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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-山田パンダ

2021-02-11 09:29:11 | MUSIC

 「山田パンダ」

 1945年5月13日生まれの75歳

 

 山田パンダの現在の活動。家族は?「風の街」の誕生秘話は?

 かぐや姫のメンバーとして、有名な一人山田パンダさんを掘り下げて行きます。

 プロフィール
 氏名 山田パンダ(本名 山田嗣人)
 生年月日 1945年5月13日
 出身地 佐賀県 神埼市
 カテゴリー フォークシンガー
 現在の活動。家族は?「風の街」の誕生秘話は?

 現在もミュージシャンとして活動しており、関東に住んでいると山田パンダさんの活動は感じる事は出来ませんが地方局でラジオのレギュラーを持っています。「山田パンダ素晴らしきフォーク世代」という番組で信州、静岡、大分で放送されています。

 ライブは、かぐや姫時代のメンバーを集めてのライブであったり、その当時は共演出来なかった人たちとライブで共演しているようです。当時見る事が出来なかったという人はこれを機会に見てみることをお薦めします。

 

 続いては家族について触れて行きます。妻は山田慧津子、一人息子の山田勝久さんがいます。

 また、息子さんと池田森さんと3人でPANDA//SONのユニットを結成し活動をしているようです。

 最後に『風の街』について書いていきます。1975年6月23日にリリース、同年に放送されたTBSのドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌に使われました。作詞は喜多条忠、作曲吉田拓郎、というゴールデンコンビが曲を書いてくれました。

 この曲が出来たきっかけは、表参道の喫茶店で吉田拓郎さんにドラマに出演する事を話した時に、『じゃあ、俺が書いてやる』という事でこの曲が出来上がり、結果としてヒットした上に山田パンダさん自身もドラマ出演を果たしています。

 コーラスに山下達郎が入っているなど、豪華なミュージシャンの協力を得て山田パンダさんのシングル曲の中でも一番売れている楽曲となっています。また、吉田拓郎さんと山田パンダさんは実は同じ歳しかし、山田パンダさんが若い頃に年齢を若くサバ読んでいたので還暦を迎えたときに、それを修正し実際は同い年という事が解り、吉田拓郎から弄られる事になってしまいました。若い頃は事務所の方針などで若い年齢ほど売れるなんてジンクスがありました。

 そのため、若いアイドルなど実際は22歳でも18歳としてデビューし、後から修正をしたなんて事は日常茶飯事でした。昔からアイドルや芸能人に対しては若いほど良いと言うロリータ思考があるようです。

 まとめ
 かぐや姫に在籍していたときは、ベースを弾いていましたがソロになってからはその他の楽器も弾いていたようですし、音楽プロデューサーとしても活躍していたようです。今もそのスタイルは変わりなく、フォークソングを歌い継いでいるようです。昔は地方のワイド番組でコメンテーターをしていた時期もありました。

 しかし、現在はボランティア活動にも精力的に参加し、音楽だけではなく色々な方面で活動をしているようです。今後も色々なメディアで発言をしていくところを見ていきたい物ですし、そうでないと年配者の意見が通りませんからね。

 そう言った存在が居た方が良いと言うことになります。今後の活動が楽しみではありますね。

*https://folk-song.net/2017/06/23/yamada-panda/ より 一部抜粋

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<日本酒> 茨城 副将軍/明利酒類

2021-02-11 09:23:53 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈茨城〉 副将軍/明利酒類

 

 当社は、加藤酒造工場を前身に茨城県及び栃木県の酒造家の資本参加を得て、昭和25年9月に誕生しました。現在では、醸造用アルコール・清酒・焼酎・発酵調味料等を製造する酒類総合メーカーとして、着実に成長し、皆様に大きなご信頼をいただいております。

 特に、当社が開発した「小川酵母」は日本醸造協会10号酵母として幅広く使用され、当社の技術力は全国の酒造家から高い評価を得ております。清酒「副将軍」は小川酵母の特性を生かした淡麗芳醇な酒に仕上がり、近年全国新酒鑑評会においても金賞を連続受賞する、当社がもっとも誇りとする代表的な製品であります。

