「まさかりカボチャ」
【生産地】北海道
【形状】色は黒やダークグリーンで形がふぞろいで重さ約2kg位になる。ラグビーボールのような形で、皮が非常に硬く、太刀やまさかりでなければ割れないのが名前の由来。
【食味】中身はホクホクとした食感で、クセのない甘みがある。
【来歴】明治11年にアメリカから輸入された「ハッバード」という品種が、北海道の気候に順化したものとされている。冷涼な気候に適しており、長期保存ができるため、北海道の冬場の貴重な栄養源として、開拓期の頃から昭和30年頃まで栽培されてきた。皮が硬く調理しにくいことから、栽培者が減り、「幻のカボチャ」と言われている。現在は、生産者の直売などで入手可能。
平成20年に士別の農業成年者団体が「まさかりかぼちゃ」のを使って交配した「まさかり岩男」として新たに誕生させた。
【収穫時期】9月初旬~ 出荷時期10月~12月中旬
*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d%e5%8c%97%e6%b5%b7%e9%81%93/#i-17 より
まさかりかぼちゃの士別ブランド「まさかり岩男」の消費拡大に取り組むBLUE SEEDSのメンバー。
BLUE SEEDS 「まさかり岩男」
開拓時代の味、幻のかぼちゃ
北海道開拓時代、人々のお腹を満たしたかぼちゃがあります。まさかりで無くては切れないほど皮の硬い、その名も「まさかりかぼちゃ」。明治開拓当時、米国より導入された「ハッバード」種が、道内各地で在来化したもので、北海道では昭和30年代まで広く栽培されていました。戦時中は、まさかりかぼちゃが主食代わりだったという方もいます。味はすっきりとした甘みがあり栗のようにホクホク。しかし、まさかりを使わないと料理できない不便さのせいか、急速に栽培が減少。昭和40年代には姿を見なくなり、幻のかぼちゃとなっていました。
僕達だけの種・・・まさかり岩男の誕生
その「まさかりかぼちゃ」が、「まさかり岩男」として復活しました。「まさかり岩男」を作るのは、士別市のBLUE SEEDS(会員13名)。同団体は「士別の新しい特産物を作ろう」と、平成13年に結成された農業青年者団体です。
「BLUE SEEDS」は直訳すると青い種。そこには「未熟者。まだまだ自分たちはこれからだ」という思いが込められています。平成13年に仲の良い仲間6名が集まってスタートしたBLUE SEEDS。当初は、ブルーベリーの栽培に挑戦。しかし収穫に手間がかかり、なかなか軌道に乗りません。そこに来たのが、まさかりかぼちゃの依頼でした。
「北海道中央農業試験場が保存するまさかりかぼちゃの遺伝資源の特性を調査して欲しい」。平成17年、そんな依頼がBLUE SEEDSのもとに来ました。数種類のまさかりかぼちゃの在来種の特性を調べ、試験交配を行うのです。
さっそく、メンバーが家の畑でそれぞれの種類を栽培。翌年は、そこから何種類かを掛け合わせて交配させます。より美味しい味を求めて、試験交配は3年続きました。平成20年、交配した多くの中から一番食味が良かった組み合わせ種子を「まさかり岩男」と命名しました。その年は、250株の栽培で500kgのまさかりかぼちゃを収穫。平成23年には、2.7~3.0トン(1個約3kg)まで収穫数を伸ばしています。
「それは、僕達だけの種。ここにしかない種です。せっかくできた種を『美味しかったね』だけで終わらせたくない」と、BLUE SEEDS 5代目代表の佐藤貴之さんは語ります。
まさかり岩男は、形も独特なひょうたん型。皮の厚みは約2mm。ホクホクとした素朴なくせのない甘さで、茹でてから数10分時間が経った後でも、鮮やかな黄色のまま。そして「硬い」と言われる皮は、ほんとうに硬くて歯でかじってもビクともしません。その代わり、実は皮からホロッと簡単に綺麗に取れます。
地元の力で、かぼちゃのスイーツ
まさかり岩男の販路拡大を目指し、当時BLUE SEEDSの代表だった大友仁司さんと石黒修さんは、慣れない飛び込み営業で卸し先を捜し回りました。素材としての魅力を認められ、札幌の洋菓子店と小樽のホテルで使ってもらえる事に。ただ、皮が硬いためペースト状にしなくては売れません。初めは、ペーストにする加工代が先に発生するため、メンバーでお金を出し合ったこともありました。
地元でも、北の菓子工房もり屋が協力し、まさかり岩男を使って商品を開発。ムースのような食感の「まさかり岩男かぼちゃのぷりん」を販売しています。また、士別翔雲高校の商業科でも、地元のものを使って商品を作る実践授業で、生徒達はかぼちゃプリンを使ったお菓子を発案。若者らしい自由な発想で、ロールケーキの中にプリンを閉じ込めてしまいました。この「かぼプリロール」も、同店で販売しています。「地元のものなので、まずは地元で使ってもらいたいと思っていました。もり屋さんには感謝しています」と佐藤さん。全国版の新聞でもまさかりかぼちゃの事が紹介され、「昔食べて忘れられない味。あの懐かしい味をもう一度食べてみたい」と全国の北海道出身者から多くの注文が来ました。
"ブルーシーズ"未熟者の挑戦
佐藤さんは、ふぁーむさとうの4代目。30歳の時、地元に戻り本格的に農業を始めました。かつて旅行会社の添乗員として全国を回りわかったのは、この町の良さでした。「士別は野菜が美味しい。この野菜をすぐ近くに居て食べられる人生も良いと思った」。他のメンバーも4~5代目が多く、地元に根付き代々の土地を守っています。「皆、気がついていないだけで、士別は良い町だと思う。だから、こうして後を継ぐ人たちがいる。皆が戻ってきたくなる土壌があるのに、今1つくすぶっている感じがある」。メンバーは、色々なイベントにも積極的に参加。「僕達が頑張っている姿が人目に付いて刺激になってくれたらと思います。それで、若い人たちがもっと盛り上がってくれたらと思う」。
できるだけ皆が代表を経験して、新しい風を取り込めるように、BLUE SEEDSは2年毎に代表が変わります。平成27年現在は、佐藤さんに代わり沼舘 圭一さんが代表を務めています。
沼舘さんはBLUE SEEDS立ち上げ時からのメンバー。当初まだ20代半ばだった沼舘さんも士別に根を張り、十数年にわたってBLUE SEEDSと共に農業の道を歩んできました。
まさかりかぼちゃの交配実験を行い、その名を復活させたのも実は沼舘さんなのです。「せっかくここまで“まさかりかぼちゃ”と関わってきましたので、私が先頭に立ち、士別の特産品化を目指そうと意気込んでいるところです。まだまだですが」と志を語る沼舘さん。今後の活動目標として消費拡大・販路開拓を掲げ、先頭に立って地域の特産品創出により一層力を入れています。
BLUE SEEDSは北海道の平成25年度優秀農業青年クラブで最優秀賞を受賞し、さらに平成27年には全国の優秀農業青年クラブで農林水産省経営局長賞を受賞するなど、その活動が高く評価されてきています。士別に芽吹いた“青い種たち”は十年以上の努力を経て見事に花を咲かせ、そしてこれから夢の実りを迎えようとしているのかもしれません。
*http://www.kamikawa.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/113_blueseeds.htm より
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