第45回 2014年1月7日 「すてきなポットでお茶を~山形鋳物~」リサーチャー: 映美くらら
番組内容
今回は一流デザイナーと手を組んで、斬新なデザインの鉄瓶を作り続ける山形鋳物。ユニークなティーポットとして海外でも大人気だ。山形は平安時代から鋳物が作られていたという産地。美しいデザインと高い機能性をあわせ持つ製品を生み出してきた。水切れや保温に優れた鉄瓶を作り出す職人の情熱や、繊細な装飾を施す細かなワザを徹底紹介。おいしいお茶に欠かせない鋳物のすばらしさを、女優・映美くららが山形で堪能する。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201401071930001301000 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「山形鋳物」
薄肉の繊細な造形。暮らしに溶け込む和モダン。
歴史と伝統に培われたものづくりの技術と精神性が、日用品に品格を与える。
「こんぴらさん」の名で親しまれる香川県金刀比羅宮。その本教総本部前に青銅大燈籠があります。これは、山形鋳物の名工・小野田才助の手によるもの。高さ4.8mもある精緻な造りで、地元山形市の山寺立石寺に1体、宮城県金華山黄金山神社に一対、同様のものが納められています。金刀比羅宮に奉納された青銅燈籠のなかでは最も豪華で、国の重要有形民俗文化財にも指定されています。
山形鋳物の発祥は、ほぼ1,000年前の平安後期。前九年の役で源頼義軍と一緒にきた鋳物職人が、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の砂と千歳公園付近の土質が鋳物の型に最適であることを発見、数人がこの地に残ったことが始まりと伝えられています。
現在も鋳物職人の町として知られる「銅町」の名前は、全国でも希有です。江戸時代のはじめ、山形城下を治めた最上義光によって、町割の大幅な見直しが行われ、鋳物師17人を鍛冶町から隣の町に移し銅町と命名しました。日本における工業団地の先駆けだったとされます。
当時、銅町は全国的に流行した出羽三山参りの門前町。ひと夏1万人もの参拝客で賑わったといわれ、土産物として仏具仏像や、鍋釜などの日用品が人気を博し、全国に知られるようになりました。
その後、先に紹介した燈籠や梵鐘といった大型鋳造品や、鉄瓶、茶の湯釜などの工芸品、さらに機械部品をはじめとする工業製品までを手がける一大鋳物産地として発展しています。
もともと従軍した鋳物師として、軽量を理想とする武具を手がけていたためか、薄肉で繊細なデザイン、美しい鋳肌、寸法形状の正確さが山形鋳物の最大の魅力です。茶の湯釜にいたっては、多くを山形鋳物が占めていたこともあり、技術力と完成度の高さを知ることができます。
その一方で、古くから続く職人気質で「ものづくりを旨とし、商売を良しとしない」傾向にあったとか。大きな産地問屋が存在したことはいまだなく、また分業制をとらないことも他の産地との違いのひとつ。
家々で工程のすべてを最後まで行い、さらに販売までを手がけることが多いため、ものづくりへのこだわり、探求心、個性が多様化。こうした互いの切磋琢磨が、日用品であっても芸術品に劣らない造形と品質を持つ山形鋳物の大きな特色に繋がっています。
代々、鋳物師の家には「御金神(おかながみ)」と呼ばれる鋳物の神が祀られています。御金神は、山岳信仰に多い真言宗に由来する神様。かつての山伏が、鉱物・鉱脈を探り当てる山師であり、鉱物から金属を精製する錬金術を操っていたことから、金属工芸に結びついたとされます。
出羽三山の主峰・月山の麓に位置する山形鋳物の根底には、祈りの造形があったと話す鋳物師もいます。仏具、仏像、梵鐘、燈籠にすぐれた製品をつくり出してきた山形ならではの精神性の息づかいをそこに見ます。
今、山形鋳物は、長い歴史が培った技法を生かし、新しいデザインを積極的に取り入れながら、現代の生活に溶け込むプロダクツを数多く発表。伝統とモダン、機能性と芸術性、精神性を合わせ持つ鋳物の魅力を国内外に広く発信しています。
<取材協力> 山形鋳物伝統工芸組合事務局(株式会社雅山)
*https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/shoukai/yamagatamonogatari/sangyou/imono.html より
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