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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ロン・ウッド

2021-02-26 07:26:50 | MUSIC

 「ロン・ウッド」

 1947年6月1日生まれの73歳

 

 Ron Wood(ロン・ウッド)|ローリング・ストーンズで一番陽気な男のちょっとシリアスな物語、ドキュメンタリー映画が作品化|国内盤Bru-ray/DVDオンライン限定10%オフ 掲載: 2020年08月24日 12:31

 Ron Wood(ロン・ウッド)

 昨年から話題に上っており、日本での公開はどういう形で実現するのか?と期待を集めていたロン・ウッド(以下ロニー)初のドキュメント映画『ロニー・ウッド・ストーリー~運命に愛された男~』が日本でBD/DVDの形でリリースされることが決定した。従来からあるロニーの陽気かつ賑やかで、時にふざけたりするものの誰からも愛される……といったキャラクターの背後にある、今まであまり知られていなかったシリアスな内面にも触れることができる意外さがあり、それ故に彼とその作品をより深く愛したくなるファン必見のドキュメントに仕上がっていた。

 監督は、マーティン・スコセッシの「ブルース・ムーヴィ・プロジェクト」中の一本であり、第二次大戦後の英国の白人にブルースがどう受け入れられていったかをテーマにした映画『レッド・ホワイト&ブルース』(2003年)も手がけていた英国人のマイク・フィギス。’95年のオスカー受賞作『リービング・ラスベガス』(主演はニコラス・ケイジ)の監督としても知られている人物だ。

 監督は冒頭、自らロニーとの対話を始めるに当たり、裏にいくつかのテーマとなる言葉が書かれたカードを選ばせる。そこで2番目にロニーが選んだカードは「Disaster(大惨事)」。そこで笑えるようなズッコケ・エピソードでも語ってくれるかと思ったら、彼が語り始めたのは、最初のバンド、バーズを始めた頃に不慮の事故で失うことになってしまった恋人ステファニーとのあまりにも悲しいエピソード。映画はそんな話も交えながら、彼の人生を辿っていく。当然、ジェフ・ベック・グルーブ~フェイセズ~ローリング・ストーンズというバンドをわたり歩いた輝かしい音楽キャリアが中心となるのだが、後半では癌、ドラッグやアルコール中毒からの「生還」というシリアスな話にも続いていく。

 ゲスト・コメンテイターは、昨年リリースしたチャック・ベリーのカヴァー・アルバム用のバンドで共演している歌手イメルダ・メイ、ロニーのリハビリも助けた芸術家のダミアン・ハースト、ロッド・スチュアート、ピーター・グラント、マルコム・マクラーレン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツに、現在の妻のサリー・ウッド。ロニーの幅広い交流関係からすると、エリック・クラプトンやボブ・ディランも出てきてほしかったと贅沢なことをつい考えてしまいそうになるが、話の内容も含めて、このラインナップでも十分に濃い。

 中でも最も注目を集めそうなのは、レッド・ツェッペリンのマネージャーとして知られた故ピーター・グラントと、セックス・ピストルズのマネージャーでもあった故マルコム・マクラーレンとの貴重な対話シーン。ジェフ・ベック・グループ時代のツアー・マネージャーでありながら同時期にニュー・ヤードバーズ~レッド・ツェッペリンの結成を画策していたグラントのここでの発言を巧みに使い、そこにロニーやロッド・スチュアートの発言も重ね、’69年のウッドストック・フェス直前を前にして瓦解してしまった第1期ジェフ・ベック・グループのゴタゴタを立体的に皆に語らせてみせるシーンは、驚きにあふれている。

 このマクラーレンとグラントの対話シーンは今回のドキュメントの監督マイク・フィギスも絡み、マルコム・マクラーレンの企画で製作が進められながら、グラントの遺族の反対もあって棚上げになってしまったピーター・グラントとレッド・ツェッペリンの幻のドキュメンタリー映画からの抜粋されたものだという。そして、その苦境からスモール・フェイセズ加入~フェイセズへの改名の経緯は盟友ロッドが語ってくれる。

