに、皮を2枚になるように剥ぎます。 剥いだ皮は1にぎりくらいに束ねて、また清水に浸します。
 清水に浸すのは、皮を乾燥させないためとからむしから出る青水(青汁)を流すためです。

 からむし引き

 苧引き具で剥いだ皮の外皮を除き、繊維を取り出します。取り出したばかりのからむしは真珠のような光沢(キラ)があります。
 取り出した繊維は、2日程度陰干しして乾かします。

 乾 燥
 屋内で干されたからむしは、昔の単位である100匁(約375g)にまとめます。出荷用の形に束ねられたからむしは、日にあてないよう保管します。

 苧績み(おうみ)

 からむし引きによって取り出された繊維を細かく裂き、糸をつないでいきます。1本1本指で裂いてつなぐので根気のいる作業となります。 帯1本分の苧積みには2ヶ月程かかります。

 撚りかけ
 おぼけ(苧桶)と呼ばれる丸ワッパにためられた糸を静かに取り出して湿らせ、糸車でよりをかけ、丈夫な糸に仕上げます。

 からむし織

 作った糸は、昔ながらの機織り作業(地機による手織り)により、立派な反物に仕上げられます。 糸がデリケートなため高度な技術を必要とします。 肌に付着しない夏衣として気持ちよく、一度着用すれば他の織物を着ることができなくなると言われています。
 現在では、着尺、帯、小物等がからむし織で生産されています。

*http://www.vill.showa.fukushima.jp/making.stm より

*https://kougeihin.jp/craft/0138/ より

 

 産地
 福島県 大沼郡昭和村

 歴史
 山間高冷地の昭和村では、江戸時代にはからむし栽培が始められ、途絶えることなく生産されています。習得に長期間を要する「からむし引き」と「手績み」を経て作られるからむしの糸は、非常に品質が高く、小千谷縮や越後上布の原料にもなっています。昭和村のからむしは、原料として出荷されているほか、村内においても織りの技術は、親から子へ、姑から嫁へと代々家々に受け継がれ、地機で織られた裃などがハレの着物として用いられてきました。

 特徴
 奥会津昭和からむし織の一番の特徴は、原材料である昭和村産のからむしの品質の高さです。からむしはイラクサ科カラムシ属の植物で、「苧麻(ちょま)」または「青苧(あおそ)」とも呼ばれ、茎の部分の靱皮繊維(外皮の内側の繊維)を利用します。水分の吸湿・速乾性に富み、天然繊維としては非常に強く、水に濡れると強さが増し、耐久性にも優れています。さらりとした感触が心地よく、夏の衣料を始め小物や装飾品など用途は多岐に渡ります。特に、夏衣としては、一度着用すれば他の織物を着ることができなくなると言われるほど上質な製品です。

*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/fukusima_05.htm より

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