いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<経産大臣指定伝統的工芸品> 長野 内山紙

2021-05-03 06:45:30 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「内山紙」

 Description / 特徴・産地

 内山紙とは?
 内山紙(うちやまがみ)は長野県の奥信濃地方で作られている和紙です。豪雪地帯の冬の副業として、内山紙の紙漉(かみすき)技術は現在まで発展してきました。
 内山紙の特徴は、楮(こうぞ)100%を原料としていることです。手漉きの内山紙は通気性や通光性が優れ、強靭で保温力もあります。
 奥信濃地方は一晩で1メートル以上の雪が積もるほどの豪雪地帯のため、11月下旬には原料の楮の刈り取りが必要です。冬場には「雪さらし」という技法で繊維を漂白するために、楮の繊維を取り出して雪にさらし、雪が融解する際に発生するオゾンによる漂白効果で皮を白くします。薬品を使わずに風土に合った技法を使用することで、しなやかで風雪に耐えられる丈夫さがあり、ふっくらとした完成品となります。
 このように内山紙は自然な方法で漂白されているため、日焼けしにくく長持ちです。戸籍台帳用紙としても長く使用され、官公庁にも信頼されてきました。
 太陽光をよく通す障子紙としても高い評価を得ており、風合いのある照明器具の和紙シェードなどのインテリアとしても優秀です。一般的に筆墨紙としても広く愛されています。

 History / 歴史
 内山紙 - 歴史 
 内山紙(うちやまがみ)は、当時の信濃国高井郡内山村で発祥されたと言われる手漉き(てすき)和紙です。
 江戸時代初期に萩原喜右ヱ門が美濃の国で和紙の製法を学び、内山村に帰郷して和紙を漉いたのが始まりとされています。内山紙のただひとつの原料である楮が山に自生していて手に入り易い環境であったことも、紙漉きが普及した要因です。
 江戸中期の信濃国高井郡水内郡郷村高帳からは、内山村の和紙の製造が徴税の対象作業であったことがわかりました。奥信濃は豪雪地帯であったため、雪深い冬の間の農家の副業として、内山紙の製造は根付いていきます。内山紙は隣国の越後で高く売れたため、貴重な現金収入に結びつきました。
 明治時代になると製造工程で動力が導入されるなど、製造法が改良されます。最盛期には原料供給が1354戸、製造が1130戸、販売が175戸の規模がありました。
 その後、大量生産による洋紙の普及により衰退していきます。手漉き和紙の製造は、生産効率が良くないために転業が相次ぎましたが、わずかに残った生産者が現在も内山紙の伝統技術を受け継いでいます。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/uchiyamagami/ より

 厳寒の季節がつくり出す伝統の質 内山紙
 冬になると軒先に並べられるコウゾ。雪の飯山の風物詩として有名な内山紙づくり。和紙は聖徳太子の時代より日本人の和の心を書き残し、そして障子紙としてやすらぎを与え続けてきた大切な日用品。

 
 和紙の歴史をたずねて
 律令時代の日本の歴史を記す「日本書紀」によれば、日本で和紙が漉かれるようになったのは、聖徳太子の時代、西暦610年頃とのこと。漢王朝の末期、中国で発明された紙づくりの技術は、朝鮮半島を経て日本に至り、和紙として定着した。中国で発明されたのに和紙とはこれいかに?との疑問も湧くが、それほどまでに日本によく合った物の一つだったのだろう。
 土地に自生しているコウゾ、ミツマタ、ガンピを原料にして漉かれ、日本人の心を書き残してきた和紙。障子紙として、私たちの暮らしに欠くことのできなかった和紙。そんな和紙の手漉きの技を今に伝えるのが内山紙なのである。

 雪に埋もれる季節の副業として
 「専業で年中やってるのはウチだけなんですよ。」そう話してくれたのは北信内山紙工業協同組合の阿部理事長。職人がそれほど少ない地域なのだろうか?そんな疑問が湧いたがどうやら事情が違うようだ。「内山紙はもともと、雪に囲まれるこの地での冬の仕事として育ったのですよ。」豪雪地帯、飯山では冬場は農作業ができず、収入源がない。和紙づくりはそんな環境に適していたのだ。「コウゾを雪で晒すんです。雪が融けるときに漂白作用があるのです。」雪の上にコウゾを並べ、新雪が降ると家族総出で雪をかける光景が冬の飯山でよく見られた光景だった。「雪で晒すのはここと新潟くらいかな。ほかは川で晒すのが多いですね。」内山紙づくりは、元来冬しかできない季節限定の仕事だったのだ。


