「赤髭王 フリードリヒ1世」
(1122〜1190)ローマ
神聖ローマ皇帝。イタリアに4回も遠征して支配に成功した。勇敢な王で容姿の特徴から赤髭王と呼ばれることになる。第三回十字軍遠征では総司令官としてエルサレムを奪還したサラディンと対決することになるが、亡くなってしまう。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E8%B5%A4%E9%AB%AD%E7%8E%8B%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%EF%BC%91%E4%B8%96 より
フリードリヒ1世(Friedrich I., 1122年 - 1190年6月10日)は、ホーエンシュタウフェン朝第2代ローマ王(ドイツ王、在位:1152年 - 1190年)、イタリア王フェデリーコ1世バルバロッサ(戴冠:1155年4月24日)、また同王朝初代となるローマ教会の皇帝フリデリクス1世(神聖ローマ皇帝、戴冠:1155年6月18日)。ブルグント王としても正式に戴冠(1178年6月30日)。先代王コンラート3世の甥でザーリアー朝の皇帝ハインリヒ4世の曾孫にもあたる。父はシュヴァーベン大公フリードリヒ2世(独眼公)、母はバイエルン公ハインリヒ9世の娘ユーディト。衰退しかかっていた帝権回復を目指して戦った勇猛な皇帝であり後世で英雄とされた。
*Wikipedia より
「赤髭王 (バルバロッサ) 」の異名は、その見た目から。
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