 さて、最初に述べたような底流に流れている彼の死生観を背景にして考えることで、このドキュメント映画の中でロニー本人が語っている「私はずっと運命の手の中にいたし、適切な時に適切な場所にいた」と、謙虚にその幸運に感謝する彼の気持ちをより深く理解できるようになる実感がある。その幸運はただ次々と降ってきたのではなく、いつも彼の人生におけるギリギリの局面でやってきたものだったのだ。それを感じ取ることで、1956年の映画(邦題は『傷だらけの栄光』)を踏まえて語られたロニーの語りから取られたタイトル(同映画の中のセリフでは「オレはついてる」とも訳されているとか)に込められた意味も深く理解できるようになるだろう。

 ストーンズの映画『オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』のブラジルでのイヴァルト・クラナドとの交流のシーンでのロン・ウッド本人のシリアスな独白を観てハッとさせられたファンにはその豪華続編として観てもらってもいい。音楽的にも、ロニーのギター弾き語りシーンがふんだんに盛り込まれていたり、そのライフ・ストーリーに関する語りをスリリングに盛り上げるためにロニー自身によるオリジナルのインストゥルメンタルが使われていたりもする、という注目点もある。先のイメルダ・メイ、ピアノにベン・ウォーターズを擁しチャック・ベリー・カヴァー・ライヴの映像と彼のアトリエを含むコテージの紹介映像がボーナス収録。最後に歌われる彼のセカンド・ソロ・アルバムからの名曲「ブリーズ・オン・ミー」は涙なしに聴けない!

*https://tower.jp/article/feature_item/2020/08/24/0104 より

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<日本酒> 栃木 北冠/北関酒造

2021-02-26 07:23:23 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈栃木〉 北冠/北関酒造

 

 ご挨拶
 関東の北部に位置する栃木市は、江戸時代に江戸との舟運により商都として栄え、現在の基礎を築きました。今も川沿いには土蔵造りの蔵、街には店蔵が並び‘小江戸’と称される風情が色濃く残されています。そのような歴史と文化を育んできた栃木市で北関酒造は日本酒を造っています。
 当社では、日本酒の技術と伝統を継承し、一方においては安定した酒造りを念頭に置き、品質向上とその維持に努めております。
 美味しく満足していただけるお酒を皆様にお届けしたい‘心’と、蔵人たちの‘技’、そして日本のお米や日光山系からの伏流水などの‘自然の恵み’を三位一体とさせてこれからも酒造りに励んで参ります。

 北関酒造株式会社 代表取締役社長 小田垣 俊郎

 

 【北冠】の由来
 その昔、征夷大将軍 坂上田村麿が東征の途中に立寄り(現在の栃木市田村町)、戦勝祈願のため愛用の冠を当地に埋めたという古事のいわれに因み、【北冠】の名称が生まれました。

 北関酒造株式会社 栃木市田村町480番地

 ブランド一覧

 「北冠」 大吟醸・錦のしずく 大吟醸【無濾過・原酒】・大吟醸(原酒) など

 「蔵の街」大吟醸・純米吟醸

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 63.  南郷トマト

2021-02-26 07:11:51 | 食品

 登録番号 第63号 南郷トマト
 
 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 トマト
 
 特定農林水産物等の生産地 福島県南会津郡南会津町、只見町、下郷町
 
 登録生産者団体 南郷トマト生産組合
 
 特定農林水産物等の特性 食味等の品質が良好で安定している夏秋トマト。京浜地区の青果市場で夏秋トマトの取扱量の上位を占める福島県産の中でも平均価格が1割程度高い。高品質トマトの生産等が高い評価。

 地域との結び付き 生産地は、昼夜の気温差が大きく、涼しいといった夏秋トマトの栽培に好適な自然条件。雨除け栽培や共同選果体制の確立、雪室予冷庫の整備など生産地の長年にわたる組織的取組が、トマトの食味などの品質の安定・向上につながっている。40年以上にわたり年間2千tを超える生産を継続。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i63.html より

 