 高品質の製品を継続かつ安定的に供給して行くことは、私ども企業の大きな使命であります。今後とも昔ながらの伝統的な人の力と、新しい技術を調和させ、多様化する顧客層やお取引先のニーズに十分応えられる製品をお届けしてまいりたいと考えております。そして積極的に地域社会に貢献することにより、皆様になお一層信頼される企業をめざしてまいります。


 明利の誇り「明利小川酵母」と「M310酵母」
 清酒は、大雑把に言うと、米を原料として、麹菌と酵母という微生物の働きによって造られます。
 蒸された米に水、麹、酵母を加えると、麹菌が米のデンプンを糖に変え、その糖を酵母が食べてアルコールと炭酸ガスを作ります(アルコール発酵)。
 発酵が進んだら、さらに蒸米、水を加えて、清酒のもとであるモロミを造ります。モロミの発酵が充分進んだら、これを搾ります。搾ったものが清酒で、残ったものが酒粕ということになります。酵母によるアルコール発酵は、同時にさまざまな微量成分を造り出し、これがあの馥郁とした清酒の香気を生み出すのです。
 美味しい酒を造るには、優れた醸造技術に加え、良い米、良い水、さらに優れた酵母が不可欠です。明利酒類が持っている明利小川酵母とM 310酵母は、爽やかな吟醸香を生み、また酸を作ることが少ないという、非常に優れた性質を持っています。ここでは、その二つの酵母についてお話しましょう。

 明利小川酵母(日本醸造協会登録10号酵母)
 当社の元副社長であった小川知可良博士が開発した酵母です。採集した良質の酵母菌のみを分離して、そのなかから選び抜いた優良種をさらに選抜して純粋培養したものです。
 優れた香気(カプロン酸エチル)を造りだし、酸を造ることが少なく、低温でよく働くため、吟醸などの高級酒に向いている酵母として高く評価され、現在も全国で広く使われています。
 小川知可良博士は、著名な日本画家として知られる小川芋銭の三男として1909年茨城県牛久に生まれ、旧制龍ヶ崎中学、旧制水戸高校、東京大学を経て、大蔵省国税局に入り、のちに仙台国税局鑑定官室長を務めました。
 この間、東北地方各地の酒蔵に足を運んで、酒造技術の指導を熱心に行い、多くの優れた杜氏を育成しました。1979年5月に亡くなりましたが、今でも酒造りに携わる人々から慕われ続けています。

 M310酵母
 当社は、1992年に明利小川酵母を変異させた株を純粋培養し、新たな酵母開発の研究に着手しました。
 この結果、香気成分であるカプロン酸エチルを親株よりも多く生成する新酵母の開発に成功し、これによる試験醸造を開始しました。その結果は満足すべきもので、関係各方面から高い評価を得たのです。
 M310酵母と名付けられたこの酵母は、1995年から全国の酒蔵へ向けて販売が開始され、大吟醸など高級酒向けの優れた酵母として、全国の酒蔵で広く使用されています。

 梅酒と酒の資料館 別春館
 水戸黄門様は冬の寒い夜には、皆でお酒をよく召し上がり「誠に温かなること春色のごとし、この寒さも消えてしまうので、盃のなかには別に春が置かれている」として、飲酒のことを別春会と申しておりました。この度、副将軍醸造元である当社の資料館をオープンするにあたり「別春館」と名付けました。伝統ある酒造りや、梅の都水戸にゆかりある梅酒の資料を展示しております。皆様のご来館を心よりお待ち致しております。

 明利酒類株式会社 茨城県水戸市元吉田町338番地

 ブランド一覧

 「副将軍」大吟醸・ピュア茨城 特別純米酒 ひやおろし

 「葵伝説」しぼりたて原酒 21%

 「大丈夫(だいじょうふ)」純米吟醸 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 48. 奥飛騨山之村寒干し大根

2021-02-11 09:14:20 | 食品

 登録番号 第48号 奥飛騨山之村寒干し大根

 特定農林水産物等の区分 第17類 野菜加工品類 干しだいこん

 特定農林水産物等の生産地 岐阜県飛騨市神岡町山之村地区(岐阜県飛騨市神岡町伊西・森茂・岩井谷・下之本・瀬戸・和佐府・打保地区の総称)