 手漉きには飯山の楮が一番
 今では手漉きだけではなく、機械による和紙の製紙も行っている。原料供給に限りがあるため、機械には輸入したコウゾが使われることが多いとのこと。手漉きで作ってみると原料の違いはよくわかるらしい。「今はタイから輸入するコウゾが多いですね。でも暖かい地方で育ったコウゾでは手漉きの和紙には向かないのですよ。」気候の違いが繊維の質を変えてしまうのだ。
 「内山紙は丈夫さが特長です。障子紙として使われて来たのは、その丈夫さゆえ。」コウゾは和紙の原料の中で最も繊維が長く、障子紙にした時に違いが出る。丈夫さを求めた人たちから愛されてきた内山の和紙なのである。


 始めと終わり、同じ厚さに漉く高度な技術
 「手漉きならこの人ですよ。」と阿部さんに連れられて伺ったのは伝統工芸士、小林欣一さんの工房だ。農家の副業だった内山紙づくりは、小林さんのように農家の長男が継ぎ、伝統の技術をつないできた。さっそく手漉きの技を見せてもらった。「この槽を“舟”と呼びます。一舟で20枚の紙を漉きます。」舟にすのこを入れ、揺り動かしながら全体に均一に繊維を重ねていく。一枚目と最後では舟の中の楮の濃さがまったく違ってしまう。始めは濃いが最後は薄い。それでも同じ厚さに漉き上げるのが職人の技術なのだという。
 「いい紙は冬場でないと漉けません。」舟に溶かす黄蜀葵(おうしょっき、通称トロロアオイ)は繊維が水中に沈まないようにする効果があり、また、漉いた後に和紙を一枚一枚はがす時にも役に立っているのだとのこと。天然の原料だけに、夏場は腐って品質が変わりやすいのだ。厳寒の中で、雪と水を扱う過酷な仕事によって維持されてきた内山紙の質の良さだったのだ。


 障子のある生活
 洋風の家が増え、障子のない家に住む人も多くなった。かつてはどこの家にも見られた障子。大晦日には大掃除をしながら障子紙を張り替えるのが日本の冬の風物詩でもあった。「昔は雨戸なんてなくて、障子紙で外とも仕切っていたのですよ。」家の中の湿気を吸い、適度に放出してくれる和紙は、明かりも適度に取り入れてくれ、日本の建築に合っていた。天然の材料による家作りが見直される昨今、障子紙ももっと見直されていい。しかも、障子はなぜか私たちの心を落ち着かせてくれる。畳の上に座って、障子を透して差し込んでくるあかりの中でお茶をいただく。どこか懐かしい和の心をも内山紙は演出してくれるのだ。


 職人プロフィール

 小林欣一

 内山紙を代表する伝統工芸士。お話している時のにこやかな表情が紙を漉き始めるとふと厳しい面を見せる。


 阿部一義

 北信内山紙工業協同組合理事長。手漉き和紙のほかに機械による和紙製造も行っている。阿部さんの和紙は障子紙のほかに官庁の台帳保存用などに使われている。


 こぼれ話

 環境を大切にしてこその和の心

 近代まで日本は環境と共生してきたという点では先進国の中で唯一の国でしょう。和紙づくりの伝統からもそのことがよくわかります。その地で取れる原料を使い、環境を汚さない方法で作り上げ、使った後もきちんと土に返ります。
和紙づくりには取り分け昔の人の知恵が生きています。有害な塩素などを使うことのない雪晒しによる漂白、厳寒の外気で凍らせてコウゾの繊維をばらし、繊維をほぐすために灰汁を使って、そして原料には木材を使わずに自生する非木材を使っています。
もし、環境への配慮がなかったら、日本の文化はもっと粗雑なものになってしまったかも知れません。和紙の文化も育つことなく、わびさびの世界を書き記すこともできなかったのではないでしょうか?昔の人が筆を取ったときの気持ちに思いをめぐらすのも伝統的工芸品ならではの楽しみではないでしょうか。

*https://kougeihin.jp/craft/0901/ より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <苺> 咲姫 | トップ | <漢字検定> 1級 読み 67.... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済産業大臣指定伝統的工芸品」カテゴリの最新記事