 「南郷トマト」は、夏から秋に生産されるトマト(夏秋トマト)で、50年を超える栽培の歴史があります。
 「南郷トマト」は、食味などの品質が良好で安定していることが特徴であり、昭和50年代後半(1980年代)には、京浜地区の青果市場において品質等に対しての評価を獲得しており、夏秋トマトの取扱量の上位を占める福島県産の中でも平均価格が1割程度高く取引されています。

 「南郷トマト」は、食味や生産地での栽培の適合性を踏まえ、生産者団体が定めた品種を用います。
 気象条件により前後する場合もありますが、概ね5月から6月の間に生産地の圃場に苗(接ぎ木したものも含む)を定植し、栽培は雨除け用のハウスを設けて行います。
 なお、生傷があり果汁の出たものや軟化が顕著なもの、それらに準ずる品質の低下が確認された果実は出荷しないことしています。

 「南郷トマト」の栽培地は、標高が概ね350m以上の山間地、豪雪地帯として知られている地域です。平地に比べ涼しく、昼夜の気温差も大きいなど、トマトの果実が良好に発育する生産適地となっています。

 1962年、旧南郷村の有志14名がトマト研究会を立ち上げ、50アールの水田転作地で稲作の代替としてトマトの試作を行ったのが「南郷トマト」の始まりです。以来、雨除け栽培方法の導入や共同選果体制の確立、雪室予冷庫の整備など、長年にわたる組織的な取組によってトマトの食味などの品質の安定・向上が図られてきました。
 2018年4月現在、生産者は124戸、栽培面積は35haを有し、40年以上にわたり年間2,000トンを超える生産を継続しています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/63.html より

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<漢字検定> 1級 読み 1.回答 2.出題

2021-02-26 06:56:41 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 瑰麗-かいれい-すぐれて美しいさま。あまり例がないほど、きれいなさま。  

 


 問2 烏鵲- うじゃく-カササギの別名。 

 


 問3 解傭-かいよう-雇い主が使用人に暇を出すこと。解雇。  

 


 問4 安佚-安逸-あんいつ-気楽に過ごすこと。何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと。また、そのさま。  

 


 問5 胡乱-うろん-
 1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。

 2 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。

 3 乱雑であること。また、そのさま。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 邏卒  

 

 問2 闃然  

 

 問3 間隙  

 

 問4 千仞  

 

 問5 蒐集

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 多摩織

2021-02-26 06:48:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「多摩織」

 多摩織の概要
 1.多摩織とは

 多摩織は、八王子市及びあきるの市の一部の地域で、伝統の技を駆使して作られる絹織物であり、その織り方によって、御召(おめし)、風通(ふうつう)、紬(つむぎ)、綟り(もじり)、変り綴(かわりつづれ)の5品種に分けられます。

 2.多摩織の特徴

 多摩織は、伝統的に渋い風合いのものが多く、軽くてシワになりにくいという特徴から、日常使いに向いた織物として古くから人々に愛されてきました。


 多摩織の材料
 1.生糸、玉糸

 2.真綿のつむぎ糸


 多摩織の歴史
 1.はじまり

 八王子市高月町には、天然記念物に指定されている樹齢400年の桑の木があります。この地域には昔から桑が多く自生しており、古くから養蚕と織物が盛んに行われてきました。八王子は桑の都と呼ばれ、この地域では様々な種類の織物が織られ続けてきました。
 また、この地域には、多摩川の支流である秋川や浅川が流れており、織物の生産に欠かせない豊富な水が確保されていました。

 2.発展

 江戸時代には、毎月4の日と8の日に定期的に絹市が立ち、地元だけではなく周辺地域からも生糸や繭、絹織物などが集まりました。
 江戸時代中期には、江戸の繁栄に伴って人や物の流通が増大し、八王子は、きもの地の一大産地として飛躍的な発展を遂げることになります。