 登録生産者団体 すずしろグループ

 特定農林水産物等の特性 山之村地区で、冬場の保存食として伝統的に作られてきた輪切りで厚みのある寒干し大根。アメ色で煮物などにすると独特の甘みとコリッとした歯応えのある食感。

 地域との結び付き 山之村地区は標高約1000mにある豪雪地帯で、厳冬期にはマイナス20℃以下になることもあり、1ヶ月以上寒風干しを行う「奥飛騨山之村寒干し大根」作りに最適。冬場は2mに及ぶ積雪に覆われ、寒風干し中に土埃などの付着を防ぎ、高品質な寒干し大根の生産ができる。手作業を中心とした伝統的な製法が引き継がれている。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i48.html より

 

 「奥飛騨山之村寒干し大根」は、他の地域と隔絶された標高1,000mの山之村地区で冬場の貴重な保存食として昔から作られてきました。
 輪切りにし茹でた大根を、厳冬期にはマイナス20℃になる生産地において寒風干しにします。夜間は凍み付き、昼間は陽の光で溶け風乾することを繰り返して、「奥飛騨山之村寒干し大根」は、アメ色の外観と凝縮された大根本来の甘み、コリッとした歯応えのある食感が特徴の寒干し大根になります。輪切りで厚みのある大根を干すことにより、歯応えのある食感の要因となっています。

 生産地において、原料となる大根の栽培から寒干し大根の製造までの行程が一貫して行われます。
 生産者は、青首系の品種の大根を生産した後に、鮮度を保つため土中や室に大根を保存し、最低気温が氷点下となる厳冬期の到来を待ちます。
 12月下旬から1月ごろに、保存中の大根を1本ずつ丁寧に水洗いし、厚さ1.5~2cm程度の輪切りにして大鍋で茹でます。
 その後、生産者は大根を串で刺して、約30日間、屋外で天然乾燥させます。さらに屋内での乾燥と品質の確認を経て、「奥飛騨山之村寒干し大根」が出荷されます。

 「奥飛騨山之村寒干し大根」作りの必須条件は氷点下になる屋外で寒風干し作業を行うことです。山之村は標高約1,000mにある豪雪地帯で、厳冬期にはマイナス20℃以下になることもあり、その厳しい寒さは、1ヶ月以上の寒風干しを伴う「奥飛騨山之村寒干し大根」の生産に適しています。また、冬の山之村は約2mの高さの雪に覆われますが、これにより、外に干されている大根への土埃の付着を防ぐことができるなど、高品質な寒干し大根の生産に適した気象条件が揃っています。
 生産者たちは、山之村の冬の厳しさを逆手にとり、古くから、寒干し大根を地域の保存食として作ってきました。長い歴史のなかで培われてきた伝統的な製法が、今も生産地のなかで受け継がれています。
 山之村では、主に自家消費用として、寒干し大根が作られてきました。しかし、生産者団体である「すずしろグループ」が生産方法を統一した上で、1986年に「奥飛騨山之村寒干し大根」の名称で寒干し大根の販売を開始しました。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/48.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 38.回答 39.出題

2021-02-11 09:08:47 | 漢字検定

 前回の回答

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 景星鳳凰- けいせいほうおう-聖人や賢人が世に現れる兆しのこと。 

 


 問2 香美脆味- こうびぜいみ-極めて贅沢な食事のこと。「香美」は香辛料のきいた、よい香りのする料理。「脆味」は柔らかい菓子。 

 


 問3 蠅頭細書-ようとうさいしょ-非常に細かい文字のこと。「蠅頭」は蠅の頭のことから、小さいもののたとえ。「細書」は細かく書くことや細かい文字。  

 


 問4 孟仲叔季- もうちゅうしゅくき-兄弟の順序をいう語。長子・次子・三子・四子のこと。▽三人の場合は「孟仲季」という。 

 


