「金沢漆器」
Description / 特徴・産地
金沢漆器とは?
金沢漆器 (かなざわしっき)は、石川県金沢市周辺で作られている漆器です。百万石にもなる大名の大藩である加賀藩の保護のもと、大名好みの伝統工芸品として生まれました。
金沢漆器の特徴はほかに類を見ないと言っていい程の品位の高さ、華麗さを持ち合わせているところです。「蒔絵(まきえ)」の高度な技法を駆使し、豪華絢爛な美を創造しています。
漆器はもともと中国から伝来したといわれていますが、「蒔絵」の技法が創り出されたのは日本。金沢漆器では、現在伝承されている「平蒔絵(ひらまきえ)」、「研出蒔絵(とぎだしまきえ)」、「高蒔絵(たかまきえ)」、「肉合研出蒔絵(ししあいとぎだしまきえ)」などすべての「蒔絵」技術が使われています。
金沢で「蒔絵」が多様に発展してきた理由は、藩政時代において漆が武具に盛んに取り入れられていたためだと言われています。金沢の漆工というのは、蒔絵師、鞘(さや)師、靭(うつぼ)師、塗師の4つに細分化されています。このことから武士の大切な小道具ゆえに頑丈さと華やかさの両方を重視していたことがわかります。太平の世になってからは、武具から実用品にまで武士の象徴となる加飾が施され、塗りの技法も発展していったと考えられています。
History / 歴史
1630年(寛永7年)頃、加賀藩は加賀百万石の勢力に恐れをなしていた徳川幕府の目をそらすために、美術工芸に財力を投じることで平和政策をとったと考えられています。第三代藩主前田利常は、全国各地より積極的に名工を指導者として藩に招き入れました。中でも桃山時代を代表する「蒔絵」の巨匠である五十嵐道甫がその技を伝えたことが「加賀蒔絵」の始まりになります。以後五十嵐家は、代々の藩主のもとで門人の指導にあたり、子弟の育成に力を注ぎ、加賀文化の基礎を築きあげました。
江戸時代から明治、大正時代にかけては多くの名工が輩出され、塗りの技術が開発されていくことになります。代表とされる「紗の目塗り」をはじめとして高度な漆塗りの技法が花開き、金沢漆器特有の技というものが確立していきます。
幕末から維新への移行する時期は現存する作品が少なく、藩財政が破たんしたことによる工芸品衰退が要因と言われています。しかし250年にわたって引き継がれた金沢漆器の技は、戦後になって経済復興と共に見直されました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kanazawashikki/ より
武家文化の力強さを表現する加賀蒔絵
美術工芸的な漆器として名高い金沢漆器。その華麗で重厚な仕上がりは、加賀蒔絵と呼ばれる高度な加飾技術によって実現されている。とくに、図柄を部分的に盛り上げる肉合研出蒔絵(ししあいとぎだしまきえ)は加賀蒔絵の特徴的技法だ。
若いお弟子さんに追いつけ追い越せ
「蒔絵は最後の工程。自分が仕上げた物がそのままお客さんの手に渡ります。お客さんに喜んでいただくのがこの仕事の楽しみですね。」清瀬一光さんは父親から受け継いだ2代目の加賀蒔絵師。「32歳のとき、実家に戻ってきました。それからこの仕事を始めたので、最初は自分よりずっと若いお弟子さんたちに負けたくないという気持ちで必死に打ち込みました。蒔絵の面白いところは自分の技術があがることでどんどん表現の幅が広がっていくところですね。」
金沢漆器は数ある漆器産地の中でも、高度で華麗な蒔絵によって美術品としての価値が高く評価されている。全国の多くの漆器が庶民の生活道具から生まれた漆芸であるのに対し、金沢漆器は藩主前田家によって育成された貴族的な工芸という歴史があるためだ。加賀蒔絵の特徴はなんと言ってもその豪華さ優美さにある。
表現・磨き・金の色が腕の見せ所