 3.明治から昭和にかけて

 明治時代に入るとジャガード織や力織機を導入するなどの近代化が図られ、八王子織物は現代産業として一気に開花しました。その一方で、数百年の歴史を伝える織物の技法もしっかりと守り続けました。
 戦中戦後の混乱期を経て、壊滅状態から再出発をした八王子織物は、組合の統廃合や染色講習所(現東京都立八王子工業高校)の設立などによって地場産業としての地位を固め、昭和33年の「八王子織物工業組合」設立を経て今日に至っています。
 4.国の伝統的工芸品に指定

 1980年、多摩織は経済産業大臣より伝統的工芸品に指定されました。


 多摩織の5品種
 1.御召(おめし)

 御召とは、御召縮緬(おめしちりめん)の略称で、元々は柳条縮緬(りゅうじょうちりめん)と呼ばれていましたが、徳川家第十一代将軍の徳川家斉が好んで御召になったことから御召と呼ばれるようになりました。
 先染めの糸を用いた平織りの織物で、縮緬の白生地があと練で後染めなのに対して、御召は、糸の状態で精錬し、染めてから織った、先練の先染め織物です。

 2.風通(ふうつう)

 風通とは、異なる色の糸を用いて,二重組織の平織りとし,表と裏に同じ文様が異なる色で表れるように織ったものを言います。

 3.紬(つむぎ)

 紬は、くず繭から作られた真綿を手紡ぎにした糸で織られる丈夫な織物であり、糸づくり、糸染め、柄行(がらゆき)ともに素朴で、手のぬくもりを感じさせる肌合いが特徴です。

 4.綟り(もじり)

 縦糸をねじることで透かし模様を作る織り方です。 目が粗く通気性が良いため、夏用シャツや夏用タオルケットに使用されることが多いです。

 5.変り綴(かわりつづれ)

 綴織(つづれおり)とも呼ばれ、多色の緯糸を使い、複雑な模様を織り出すことができるのが特徴です。

*https://www.japan-kogei.com/tamaori-about.html より

*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より

 着るほどに風合いが増す、本物の技術で織られた多摩織
 多摩川に晒す手づくりさらさらと――古くは万葉の東歌にも詠まれたほど、八王子は布や織物と縁の深い地である。奈良時代の古文書にも生糸や絹織物の産地として記され、安土桃山の時代には市に紬座が設けられていたという。歴史の香漂う八王子に、古の技を今に伝える職人を訪ねた。

  くわのみやこに青あらしふく
 そこは、不思議な空間だった。100年以上前、明治中期に建てられた工房兼住まいは路地の奥にゆかしいたたずまいを見せ、中庭には染め上がった練り糸が干されている。どこからともなく、とんとんからからと機(はた)の音。一瞬、民話の世界に迷い込んだかのような錯覚すら覚える。その「とんとんからから」を子守り歌がわりに育った、という澤井榮一郎さん。祖父の代から、この地で染めと織りを営んでいる。
 かつて桑の都と称された八王子。900年の昔、諸国行脚(あんぎゃ)に出た西行法師がこの地に立ち寄った際、「あさ川をわたれば富士のかげ清くくわのみやこに青あらしふく」と詠んでいる。今、住宅団地が密集し大学が立ち並ぶ丘陵地帯も昔日は一面の桑畑、青々とした葉が風にたなびいていたのだろうか。

 澤井榮一郎さんの自宅兼工房。100年を経ているという日本家屋は、どっしりと揺るぎない

 中庭では、染め工程半ばの糸が風に揺れていた

 立ち居振舞いをしても、しわにならない着物
 多摩織の5品種、お召(めし)・紬(つむぎ)・風通(ふうつう)・変り・綟り(もじり)のうち、お召織は全国の伝統芸能に従事する人たちの需要が高い。糸に特殊な強い撚りが入っているため、その反物で仕上げられた着物はしわにならず滑らか、所作がしやすいのだ。とくに能や歌舞伎の仕舞い、踊りなどに使われることが多い、と澤井さんはいう。
 「伝統的な工芸品の底に流れているものは、みな同じでしょう。本物の原材料を使って本物の仕事をすること。ごまかしたらおしまい、必ずボロが出るからね」
 綟り織は、別名粋紗ともいう。一流の芸妓さんが新橋などのお座敷に出るとき、この粋紗の着物を愛用する。じめじめ蒸し暑い季節、肌触りがさっぱりしているからと麻の着物を選ぶと、動いているうちどうしてもしわが出てしまう。それは、すこぶる無粋なこと。立ち居振舞いをしてもしわにならない、それが多摩織の一つの大きな特長だ。