 問5 高鳳漂麦-こうほうひょうばく-心を込めて学問に取り組むこと。「高鳳」は中国の後漢の人の名前。高鳳は妻に干した麦の番をするように頼まれたが、読書に夢中になり、雨が降って麦が流されたことに気がつかなかったという故事から。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 九品蓮台  

 

 問2 鱗次櫛比  

 

 問3 国君含垢  

 

 問4 梓匠輪輿  

 

 問5 竹頭木屑

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 茨城・栃木 結城紬 

2021-02-11 08:59:05 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「結城紬」

 特徴

 日本の絹織物の原点、最高峰の布
 本場結城紬の一番の特徴は、真綿から手でつむぎだす糸にあります。
 真綿は、蚕の繭を煮て柔らかくして広げたもので、やわらかく、空気をたくさん含むために温かく、とても心地良く優しい素材です。この真綿から人の手で糸をつむぎ出すことで、素材の良さを損なわない、最上質の糸ができあがります。

 日本全国に数ある紬の中でも、縦糸・横糸の両方に手つむぎ糸を使うのは本場結城紬だけです。これが、本場結城紬が最高峰の絹織物とされる由縁です。そしてその本質的な上質さは、古来より多くの人々を魅了してきました。

 時代を超え愛されてきた品質

 奈良時代から献上品として上納されてきた結城紬が市場で人気を博すのは江戸時代以降。当時の百科事典『和漢三才図会』には、最上級の紬として紹介されています。

 結城紬は、美意識の高い作家や女優に好まれるきものでした。横光利一や俳人の河東碧梧桐が着ていた記録が残っており、幸田文や白洲正子も作品の中に結城紬を登場させています。有吉佐和子や須賀敦子は、結城紬を好んで着ていたそうですし、新派の役者・花柳章太郎は箪笥何竿分もの結城を所有していたと言われます。弊社資料館には、高峰秀子直筆の「結城紬とわたし」という手紙が残っており、結城紬を愛したとされる著名人は枚挙にいとまがありません。皇后陛下が即位二十周年式典にてお召になられたのも結城紬でした。

 洗うほどに色を増す、時間が育む美しさ

 奥澤家 初代から着継がれている着物
 結城紬の美意識は素材(自然)に働きかけ、その良さを最大限に引き出すことにあります。
 木工、金工、いずれも手仕事により素材の力が引き出されたものには、時間の経過とともに美しくなる経年変化が見られます。
 結城紬は真綿糸を扱うために小麦粉による糊付けを行うのですが、この糊が湯通し・洗い張りによって落ち、着込むことで真綿のケバがとれる、その繰り返しのなかで、布は絹本来の光沢をみせていきます。
 そこにはハっと息を飲む、時間によって育まれた美しさがあります。


 ぬくもりを伝え、人と人を結ぶ布
 良い風合いの結城を着ている方にお聞きすると、お母様、お祖母様から譲られたという方がよくいらっしゃいます。全身を包み込む布は、着ていた人の思い出とともに温もりも後世に伝えます。素材の力が生きている上質な布は、時代の変化の中でも古びないため、世代を超えて人と人を結ぶ力があるのです。気候風土、歴史、日本の文化・・・様々な背景を持つ重みのある布。こうした布とともにある暮らしは、本質的な意味で豊かなものではないでしょうか。
*http://www.okujun.co.jp/characteristic/ より

*https://kougeihin.jp/craft/0104/ より

 


 《特徴》
 茨城県と栃木県にまたがる鬼怒川沿いおよそ20kmの地域では、長幡部にはじまる日本最古の織物の技法を現在も守り伝えています。

 産地として、茨城県では結城市を中心に筑西市、下妻市、八千代町、栃木県では小山市を中心に下野市、二宮町の広範囲に散在し、今でも大部分が農家の副業として織られています。
 両県で50%ずつを占め、年間約2,000反が生産されています。

 [ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
 提供 : 本場結城紬卸商協同組合 様
 都道府県 : 茨城県/栃木県

