「加茂桐箪笥」
Description / 特徴・産地
加茂桐箪笥とは?
加茂桐箪笥(かもきりたんす)は、新潟県加茂市周辺でつくられている桐の箪笥です。現在、全国の桐箪笥の多くが加茂で生産されています。
加茂桐箪笥の特徴は、衣類を湿気や害虫から守り水害や火災にも強いという点にあります。これらの優れた特徴は、加茂桐箪笥の材料となる桐に大きく起因しています。
桐の板は軽くて柔らかく、気密性が高いため隙間のない箪笥を製作するのに適した素材です。実際に、水害で桐箪笥が流された際、水が引いたあとに乾燥させてから開けてみると、泥水は全く入っておらず中の衣類は守られていたという逸話がある程です。また、表面が焦げて炭化しても燃え広がりにくいのも木材の中でも熱伝導率が低い桐ならではの特性です。タンニン、パウロニン、セサミン等の成分により細菌や害虫を寄せ付けず、湿気に強いため、湿度の高い日本の風土で衣類を収納するのに重宝されてきました。
実用性の高さは元より、加茂桐箪笥の他にはない気品と暖かみが今日まで人々を惹き付けています。色白で絹のような木肌、くっきりと刻まれた美しい木目には凛とした存在感があり、現代でも熟練の職人たちにより作られ続けています。
History / 歴史
加茂桐箪笥は、約220年前の江戸時代・天明の頃に家具などを作る指物師(さしものし)である丸屋小右エ門が杉材で箪笥を作ったのが始まりと言われています。
現存する最古の桐箪笥の裏板には、「文化11年(1814年)購入」と記されており、1820年(文政3年)頃には、桐箱や桐箪笥が船に乗せられ、加茂川から信濃川を通って新潟や東北方面へと運ばれたと言われます。
明治時代の初期には、北海道から東北地方にかけて加茂桐箪笥が出荷されるようになり、更に加茂は桐箪笥の産地として発展していきました。
1877年(明治10年)に編纂された「加茂町誌資料」に「箪笥400棹、長持200棹、造出」と記されていることからも、加茂の活性ぶりが伺えます。昭和初期には現在の桐箪笥のデザインの元となる「矢車塗装(やしゃとそう)」が開発され、現代においても全国各地に広く出荷されています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kamokiritansu/ より
木肌のやさしさをそのままに 加茂桐箪笥
美しい柾目に描き出された桐の表情。自然のぬくもりの中に凛とした趣を漂わせ、歳月とともにその深みを増していく。桐箪笥を見ているだけで、不思議と姿勢を正したい気持ちになるのは、日本人の心が呼び起こされるからなのだろう。
箪笥の街並、加茂市
加茂の街並を歩けば箪笥店が並び、少し足を伸ばせば点在する材木店の風景をあちらこちらに見ることができる。加茂市の周辺はもともと天然桐が豊富で、桐箪笥の歴史は200年もの昔からはじまっている。今でも地場産業としてしっかりと加茂の地に根づいている。桐の美しい木目と木肌のぬくもりを生かした風合いが加茂桐箪笥の特徴だ。
美しさと実用性を兼ね揃えた桐箪笥
館農義明さんは、加茂市で桐箪笥を作り続けて約50年になる。伝統工芸士の制度ができて初めての認定を受けた方だ。箪笥の製作現場に入ったとたんに桐の香りに包まれる。桐箪笥づくりで第一に譲れないポイントが原材料だ。良質の桐を約3年間じっくりと天然乾燥して使用する。「乾燥が不十分だとアク(渋み)が残って、赤く変色してしまいます。乾燥といっても雨にもさらすんです。水にあてなければアクは出ません。天気半分水半分といきたいところだけど、なかなかそうもいきませんね。」天然乾燥させた桐は、見た目では黒く変色しているが、カンナをかければすぐに本来の白い木地が顔を出す。長い年月を経て渋抜きされた桐材は変色だけではなく、狂いも生じなくなる。