 織物は、経糸と緯糸を一定の規則にしたがって交錯させたもの。澤井さんが手にしているのは杼(ひ)、織るときに緯糸を通すために使う道具だ

 手をかければかけるほど、絹は応えてくれる
 「小僧時分は随分鍛えられたよ」。澤井さんは修行時代を振り返って語る。
 「銀座や柳橋の呉服商へ、問屋の人とよく一緒に行ったもんだ。呉服屋にはおっかない番頭さんがいてねえ。ちょっとでもできの悪いものなんか持っていった日には、反物を放り投げて怒鳴る。だけど、極上のものを持っていくと、料亭でご馳走してくれるんだ。呉服屋さんにも大切な使命があるからね。固定客に悪いものは出せない。今にして思えば、何がよくて何が悪いのか、ものを見る目を養わせてもらったんだね」
 天然の絹の魅力は扱った者にしかわからない、とも。本糸・玉糸・真綿の紬糸という3種の糸を組み合わせていくのだが、その作業はまさしく糸と心通わせながら行うもの。気持ちをこめ手をかければかけるほど絹は応えてくれる、というのだ。

 本物は、着れば着るほど風合いがよくなっていく
 澤井さんの工房には、美術・工芸・服飾などを専攻する若い人たちが技術を習いにきている。生まれたときから何でもそろっていて、足りないものは買えばすむ。そんな世代だからこそ、自分で何かを作ること、生み出すことに新鮮な喜びを感じるのかもしれない。
 「ごく自然なことでしょう。50年たとうが100年たとうが、本物は続いていくんですよ」
 澤井さんの口からは、何度も「本物」という言葉が出た。ごまかしものは短命、本物だけが時代を貫いて生きていける――。厚みがなくて安っぽいテカテカの化学繊維に慣れきって、生き方まで薄っぺらくなってはいまいか。ふと我が身を振り返って、どきりとする。
着物だろうが洋服だろうが、ぱっと見ただけではなかなか真贋はわからない。でも、その見分け方は単純明解だと澤井さんは笑う。
 「着れば着るほど風合いがよくなってくるのが、本物。偽者のほうは、着れば着るほどくたびれてしまう。ただの消耗品だよ」
 日常で和服に親しむ機会が減っている今だからこそ、本物を見て、触れ、実際に袖を通してみたいもの。多摩織は、紛うことなき本物の輝きを放っている。

 でき上がった反物の風合いを確かめる澤井さん

 お召織の技法を応用して織ったスカーフ。絹は、比重が軽いうえに暖かいので好評だ

 職人プロフィール

 澤井榮一郎

 1921年生まれ。
 着てくれた人にほめられたときが、どんな勲章をもらうよりうれしい。息子さん夫婦とともに、染め・織りの仕事を続けている。

 こぼれ話

 織物から生まれた言葉たち

 私たちはふだん、さして気にも留めず「油を売る」「間髪を入れず」などの慣用表現を使っています。じつはそのなかに、織物に関する言葉がけっこう含まれているのです。たとえば、「腕に“より”をかける」。自信のある腕前をいっそうよく示そうと張り切ることです。“より”とは、まじえてねじり合わせることで、糸を撚(よ)ってより丈夫な織物に仕上げることを連想させます。「くだを巻く」は、糸車の管を巻く音がぶうぶうと音を立てることに結びつけて、酒に酔ってとりとめのないことをくどくど言うことです。また、絣柄を織る前の柄合わせの工程では、綾をとる作業をします。これがそのまま、糸でいろいろなものの形を表現する女の子の遊び「あやとり」になっていったのでしょう。日常生活のなかから生み出された言葉には、暮らしの実感がこもっています。こうして見ると、織り物が人々の暮らしの中核にあったことがうかがい知れます。

*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より

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