「蒔絵は“絵”である以上、まず表現がポイントになってきます。美しい濃淡が出ているか、うまくぼかせているかを見て欲しいですね。」蒔絵は、塗上がった漆器に絵柄をつけるために、漆で絵を描き、その上に金粉を蒔き、もう一度漆をかけてから、磨いて絵を浮き出す加飾技法。よって、「磨きの見極めが大切です。磨きが足りないと色が出ないし、磨き過ぎると金を傷めてしまいます。こればかりは人から教わるものではありません。経験と勘で極限まで磨き上げます。とくに金を盛り上げる肉合研出蒔絵は熟練の技を必要とします。盛り上げ方にも場所によって角がピンと立っていなければならないところや、逆になだらかになっていなければならないところなど、うまく表現できていないといけません。」
そして、職人のオリジナリティとも言える重要なポイントがもう一つ。「金の色です。自分なりの色、つまり“清瀬の色”を出していきます。」客も“清瀬の色”に惹かれてファンになる。「ひとりで品物を仕上げられるようになるまでに10年。そこから自分なりの金の色を出していくのに10年はかかります。私なんかまだまだかけだしですよ。」
色と値段に職人のこだわり
「うちの工房から出す以上は金の色には徹底的にこだわります。清瀬の色であること。」その断固とした口調に職人としての揺るぎないこだわりが感じられる。「そして値段。親の代から図案ごとに決まった値段があるので、今でもそれを変えないでやっています。もちろん苦しいですよ。でもバブルだからといって値段をあげたりしていてはお客さんに迷惑がかかります。“商売人に儲けさせろ”が親の教えです。利幅は売る人がとればいい。そうすることで職人の仕事に切れ間がなくなって、作ることに徹することができるのです。」
火事になったら真っ先にこれを持ち出す
「火事になったらまず筆を持ち出します。もう、手に入りませんから。」蒔絵用の筆はネズミの毛が用いられている。この筆を作る人がもうほとんどいないのだという。「次は金粉。蒔絵師の仕事場にはたいていある程度の金のストックがあります。作業の途中で金が切れたら仕事にならないからです。漆が乾いてしまって、(それまでの作業の)すべてが無駄になります。だからあらかじめ必要な金の量を計算してから仕事にかかります。」そして3つ目に持ち出すのが「図案。清瀬家に伝わる図案です。これがなくなったらたいへん。非常に貴重なものです。作った物は必ず写真にとって図案と一緒に保管しています。」
話の随所に職人としての厳しいこだわりが感じ取れる清瀬さん。「とにかく(この仕事を)できるだけ長く継続することが大切だと思っています。」そのために、ガラス・象牙・べっこうに蒔絵をほどこすという新しい試みも始めている。
仕事場には、職人として着実に腕をあげている将来の3代目(息子さん)の姿も見える。加賀蒔絵職人のこだわりもしっかりと受け継がれていくに違いない。
職人プロフィール
清瀬一光 (きよせいっこう)
頑とした職人気質を感じさせる清瀬一光さん
32歳から26年の職人歴。親の教えをきっちりと守りながら自分ならではの新しい分野も挑戦して切り開く。
こぼれ話
新しい素材が拓く蒔絵の世界
従来、蒔絵は漆器に施されるものでした。しかし、加賀蒔絵職人、清瀬一光さんはその高度な技術で新たな可能性を拓いています。それは、ガラス・象牙・べっこうへの蒔絵。自分自身で素材の調達先も探しだしたという“新”蒔絵です。もちろん素材が違うことで出てくる新たな問題もあったそう。「ガラスだと接着剤の問題。象牙は多孔質なので漆がそこへ入って真っ黒になってしまいます。」これらの問題を解決することで、伝統的な蒔絵の技術からまったく新しい世界を切り拓いてゆきました。伝統工芸は職人の絶え間ない工夫から発展してきたもの。21世紀に新しく始まる伝統工芸があってもいいのでは。加賀百万石の歴史を伝える工芸王国でそんな楽しみも見つけることができました。
*https://kougeihin.jp/craft/0515/ より
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