 素材 生糸
 製法・工法 【1】 絣くくり
 絣の柄となる部分に染料が染み込まないよう、絣糸を綿糸でしばります。
 一幅にしばる箇所は80亀甲で160、200亀甲だと400箇所もしばります。
 1人の手で同じ力でくくらないと仕上がりがムラになってしまいます。
 一般に100亀甲細工だと絣くくりだけで3ヶ月以上、精巧な絣になると限りがありません。

 【2】 機織り
 地機(じばた)という最も原始的な機織り機で織り上げます。
 1500年もの間変わることなく伝承されています。
 たて糸を腰当に結び付け、腰の力で張り具合を調節するので、手つむぎ糸の弾力あるやわらかさを生かし、糸に無理な張力をかけません。
 よこ糸は筬(おさ)で打ち込んだ後、大きな杼(ひ)でさらに打ち込みます。こうして結城紬独特の風合いが作られていきます。

 【3】 糸つむぎ
 「つくし」という道具に真綿を巻き付け、手でつむいで「おぼけ」と呼ばれる桶に糸を入れていきます。
 たて糸よこ糸等、用途に応じた細さで、かつムラなくつむがねばなりません
 通常、糸は強い撚りをかけることで強度を増していますが、結城紬の糸は世界に類を見ない無撚糸です。
 この技術の修得には数年の修行が必要です。

 【4】 直接染色
 淡い地色に濃い絣を表現する際に直接染色という技法を用います。
 薄いヘラに糸を巻き付けたものに染料を含ませ、一つ一つの絣になる部分に直接染色します。
 やり直しのできない、集中力と熟練が必要とされる高度な技術です。

 【5】 高機織り
 無地、縞や縮み織りの一部には高機で製織されている製品があります。
 原料糸は地機織りと同じ手つむぎ糸を100%使用していますが高機は地機と違い、足踏み式でたて糸の上げ下げを行います。
 撚糸作業縮み織りに使用するヨコ糸に撚りをかけるには「八丁撚糸機」という道具を用います。
 糸が切れないように水で濡らしながらの作業です。
 下撚りをかけた後、もう一度本撚りをかけ、糸1m間に1500~1800回程度の撚りをかけます。
 織り上がってから、湯に通すと撚りのかかったヨコ糸が約1割ほど縮み、結城縮独特の風合いが生まれます。
 

 歴史

 遠く古代、崇神天皇の御代、三野(美濃)の国から多屋命(おおねのみこと)という人が茨城県の久慈郡に移り住み、そこで織物を始めました。
 その織物は長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれ、結城地方に伝わり、結城紬となりました。

 「絁(あしぎぬ)」というのは太い生糸で織った絹粗布のことで、これが結城紬の原型だと言われています。
 鬼怒川の清流をたたえる結城地方は古代から農耕で開けていました。
 桑の生育に適したこともあり、養蚕が盛んでその副産物として絁が織られるようになったのです。

 絁は常陸国の特産品として時代につれて様々に名を変えながら伝えられていきました。
 結城氏が北関東で勢力を伸ばしていた室町時代には「常陸紬」と言われ、室町幕府並びに鎌倉管領に献上され、全国的に著名な物産とな  っていました。
 江戸時代にこの地を治めた幕府の代官・伊奈備前守忠次は、結城紬の振興、改良に努め、「結城縞紬」の名が広く全国に知られるようになりました。
 その名声は、当時の百科事典と言われる『和漢三才図絵』に、最上品の紬として紹介されているほどです。

*http://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=38&p=8&c=16 より

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一昨日の藤井二冠-2/9

2021-02-11 07:35:09 | 将棋

 2021/02/09(火)
 第79期 順位戦B級2組 10回戦

 VS   窪田義行七段

 100手で勝利!

 これで昇級を決めた。

 B級2組 昇級3名のうち、藤井二冠と佐々木勇気七段が2期連続アベック昇級。

 あと1名は大混戦となっており、残り1戦で3敗が6名。さて誰が昇級する?

 

 

 次戦は今日-2/11。

 第14回 朝日杯本戦トーナメント 準決勝(持ち時間:40分)

 VS 渡辺明名人

 勝てば「決勝」も今日。

 三浦九段or西田四段が対戦相手に。

 

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