「結城紬」
特徴
日本の絹織物の原点、最高峰の布
本場結城紬の一番の特徴は、真綿から手でつむぎだす糸にあります。
真綿は、蚕の繭を煮て柔らかくして広げたもので、やわらかく、空気をたくさん含むために温かく、とても心地良く優しい素材です。この真綿から人の手で糸をつむぎ出すことで、素材の良さを損なわない、最上質の糸ができあがります。
日本全国に数ある紬の中でも、縦糸・横糸の両方に手つむぎ糸を使うのは本場結城紬だけです。これが、本場結城紬が最高峰の絹織物とされる由縁です。そしてその本質的な上質さは、古来より多くの人々を魅了してきました。
時代を超え愛されてきた品質
奈良時代から献上品として上納されてきた結城紬が市場で人気を博すのは江戸時代以降。当時の百科事典『和漢三才図会』には、最上級の紬として紹介されています。
結城紬は、美意識の高い作家や女優に好まれるきものでした。横光利一や俳人の河東碧梧桐が着ていた記録が残っており、幸田文や白洲正子も作品の中に結城紬を登場させています。有吉佐和子や須賀敦子は、結城紬を好んで着ていたそうですし、新派の役者・花柳章太郎は箪笥何竿分もの結城を所有していたと言われます。弊社資料館には、高峰秀子直筆の「結城紬とわたし」という手紙が残っており、結城紬を愛したとされる著名人は枚挙にいとまがありません。皇后陛下が即位二十周年式典にてお召になられたのも結城紬でした。
洗うほどに色を増す、時間が育む美しさ
奥澤家 初代から着継がれている着物
結城紬の美意識は素材(自然)に働きかけ、その良さを最大限に引き出すことにあります。
木工、金工、いずれも手仕事により素材の力が引き出されたものには、時間の経過とともに美しくなる経年変化が見られます。
結城紬は真綿糸を扱うために小麦粉による糊付けを行うのですが、この糊が湯通し・洗い張りによって落ち、着込むことで真綿のケバがとれる、その繰り返しのなかで、布は絹本来の光沢をみせていきます。
そこにはハっと息を飲む、時間によって育まれた美しさがあります。
ぬくもりを伝え、人と人を結ぶ布
良い風合いの結城を着ている方にお聞きすると、お母様、お祖母様から譲られたという方がよくいらっしゃいます。全身を包み込む布は、着ていた人の思い出とともに温もりも後世に伝えます。素材の力が生きている上質な布は、時代の変化の中でも古びないため、世代を超えて人と人を結ぶ力があるのです。気候風土、歴史、日本の文化・・・様々な背景を持つ重みのある布。こうした布とともにある暮らしは、本質的な意味で豊かなものではないでしょうか。
*http://www.okujun.co.jp/characteristic/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0104/ より
《特徴》
茨城県と栃木県にまたがる鬼怒川沿いおよそ20kmの地域では、長幡部にはじまる日本最古の織物の技法を現在も守り伝えています。
産地として、茨城県では結城市を中心に筑西市、下妻市、八千代町、栃木県では小山市を中心に下野市、二宮町の広範囲に散在し、今でも大部分が農家の副業として織られています。
両県で50%ずつを占め、年間約2,000反が生産されています。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 本場結城紬卸商協同組合 様
都道府県 : 茨城県/栃木県
素材 生糸
製法・工法 【1】 絣くくり
絣の柄となる部分に染料が染み込まないよう、絣糸を綿糸でしばります。
一幅にしばる箇所は80亀甲で160、200亀甲だと400箇所もしばります。
1人の手で同じ力でくくらないと仕上がりがムラになってしまいます。
一般に100亀甲細工だと絣くくりだけで3ヶ月以上、精巧な絣になると限りがありません。
【2】 機織り
地機(じばた)という最も原始的な機織り機で織り上げます。
1500年もの間変わることなく伝承されています。
たて糸を腰当に結び付け、腰の力で張り具合を調節するので、手つむぎ糸の弾力あるやわらかさを生かし、糸に無理な張力をかけません。
よこ糸は筬(おさ)で打ち込んだ後、大きな杼(ひ)でさらに打ち込みます。こうして結城紬独特の風合いが作られていきます。
【3】 糸つむぎ
「つくし」という道具に真綿を巻き付け、手でつむいで「おぼけ」と呼ばれる桶に糸を入れていきます。
たて糸よこ糸等、用途に応じた細さで、かつムラなくつむがねばなりません
通常、糸は強い撚りをかけることで強度を増していますが、結城紬の糸は世界に類を見ない無撚糸です。
この技術の修得には数年の修行が必要です。
【4】 直接染色
淡い地色に濃い絣を表現する際に直接染色という技法を用います。
薄いヘラに糸を巻き付けたものに染料を含ませ、一つ一つの絣になる部分に直接染色します。
やり直しのできない、集中力と熟練が必要とされる高度な技術です。
【5】 高機織り
無地、縞や縮み織りの一部には高機で製織されている製品があります。
原料糸は地機織りと同じ手つむぎ糸を100%使用していますが高機は地機と違い、足踏み式でたて糸の上げ下げを行います。
撚糸作業縮み織りに使用するヨコ糸に撚りをかけるには「八丁撚糸機」という道具を用います。
糸が切れないように水で濡らしながらの作業です。
下撚りをかけた後、もう一度本撚りをかけ、糸1m間に1500~1800回程度の撚りをかけます。
織り上がってから、湯に通すと撚りのかかったヨコ糸が約1割ほど縮み、結城縮独特の風合いが生まれます。
歴史
遠く古代、崇神天皇の御代、三野(美濃)の国から多屋命(おおねのみこと)という人が茨城県の久慈郡に移り住み、そこで織物を始めました。
その織物は長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれ、結城地方に伝わり、結城紬となりました。
「絁(あしぎぬ)」というのは太い生糸で織った絹粗布のことで、これが結城紬の原型だと言われています。
鬼怒川の清流をたたえる結城地方は古代から農耕で開けていました。
桑の生育に適したこともあり、養蚕が盛んでその副産物として絁が織られるようになったのです。
絁は常陸国の特産品として時代につれて様々に名を変えながら伝えられていきました。
結城氏が北関東で勢力を伸ばしていた室町時代には「常陸紬」と言われ、室町幕府並びに鎌倉管領に献上され、全国的に著名な物産とな っていました。
江戸時代にこの地を治めた幕府の代官・伊奈備前守忠次は、結城紬の振興、改良に努め、「結城縞紬」の名が広く全国に知られるようになりました。
その名声は、当時の百科事典と言われる『和漢三才図絵』に、最上品の紬として紹介されているほどです。
*http://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=38&p=8&c=16 より