第二に、ひとつひとつ丹念に仕上げる手づくりの妙技。職人の技が特に必要とされるのが、最終工程における正面の「仕上げ」である。手カンナで削って箪笥の表面を整えていくこの作業は熟練した微妙な力加減が必要なため「機械に置き換えるのは不可能ですね。」とのこと。「桐は柔らかいゆえに傷つきやすいという面を持っています。作業で一番緊張するのは、やはり“仕上げ”の時ですね。」引き出しや扉の引っかかりをカンナで微妙に削って、すき間ができないように本体に入れ込んでいく。この高い密閉性も桐箪笥の特長の一つだ。湿気を桐自体が吸収することで膨張し、衣類を湿気から守ってくれる。また、桐箪笥は古くなったとしても表面を少し削れば新しい木肌が現れるため、いつでも美しい桐の色を再現できる。そして、加茂桐箪笥の特徴の一つである木釘を使用していることが、この“箪笥のクリーニング”に一役買っている。「桐箪笥は表面が汚れても、木釘ごとカンナで削ることができるんです。金釘を使ってしまうとそうはいきません。しかも金釘は錆びますし、抜く時にも柔らかい木地に傷をつけてしまいます。」
一人前になるための三拍子
満足した箪笥を作れるようになったのは、仕事をはじめて4年ほど経った頃です、と館農さんは言う。十代の頃から桐箪笥づくりを始めた館農さんは、20歳になって会社からカナモノ(道具類)一式を手渡され、はじめて箪笥一本を任されるようになる。桐箪笥づくりに使う道具は、カンナだけでも20~30種類にも及ぶ。「手加工なので、同じ箪笥を作ることはできませんし、同じ箪笥などありえません。なにしろ、日によってカンナの調子も使う木も違うわけですからね。そうは言っても、高い品質の箪笥を作らなければなりません。それにはやはり職人の勘というものが必要になります。」「カンナの切れ、仕上がりのきれいさ、能率の良さ、この三拍子が揃えば一人前ですね。」と、長年に渡って技術性の高い桐箪笥づくりを手がけてきた館農さんからは自信と誇りがひしひしと伝わってくる。昔、女の子が生まれると桐の苗木を植え、嫁ぐ日にはその桐で嫁入り箪笥をつくる風習があった。ライフスタイルの洋風化が進み消費者の生活環境が変化した現代でも、結婚を機に桐箪笥を購入する人は少なくない。「自分が手がけた箪笥とともに幸せな生活を送って欲しいですね。」そう思いながら箪笥を製作しているのだと館農さんは言う。
箪笥への意欲は薄れず
素材の桐板を作るなど、極めて手間暇のかかる様々な工程を経て、あの気品漂う木肌のぬくもりが生み出される。時代がどうあれ、桐が日本の収納家具に最も適した材料であることは、これからも変わらない。「一人でも多くの人に桐箪笥が持つ経済性というものを知って頂きたいですね。そして桐の良さを実際に触れて感じて欲しい。この仕事は70過ぎても続けて、もっと技術度の高いものを手がけていきたいです。」と、桐箪笥づくりにかける館農さんの強い意欲はまだまだ続きそうだ。
職人プロフィール
館農義明
昭和10年北海道稚内市に漁師の家に生まれる。17歳の時に株式会社高橋新吾タンス店へ弟子入りし現在に至る。
こぼれ話
桐箪笥の金具の変遷
加茂から6キロのところに位置する三条市は古くから金物の産地として栄え、今日に至っています。この三条市も以前は加茂桐箪笥に深く関係する都市でした。昭和25年頃までは加茂桐箪笥に使用される金具類は、三条でほとんど生産されていたのです。
ところが、昭和30年代以降の生活様式の洋風化によって箪笥の需要と生産量が激減していきました。それに伴い、桐箪笥用金具業者も他工具・家庭金物などの製造に転業を余儀なくされました。そのため自然と桐箪笥専門の金具業者は大都市に集約されていき、東京・大阪・京都などでしか生産されなくなりました。この状態は現在でも続いており、三条市で作られる金具の割合はさほど高くはありません。
金具の形状も時代とともに変わっています。江戸時代末期から明治にかけては重厚を表す大型の鉄金具が用いられていましたが、時が過ぎるにつれ本来の桐材を生かしたものに変わっていきました。金具には小型化と機能性が求められるようになっていったのです。
*https://kougeihin.jp/craft/0611/ より
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