「越前漆器」
Description / 特徴・産地
越前漆器とは?
越前漆器(えちぜんしっき)は福井県鯖江市周辺で作られている漆器です。「ものづくりの街」と呼ばれている鯖江市のある越前地方では、漆(うるし)が生活の中に息づいてきました。
越前漆器の特徴は、漆の落ち着いた光沢や上品な華やかさです。美しく深い色合いで日本人の心を和ませ、婚礼やお祝い事のハレの日に使用する漆器としても親しまれています。各工程で高度な技術が求められるため、家業を継ぐという形で各技術が受け継がれてきました。塗り工程を行う職人を中心にした塗師屋(ぬしや)という親方衆から制作が始まり、様々な経験豊かな職人の手を通って、分業で作り上げられている工芸品です。祝儀用調度、菓子器、弁当や重箱、茶道具などから、日常的に使用する箸、汁椀まで多種多様な器が生産されています。
日本人のライフスタイルの変遷や市場ニーズに合わせながら、越前漆器は製品を多彩に展開し大量生産の技術も生み出してきました。現在では、国内の外食産業用、業務用の漆器の80%以上を生産し、先進的な越前漆器の新たなスタイルを発信しています。
History / 歴史
越前漆器 - 歴史
越前漆器の歴史は、約1500年前の古墳時代の末期まで遡ります。まだ皇子であった第26代継体天皇が越前国の河和田に来られた折に、現在の鯖江市片山町である片山集落の塗り師に壊れた冠(かんむり)の修理を命じました。そのため塗り師が漆(うるし)で修理した冠と共に、黒塗り椀を皇子に献上したのです。皇子はその出来栄えにとても感動して、片山集落を漆と漆器の産地として奨励したと言われています。
米を年貢(税)として納めていた時代にも、越前は漆を税として納めることが認められていました。漆掻きの職人は、漆の木に掻き傷をつけながら漆の液を集める技術をもち、最盛期には国内の半数の漆掻きを越前衆が担っています。
日光東照宮の造営の際には、漆掻き職人として越前国の職人の名前の記載がありました。徳川幕府にも高く評価された漆掻きの存在と、仏事が盛んであった風土から、越前は国内の漆器一大産地となっていきます。次第に「蒔絵(まきえ)」や「沈金(ちんきん)」の技法が伝わり、堅牢さに華やかな装飾を加わり、明治時代には膳類や花器など多様な製品を生産するようになりました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenshikki/ より
堅牢と優美の高次元の調和、越前漆器
漆器ファンや地元の人には、河和田塗(かわだぬり)の名で親しまれている越前漆器。起源は古く、6世紀まで遡ると伝えられている。今日でも盛んな漆器産地だ。現在は分業が進み、木地、塗り、加飾の各職人が阿吽の呼吸で作り上げる。
漆の里に生まれたら後を継ぐのは当然
「親も兄弟も漆に関わる仕事、当時は後を継ぐのは当然という雰囲気だった。」と河和田の職人は口を揃える。分業が進んだ漆器作りについてお話を伺ったのは、角物の“木地”の井上徳(いのうえとく)さんと山口怜示(やまぐちりょうじ)さん、木地に漆を塗る“塗師”の大久保隆三(おおくぼりゅうぞう)さん、塗り上がった漆器にほどこす加飾技法の一つ“沈金”の清水恒夫(しみずつねお)さんと服部正和(はっとりまさかず)さん。いずれも河和田を代表する職人だ。
自然の素材を相手に、それぞれがこだわりの仕事を成し遂げる
木地には木地の、塗りには塗りの、加飾には加飾のそれぞれの段階での仕事に対するこだわりがもちろんある。どの仕事も「すべて自然が相手」であることは同じだ。
例えば、木地では「ねじれ、狂い、反り、腐りが問題。一つひとつの素材ごとに状態は異なるのでそれを見極めないといけない。(山口さん)」「重箱など上の段と下の段で狂いが出るとガタついてしまってダメ。(井上さん)」
塗りも、温度や湿度に大きく左右される。「同じ日の午前と午後で同じ漆を塗っても色が変わってしまう。季節によってももちろん違ってくる。1年の中では10月が一番塗りやすいかな。(大久保さん)」越前漆器の特徴である堅牢な下地造りも大久保さんの重要な仕事だ。木も漆もすべてが自然の素材。同じ状態には留まってはくれない。それを見極めるのは“職人の第七感”と大久保さん。
沈金は沈金刀で彫って金・銀を入れる加飾技法。「塗り上がった品物にひとノミ入れてみるまで(状態が)わからない。外見はみな同じに見えます。(清水さん)」「沈金は漆の厚さ分での繊細な仕事。塗り上がってから作業に入るまでの期間も大事。漆が乾きすぎても刃が滑ってしまう。(服部さん)」
互いを知り尽くしたチームワーク
分業では自分の作業以外の部分への配慮も必要だ。「長年やっているのでそれぞれの段階での職人一人ひとりの癖を知り尽くしている。次の人が喜んで仕事をしてもらえるように気を配っています。(山口さん)」自分の作業さえよければそれでいいなどと考えるようでは腕の良い職人とは言えないのだ。
モノづくりの喜び、使ってもらう喜び
職人はどんなことをよりどころに毎日仕事に打ち込むのだろう。「物をつくることそのもの。それに完成した喜び。(清水さん)」「一番は売れたとき。でももっとうれしいのはお客さんに毎日使ってもらったとき。押入に入れられるのは・・・。(大久保さん)」「木地師は自分で形を考えるのが仕事。新しい物を考えて、お客さんに喜んでもらえた時がうれしい。(井上さん)」モノづくりに対する真摯な姿勢と、自分が作った物が人から求められ役立つことへの喜びが職人を支えている。
これからは提案型の職人が求められる
これから求められる仕事は?との問いには、「提案型。新しい物を考えて作っていけばまだまだ伸びると思います。(山口さん)」作るだけの職人ではいけないともいう。例えば「流通も考えなくてはならない。(大久保さん)」
実際、河和田では面白い試みもなされている。「化粧品セットや酒瓶にも塗った。でも、仕事場に酒瓶がごろごろ転がってるのを見たときは悲壮感が漂ったけど・・・」と笑って話す大久保さん。
伝統の技を受け継いだ腕の確かな職人達が力を合わせて知恵を絞る。新しい世紀の漆文化を作り出そうという息吹を河和田の里で確かに感じることができた。最後に塗師、大久保さんの言葉をもう一つ紹介したい。「今は忙しいから暇になったらいろいろやってみる、なんていうのはダメ。忙しい中でいろいろ試してきたことが今になって残っている。暇になってからなんて何もできないよ。」ひとつのことを極めつつ、さらに前へ進もうとする職人の気概だ。
こぼれ話
失敗から学ぶ職人の技
この道数十年の職人とはいえ、時には失敗もあるそうです。いや、どの職人も失敗の経験は?と尋ねると「しょっちゅうだよ。」と笑って答えます。これには少し驚きました。職人の仕事は常に完璧でまったくミスがないと思い込んでいたからです。正しくは、世に出るものは完璧だけど、そこへたどり着く過程で失敗も出るということ。
「すべてが自然相手だから当然失敗もする。」とは塗師の大久保さん。腕のいい職人はもちろん失敗が少ない。だがそれだけではありません。失敗にめげずにきちっと修正するということも必要。「若い人は(次の工程での検査にはじかれて)品物が戻ってくるのを見てやめてしまう。戻ってくる方が多いんだから。」失敗を糧に腕を磨いていくのが職人というものなのでしょう。
*https://kougeihin.jp/craft/0517/ より
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